“インスタ映え”が流行語大賞に選ばれたのは、もう5年も前のこと。

それでもなお、映えることに全身全霊をかける女が、東京には数多く存在する。

自称モデル・エリカ(27)もそのひとり。

そんな彼女が、“映え”のために新たに欲したのは「ヨガインストラクター」という肩書だった―。

エリカは、ヨガの世界で“8つの特別なルール”と出合う。しかし、これまでの生活とは相いれないルールばかりで…。

これは、瞑想と迷走を繰り返す、ひとりの女性の物語である。

◆これまでのあらすじ

友人・菜摘子から紹介してもらい、ついにヨガのレッスンをすることになったエリカ。だが、丸っきり的外れな内容に生徒は離れていってしまう。「自分にはヨガは向いていない」と落ち込んでいると、あるDMが送られてくる―。

▶前回:「こんな簡単でいいの?」高額報酬に目がくらむ女。初対面の男とマンションの一室に入り…




Vol.7 「これが、本物のインストラクターか…」


「ウェル…ネス?って、何だっけ」

空になったマグカップをシンクへ持っていく途中、私は投げやりな気持ちでつぶやく。

数分前、リビングで一息ついているときに、1通のDMが届いた。

そこには、“YOGA×ウェルネス”をテーマにしたイベントの詳細が、つらつらと書かれていたのだ。

送り主は、大手食品会社の公式アカウント。

最後まで目を通すと、「イベント内で行うヨガレッスンの、講師をお願いできませんか?」とあった。

― この会社って、確か健康食品でも有名だったはず。いい話…だけど。

知名度が高い会社が主催する、イベントでの講師。そういう役割は、一握りの選ばれた人にしか回ってこない。少し前の私だったら、迷うことなく引き受けていただろう。

だが、礼子さんに斡旋してもらい、何とかやり切ったレッスンの出来が散々だったことを思い出すと、どうしても前向きに考えられない。

― はじめから何でもうまくいくわけない。そんなことは、わかってるけど…。

しかし、モデルという経歴と、容姿への自信から、自分のレッスンには価値があると思っていた私は、すっかり鼻をへし折られてしまっていたのだ。

この話は断ろう、そう思ってスマホを手に取ったとき―。

「ただいま。マンションのロビーにクリスマスツリーが出たね。もうそんな時期なんだ〜」

タイミングよく、智樹が帰ってきた。

「おかえり、ともくん。あのね…」

リビングへと向かう彼のうしろ姿に、例のDMの件を一息で話す。

すると、これまで私の言うことを1度も否定しなかった智樹の口から、予想外の答えが返ってきたのだった。


「せっかくだけど、私、この話は断ろうと思ってるの」
「いや、引き受けたほうがいいんじゃないかな」

智樹は、私のほうを振り向くと、いつもとは違う強い口調でそう言ったのだ。

「え!だって私、レッスン全然うまくできないし。そもそも、たいした経験もないのに、どうしてこんな話がきたのか…」
「それは、エリカが注目されてるってことだよ。ヨガのことはわからないけどさ、プレス取材も入るようなイベントなんだろうし。すごいよ、エリカ」

それでもまだ、決めかねていると―。私の頭をなでながら、彼は続けて言った。

「エリカはイベント映えするし、適任だと思うけどな。練習なら、いくらでも付き合うよ」

― ともくんがここまで言うなんて…、初めてじゃない?しかも、映えって。

“映え”なんて、世間からしたらもう古いのかもしれない。けれど、ずっと“映え”の世界で生きてきた私は、その言葉の引力にあらがうことができない。

イベントのステージでレッスンをする自分を想像すると、心が沸き立つのも事実だ。

結局、智樹のひと言が決め手になって、私はイベントへの出演を決めたのだった。




翌週、さっそくイベント担当者たちとの打ち合わせが開催された。

「人気のインストラクター3人に、20分ずつリレー形式でレッスンを行ってもらう予定です」

― 20分?それなら、私でも何とかなりそう。

私は、ホッと胸をなで下ろした。

「エリカさんには、2番手をお願いしたいと思っています。アクティブ要素が強い部分になるんですが、どうでしょうか?」
「アクティブ要素、ですか。それって、具体的にいうと…?」

短い時間ならボロは出まいと安堵したものの、リレー形式の流れをつかめずに聞き返す。

「1番手で、ウォームアップとして導入部分を担当してもらいます。2番手には体をしっかり動かしてもらって、3番手は休息へ向かって徐々に熱量を下げてもらう…というイメージですね」

礼子さんの紹介で経営者たちにレッスンをしたときは、特に始めと終わりがグダグダだった。それ以降、出だしと終え方に苦手意識を持っている私からすれば、2番手は順番的には恵まれている。

ただ、生徒から求められるものに応える力量がないこともわかっている。レッスンで“何をしたらいいのか”がいまいちイメージできない。

いっそのこと、決められたレッスン内容を暗記するほうがいい。

「あの、レッスンの内容というか、ポーズは私が考えるんですか?」
「そうですね。レッスンの具体的な内容は、一任します。ですが、前後でポーズがかぶらないようにしたいので、流れが決まったらみんなでシェアできるようにしましょう」

