二刀流「セイバー弁護士」は野球分析の専門家 本業は刑事弁護、広すぎる守備範囲
米大リーグ、エンゼルスの大谷翔平の活躍で流行語になった「二刀流」。法曹界にも、弁護士業務の傍ら、プロ野球のプレーを数値化して分析するセイバーメトリクスの専門家という顔を持つ「二刀流」がいる。主に刑事事件を扱う埼玉弁護士会の市川博久氏(36)だ。
元高校球児で、スポーツデータ分析会社DELTA社の協力アナリストとしても活躍。最近では捕手が構えたコースが、投球にどう影響するかを膨大なデータから分析する記事も公表した。
異色の二刀流に、野球への情熱、セイバーメトリクスの魅力を聞いた。(執筆家・山田準)
●きっかけは「セオリーの理不尽さ」
語り出すと止まらない--。セイバーメトリクスの話題を振ると、川越高校野球部で甲子園を目指していた市川弁護士の目が輝いた。
「高校野球部の下級生の頃、マネージャーもいない中、私が主に記録をとっていました。それまで自然と野球のセオリーみたいなものを身に付けていましたが、実際に数字を出してみると必ずしも正しくない。セオリーのすべてに、裏付けがあるわけではないんだなと。そんな疑問がセイバーメトリクスに興味を持ったきっかけです」
セイバーメトリクスとはアメリカ野球学会(略称SABR:Society for American Baseball Research)と統計学を合わせた造語で、1970年代に提唱された。野球のプレーを細かく数値化し、客観的に選手の評価や球団の戦略などに役立てる手法だ。
「大学時代に『マネー・ボール』(米国のベストセラー書籍)から刺激を受けまして。当時はセイバー関連の本もなかったので、ネットで調べて、勉強しながら、新しい知識を身に付けていきました」
近年は野球ファンにも広まり、プロ野球中継でも統計データやボールの回転数などが紹介されるようになった。
「選手は技術・成績向上のため、データをかなり活用していると聞きます。各球団のスコアラーに求められるものも年々上がってきている。一方で、実況に振られた解説者がうまく答えられなかったりと、ファンへの伝え方にはまだまだ工夫の余地がありそうです。
有名な話ですが、セイバー的には、バントはアウトを1つ献上してしまうので、やめたほうが良い。投手の勝ち星も、得点など自分ではどうしようもないことで評価が変わるので理不尽な指標なんです。これって、今の私の仕事にも言えますね(笑)」
●セイバーメトリクスの楽しみ方
印象ではなく、より現実に沿った評価を可能にするのがセイバーメトリクス。市川弁護士もいち野球ファンとして、理不尽ではない、正当な評価の活路をセイバーメトリクスに見出している。
「セイバーにはいろんな指標があり、ややこしいイメージがありますが、最初はあまり気にしなくて良い。この選手はなぜすごいのか、解説者が話していることは合っているのかなど、素朴な疑問の答えを数字から感じてもらえばいいと思います」
一般的にセイバーメトリクスでは、得点を増やし失点を減らすプレーが評価され、また個々の選手のチームへの貢献度を最重要視する。そんなセイバーメトリクスの視点から、市川弁護士に今年のプロ野球の“MVP”を聞いてみた。
「セイバー的な視点から総合評価をすると、野手のほうが貢献度が大きくなる傾向があります。今年はセイバー的にも、セ・リーグは村上宗隆(ヤクルト)で図抜けているでしょうね。2位は岡林勇希(中日)で、3位が塩見泰隆(ヤクルト)。
パ・リーグの1位は山本由伸(オリックス)で、2位は吉田正尚(オリックス)。3位は千賀滉大(ソフトバンク)、山川穂高(西武)、松本剛(日本ハム)、今宮健太(ソフトバンク)あたりでしょうか。
毎年3月に、その年の順位予想を出しますが、今年は見事に外れてしまいました(笑)。一年は長いですから、ケガなど予想通りにいかないことも多々あります。そこはまだまだ勉強ですね」
