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企業の粉飾決算がたびたび問題になりますが、刑事裁判においてはどんな問題があるのでしょうか。「会計基準」との関連を中心に、朝日新聞経済部記者・松浦新氏のレポートをお届けします。

●驚きの地裁判決、その中身は?

昨年12月、「思い込みはよくない」と改めて考えさせられる裁判の判決があった。

それは、横浜市にある東証スタンダード上場の住宅関連会社「すてきナイスグループ」(現ナイス)の元会長ら2人が、決算書にうそを書いたとされる「粉飾事件」の裁判だった。横浜地裁が有罪とした判決を、東京高裁が破棄して、差し戻した。

差し戻しの理由が「会計基準に照らして本件取引の計上が虚偽の記載をしたといえるかどうかについては争点とはなっておらず・・・」とあることには驚いた。

投資家は決算書を信用して株などに投資をするのだから、経営実態を偽った決算を公開する「粉飾決算」は詐欺と呼んでもいい行為だ。そのため、金融商品取引法(金商法)は粉飾に10年以下の懲役などの罰則を設けている。

具体的には、上場企業が虚偽の有価証券報告書を公表することなどが問われるが、「虚偽」といっても、決算書をごまかすのは簡単ではない。なぜならば、例えば虚偽の売上高を計上するにも、借金をして原料を買い、給料を払って生産するといったお金の動きがあるためだ。工場を動かし、製品を保管したり輸送したりすれば、その経費も発生する。売り上げには相手があるので、監査法人はその帳票も確認する。利益や損が出るので、それがどのように処理されたかのつじつまも合わせないといけない。偽装のためにはさまざまな会計処理が発生する。

こうした決算処理のルールは「会計基準」として細かい取り決めがある。会計基準にも「日本基準」「米国基準」「国際基準」などがあり、同じ会社の経済活動でも、適用する会計基準が違うと別の結果が出る。

その会計基準に照らして虚偽にあたるのかどうかが争点になっていないというのだから、筆者は判決文に書かれていることが理解できなかった。これでは、「あいつは泥棒をした」と言われた時に、実際に盗まれたものがあるかどうかも確認せずに逮捕されるようなものではないか。すぐに冤罪と決めつけることはできないが、冤罪を生む権力の行使で、いまだにそのようなことがあることは信じられない。

●いまだに断片的な情報による見込み捜査が横行しているのではないか

ところが、判決文には、「原審裁判所も、検察官に対し、本件各取引の架空性の根拠を会計基準に照らして書面等で明らかにするよう求めるなどしたのに対し、検察官は、この点について明らかにすることなく、本件取引は実在しない取引であり、その売上の計上は架空売上の計上であるとの主張を繰り返した」と書いてある。

検察の主張は、架空取引をしたのだから会計基準の議論をするまでもなく粉飾であるということらしい。ここで詳しく論じることはしないが、高裁判決は「本件各取引は実体を欠くとした原判決の認定判断は、論理則、経験則に照らし不合理であり、その事実誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである」と厳しく断じた。

これでは、たまたま知った架空取引の疑いがある情報に飛びついて、架空取引をしているから粉飾なのだという論理だけで、粉飾事件を立証しようとしたと見られても仕方がない。先述のように、企業の会計はさまざまな経済行為が複雑に関係しながら成り立っており、この取引があるから粉飾だと「一本足」の立証をすることには無理がある。

逆にいえば、会計処理は複雑なだけに、うそにうそを重ねないと粉飾の決算書は作りにくい。ある年に粉飾をしたら、翌年度はそのうそを前提に決算をしないといけない。高度経済成長期は、経営不振の年をごまかしても、すぐに業績が持ち直して、その利益などで過去のうそをごまかすこともできたというが、低成長のいまは、それも難しい。プロが決算書をきちんと分析すれば、ひとつのうその周りにいくつものうそがあることが見えるはずだ。

今回の案件も、架空の疑いがある取引をするのに、その前後の会計処理は適切だったかを会計基準に照らして確認していれば、二重三重の立証ができたかもしれない。この判決は一本足の立証のリスクの大きさを示すものといえる。一方で、いまだに断片的な情報による見込みの捜査が横行していることも暗示している。

●不適切会計はたくさんあるのに、ほとんど刑事事件になっていない

それは、不適切といわれる会計処理が毎年数多くあるのに、ほとんど刑事事件になっていないことからもうかがえる。信用調査会社の東京商工リサーチが全上場企業を対象に調べたところ、2022年には不適切会計を開示した上場企業が55件あった。会計処理のミスなどの「誤り」が25件あるが、「粉飾」とされる案件も16件あったという。この調査は2008年に集計を始めたが、15年以来、毎年50件を超えている。これまでの最多は73件の19年だった。