― さすがに養成講座で習った内容のままじゃ、だめ…だよね。

レッスンを組み立てたことなんてない私が相談できる相手は、1人だけだ。

担当者に見送られてオフィスビルをあとにすると、すぐにLINEを開いた。




エリカ:「礼子さん、20分のレッスンだと、ポーズっていくつくらいできますか?」
礼子:「だいたい10ポーズかな。エリカさん、もしかしてレッスンするの?」

私が恥を忍んでアドバイスを求めたのは、礼子さんだった。

エリカ:「はい、イベントに出ることになって。でも、私、何をしたらいいのかわからなくて」
礼子:「じゃあまずは、自分で20分のレッスンを組み立ててみて。それを見て、アドバイスするから」

ポーズの流れを考えては彼女に助言を求め、レッスンの内容が完成するまでに1週間もかかった。

「ともくん、あと1回だけ付き合って」
「それはいいんだけど。ヨガって、結構動くんだな」

運動不足の智樹は、額に汗をかきながら連日練習に付き合ってくれている。

― 本番まで、あと1日…。そうだ、ウェアも用意しなくちゃ。

彼から、早めのクリスマスプレゼントにもらったエルメスのピコタンに、まだ1度も着ていない白のブラトップと、ライトグレーのレギンスを詰め込む。いよいよだという気がしてきた。

そして、迎えた当日―。

イベント会場では、何から何まで驚きの連続だった。


「エリカさん、控え室へ案内します」

担当者に連れられて向かったのは、10人規模の会議室だった。

中へ促されると、ほかの2人のインストラクターはすでに到着して、リラックスしている。

「おはようございます。紗良です、今日はよろしくお願いします」
「美波です。よろしくお願いします」

― へえ、そんなにギスギスしてないんだ?

「エリカです。ここ、空いてますか?」
「どうぞ。あ、エリカさんのバッグ、素敵!」

モデルの仕事をしていたときは、誰もがけん制し合っていた。楽屋の空気はいつもピリピリしていたし、場所取りも一苦労だった。

この日も、ギスギスした雰囲気を覚悟してきていた。だから、入り口で構えた私は、無防備な歓迎に拍子抜けしてしまったのだ。

紗良と美波は、ヨガ専門誌でポーズモデルもしている人気のインストラクターだ。

Instagramのフォロワーは、20,000人以上。私も、フォローせずにこっそり覗いている。自撮りも他撮りも多く、承認欲求は強めだとみた。

ところが、私服でくつろぐ彼女たちからは、オーラのようなものがまったく感じられない。

― まあ、インスタの中とリアルな世界じゃ、違って当然かもね。

私が、こんなふうに心の中でマウントを取ったのもつかの間。

― うそでしょ?




ヨガウェアに着替えた2人は、さっきまでとはまるで別人のようだった。

― ただ細いだけじゃないんだ。

紗良も美波も、肩まわりの三角筋がほどよく、腹筋は見事に割れている。身長は標準的なのに、体に歪みが少ないからか、全体的にシュッとしていてバランスがいい。

かたや私はというと、細いけれど大した筋肉もメリハリもない。

モデル時代からのダイエットで、ずっとこのスタイルを維持しているのだけれど、Instagramのコメントには「もう少し、ふっくらしたほうが…」と書かれることもよくある。

つまり、健康的には見えないのだ。

さらに驚いたのは、紗良のレッスンが始まるとすぐに、ざわついていた会場が一瞬でヨガの空気に変わったことだった。

― この次が、私?




30枚敷かれたヨガマットは、すべて埋まっている。

目の前で、大勢がヨガをする光景は圧巻だ。

紗良のレッスンでハードルがグッと上がると、私はこれまでにない緊張に襲われた。いざ、自分の番になると、ポーズを取る指先がかすかに震えて、声も思ったように出せない。

呼吸の間合いも、長すぎたり短すぎたりしているのがわかる。

散々練習しただけあって、ポーズは間違えなかったけれど、ひどいレッスンだった。

20分は、良くも悪くもあっという間だった。



「エリカさん。最後の美波のレッスン、うしろで一緒に受けてもいいそうですよ」

がっくりと肩を落とす私に、先にレッスンを終えた紗良が声をかけてきた。

「あ、えっと。行きます」

― きっと、参加したところで何も頭に入ってこない。

その場の雰囲気で「行く」と言ったものの、しばらくは心ここにあらずだった。

それなのに、美波が醸しだす穏やかな空気が心地よくて、ガチガチに強張っていた体や心が、少しずつ緩んでいく。

― これが、本物のインストラクター…。

リレーレッスンが終わると、2人は当然のように参加者に囲まれて、写真撮影をしていた。

一方で私は、ポツンと取り残されていた。リアルなヨガの世界では、私はまったくの無名なのだ。

でも、圧倒的な実力の差に、心はどこか晴れやかで、控え室に戻ってからもそれは続いていた。

「ねえ、美波。来週、筋膜リリースの講座があるんだけど、一緒に行かない?」
「あ、それ私も行きたいと思ってたんだ。終わった後、近くに体験レッスンをやってるスタジオもあるよ?」

はじめは自分よりも下に見ていた2人が、今では雲の上の存在に思える。彼女たちの有益な情報交換にも、つい耳をそばだててしまう。

「エリカさんも、よかったら一緒に行きませんか?」
「私も?いいんですか?」
「もちろん!今日のエリカさんのレッスン、ポーズはきついのに、声のトーンが柔らかで絶妙でした」
「ありがとう…」

どこまでも清々しい2人に、“私も彼女たちのようになりたい”と思わざるを得ない。

こうして私は、“元モデル・エリカ”から、“ヨガインストラクター・エリカ”として怒涛の変化を遂げることになるのだった―。

▶前回:「こんな簡単でいいの?」高額報酬に目がくらむ女。初対面の男とマンションの一室に入り…

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