ほとんどがタイトル・表彰を受けている有名選手ばかりなので、意外性はないかもしれないが、数字によって序列を決められるのがポイントだ。
ちなみに、セイバーメトリクスの観点で、今年3冠を獲得した村上と歴代の名選手を比較した場合、その評価はどうなのか? 野球ファンならずとも気になるところではないだろうか。
「村上のすごいところは、まだ22歳ということ。野手のピークは(セイバーメトリクスの視点で)大体26〜27歳で、まだまだ伸びシロが期待できます。ただ、それでも王(貞治)さんにはかなわないでしょうね。
たとえば、今季の村上のOPS(出塁率と長打率を足した最も有名な指標。0.9あれば素晴らしいとされる)は1.168という驚異的な数字なんですが、王さんのキャリアハイは、歴代トップの1.293もある。それほど王さんの残した数字は偉大なんです。
それと、セイバー的には、タイトルが必ずしもチームへの貢献につながっているわけではない、ということも言えます。清原(和博)はタイトルには恵まれませんでしたが、総合的に評価すると、打撃はかなりすごいですから。打撃指標、出塁能力……。セイバー的にすごい貢献度になります」
●刑事弁護人として日夜活動
専門サイトや書籍に多くの論考が掲載されているものの、セイバーメトリクスのアナリストは、あくまで「趣味の延長」と笑う市川弁護士。本業の弁護士としては刑事事件に特化し、日々活動している。細部を突き詰めるのは共通する部分でもある。
2019年から現在まで、埼玉弁護士会川越支部の刑事弁護委員会の委員長も務める。自分が生まれ育った地域に根差した、刑事事件の弁護活動を使命だと考えているという。
「事務所(長沼法律事務所)の事件は刑事がほとんどです。もともと刑事事件に興味がありました。とにかく刑事事件は時間との勝負。事件のスパンが早いという点が自分に合っていると思っています。一年目から私選弁護をやらせてもらい、窃盗や詐欺などの財産犯から暴行・傷害、わいせつ系まで、日夜、貴重な体験を積ませていただいています」
昼夜を問わない接見、特別法の勉強、法廷での弁護活動……。市川弁護士は、そうした精力的で多忙な日々の中にあっても、セイバーメトリクスの研究を欠かさず、また草野球チームでも、献身的なプレーを披露している。
「今は埼玉弁護士会の野球部に入って、日弁連の野球大会に出たり、近隣の弁護士会や草野球チームと試合をしたりして、野球を楽しんでいます。最近は全然勝てませんけど…。
高校時代は外野手でしたが、今はそれこそ、どんなポジションでもやっています。メンバーの高齢化が顕著で、若い人がなかなか(野球部に)入ってきてくれない。仕事で練習時間が取れないのも悩みの種ですが、何よりチームの高齢化が喫緊の課題です(笑)」
野球を数値で客観分析するセイバーメトリクスの専門家として、また弁護士会の草野球チームの中心選手として、そして本業である刑事事件の熱血弁護士として、日夜、活動を続ける市川弁護士。法廷とグラウンドという、全く異なるフィールドでフル稼働する異色の“二刀流”弁護士から目が離せない。
【取材協力弁護士】
市川 博久(いちかわ・ひろひさ)弁護士
1986年(昭61)、埼玉県川越市生まれ。早稲田大学法学部卒業、慶応義塾大学大学院法務研究科修了後に司法試験合格。2013年に弁護士登録、埼玉弁護士会所属。主に刑事事件を担当。2019年から川越支部刑事弁護委員会委員長。元高校球児で、スポーツデータ分析会社DELTAの協力アナリストの顔を持つ「二刀流弁護士」。野球を統計学的に客観的に分析するセイバーメトリクスに関するレポートを多数執筆。ブログ「八九余談」(@89yodan:https://hakkyuyodan.livedoor.blog/)も運営。
事務所名:長沼法律事務所
事務所URL:http://www.naganuma-law.com/