こうした不適切会計は、証券等監視委員会が監視しており、金商法違反などの法令違反がみつかると金融庁に課徴金を課すよう勧告をする。ナイスは20年9月に2400万円の課徴金を納めるよう命令を受けた。同年度に有価証券報告書の虚偽記載で課徴金納付命令を受けた会社は7社あった。

最も高かったのは、経済産業省肝いりの官民ファンドINCJ(旧産業革新機構)が後押しして経営再建中の液晶パネル大手ジャパンディスプレイの約22億円だった。ナイスに出た課徴金は7社の中で下から3番目だった。ところが、ほかの6社は刑事事件にはなっていない。こうして、毎年数社以上に課徴金納付命令が出ている。

ところが、筆者が朝日新聞データベースで調べた範囲では、刑事事件として起訴され、判決まで受けたのは、ナイスの前は15年のジャスダック上場の会社までさかのぼる。この会社は前年に監視委員会が強制調査に着手したためか、虚偽記載では課徴金納付命令を受けていないが、ほかにも4件の虚偽記載事案があった。

その1件は、最近も非上場化が注目されている東芝で、約74億円の課徴金納付命令を受けた。さすがに監視委員会は一時、東芝の歴代3社長の刑事責任を問うことを視野に動いたが、東京地検は消極的で、見送った経緯があるとされる。

こうした歴史をふり返ると、検察には会計基準にもとづいて大企業の決算を分析し、粉飾を立証するだけの会計ノウハウがないのではないかという疑問がわいてくる。そのため、部分的な不適切取引の情報がある会社をターゲットにして関係者を自白に追い込み、本丸の容疑者を追い詰めていく汚職事件のような捜査手法がとられているのではないかという疑問が捨てられないのだ。

●再審を求めているキャッツ粉飾事件が試金石に

この疑問を解消するのにちょうどいい試金石がある。04年に摘発されたシロアリ駆除会社キャッツの粉飾事件で、当時の社長と共謀したとして逮捕され、10年に懲役2年(執行猶予4年)の刑が確定した元公認会計士の細野祐二さんだ。細野さんは逮捕以来、一貫して会計基準にのっとった適切な決算書を作ったと、無罪を主張し続けた。ほかの逮捕者は容疑を認める自白をして次々に釈放されたが、細野さんは190日間拘留された。

会計基準に照らして粉飾かどうかの議論をしたいと繰り返したが、当時の検察官はもとより、弁護士も相手にしてくれず、裁判で争点にすることができなかったという。その後も無罪の主張を続け、昨年12月、当時のキャッツの決算が、会計基準に照らして粉飾ではないとする専門家の意見書などをそろえて、東京地裁に再審請求を申し立てた。

細野さんは「裁判は、会計基準に関係なく粉飾ありきで、いつ、どこで誰が集まって共謀をしたかの立証が中心だった」とふり返る。

会計基準に照らして決算書に粉飾がなければ、共謀はただの打ち合わせだ。企業が決算書を作るのに担当の公認会計士と打ち合わせをするのは当然のことではないか。

繰り返しになるが、決算処理のルールは会計基準だ。検察が当時から会計基準にのっとって粉飾を認定していれば、その証拠は20年近くたったからといってなくなるものではない。会計ノウハウがあるのであれば、正々堂々と、会計基準にもとづいて細野さんを論破すればそれでおしまいだ。

冒頭のナイスの裁判で被告の弁護士は、地裁に差し戻すことは「立証に失敗した検察官を救済することになる」などと裁判官に「無罪を言い渡すべきである」と迫った。これに対して判決は「弁護人の前記主張についても、理解できない面がないわけではない」としつつ、「決して軽微な事案とはいえず、実体的真実を発見する必要性のかなり高い事案である」として、地裁に差し戻して会計基準を争点にした審理をやり直すことを命じた。

「実体的真実」とは、「絶対的真実」を知ることができなくても、可能な限り真相に近い事実を追及しようという姿勢を意味する。この精神を踏まえれば、会計のプロである細野さんの再審を認めて、改めてキャッツの当時の決算書が会計基準に照らして正しかったのかどうかを検証する必要性は、社会的に見ても重要なことではないか。そこで検察の正しさが立証されれば、これまで述べてきた私の疑問が誤解であることも明らかになる。私の疑問の解消のためにも再審を期待したい。