震災を乗り越え未来に進む、“馬と殿”の町・相馬。
この日のために多くの馬が地元で繋養されている
東日本大震災の被災を乗り越え、未来へと進む町。
福島県相馬地方。この名から、まず何をイメージするでしょうか。もしかすると東日本大震災の関連ニュースで聞き覚えがある人が多いかもしれません。原子力発電所が立地する大熊町や双葉町を含むかつて相馬領だった地域は、震災で甚大な被害を受け、避難指示の解除された現在でもなお、多くの住民が避難を続ける地域を抱えています。
しかし相馬は、ただの悲劇の町ではありませんでした。住民たちは前を向き、復興に向けて着実に歩みを進めています。そしてその復興の中心には「馬」と「殿」がいるのです。突然、何のことなのかわからないかもしれませんが、書き間違いではなく、本当に「馬」と「殿」なのです。
では皆さんの頭の中の疑問符に答えるため、相馬の現在を少し探ってみましょう。
騎馬武者の軍事訓練を起源とする1000年続く行事。
まず相馬といって忘れてはならないのが「相馬野馬追」でしょう。これは毎年7月に3日間にかけて開催される一大行事。甲冑を身に着け、腰に太刀を差した約400騎もの騎馬武者たちが野原を疾走します。地響きを立て、砂埃を巻き上げながら駆ける騎馬は、まさに戦国絵巻さながらの光景です。
伝説によると相馬氏の遠祖とされる平将門が、放した野馬を敵兵に見立てて行った軍事訓練がこの野馬追の起源。それが後の領主により代々伝承され、現在まで続いているといわれています。つまりその歴史は1000年以上。時代を越えて受け継がれる相馬の伝統です。
合戦に見立てた軍事訓練ですから、総大将が必要となります。その役割は代々、相馬家の当主が担ってきました。その習わしは現在も変わらず、相馬家に受け継がれています。つまり町を挙げての一大行事の総大将を代々お殿様が務め、それが現在まで続いているから、お殿様も現存する、ということ。冒頭にお伝えした「馬と殿」とは、文字通り本物の馬と殿のことなのです。
殿と過ごすイベントを通して、相馬の復興を願う
殿の名は、相馬氏第34代・相馬行胤(そうま みちたね)さん。そしてここが大切な点なのですが、殿は「行事の中で“殿”という役割をこなしている」のではなく、日常の中ですでに殿。相馬野馬追が終わっても、殿はやっぱり殿。地元住民たちは相馬さんを「殿!」や「若!」と呼び、相馬さん自身も殿としての自覚を持って生きています。
もちろん現在は民主主義の時代。殿に行政などの決定権があるわけではありませんが、それでも地元住民の心の拠り所として、殿が大きな存在であることは確か。殿のまわりにはいつも人が集まり、復興も殿の周辺から動き出しているのですから。
そんな殿を中心とした復興への活動。ただしそれは、地元だけで完結するわけではありません。外部から多くの人に相馬を訪れてもらい、相馬を知り、相馬を好きになってもらう。そうして活気が生まれれば、かつての住民たちがまた戻ってくるかもしれない。昔通りの、昔以上の賑わいを相馬に。そんな思いでさまざまな活動が行われているのです。
相馬の文化や食を知るツアーをはじめ、これまで実施されたイベントは10回以上。もちろんこの先も、さまざまなイベントが予定されています。次回からの記事では、これまでに開催されたイベントの様子や、今後の予定をお知らせします。
「殿」こと相馬行胤さん。町と住民を思う人柄で慕われる“名君”だ
●DATA
相馬野馬追
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