刑務所を出所したら「浦島太郎状態」だった…社会復帰して10年、受刑者や出所者を支援するマザーハウス・五十嵐弘志さん
のべ20年という歳月を刑務所で過ごした五十嵐弘志さん(57)は2012年1月、東京・渋谷のハチ公口の交番前で、身元引受人の佐々木満男弁護士と再会して、抱き合って泣いた。
寒空の下、大の男がむせび泣く姿に周囲は唖然としたかもしれない。だが、五十嵐さんは必ず社会復帰するという固い決意を抱いていた。出所から12日後のことだった。
●「こんな人間は死んだほうがいい」と思っていた
性犯罪を繰り返す性依存症の男性、刑務所出所後すぐにインターネットカフェで女性店員を人質にとって個室に立てこもった男性――。
世間が「関わりたくない」と避けがちな元受刑者たちの声に耳を傾ける。現在、NPO法人マザーハウスの理事長をつとめる五十嵐さんの仕事だ。
自らも詐欺や窃盗などで、3度の服役経験がある。1、2回目の出所後、社会で待っていたのは、刑務所でできた「悪い仲間」たち。再び犯罪の道に進んだ。
新たな人生を歩み直すための転機が訪れたのは、3回目の犯罪で逮捕されたときのことだ。
それまで疎遠にしていた母親が留置場に面会に訪れた。「隣近所を歩けない」と言われた。妹が離婚の危機に陥っていることも知った。自分の犯罪によって、被害者や家族に迷惑をかけていた事実があった。
拘置所で聖書を読んで、初めて自分の罪と向き合った。被害者に苦しみを与えていたと気づき、号泣すると刑務官が駆けつけた。
「こんな人間は死んだほうがいい」。そう口にすると、刑務官は「ここで死んでもらっては困る。落ち着け。まだ間に合うから」と言った。
聖書との出会いから、キリスト教の神父やシスターに手紙を出して、交流を持った。手紙を受け取った一人、プロテスタント信者の佐々木弁護士は、たびたび面会に訪れて、最終的に身元引受人となった。
●「つながり」と「帰る場所」があった
2011年12月30日、9年の刑期を終えて、岐阜刑務所を満期で出所した。社会に戻ってきた日のことは、今でも忘れない。
年月の経過とともに何もかもが変わっていた。「浦島太郎状態」ではあったが、1、2回目の出所時と違った。「つながり」と「帰る場所」があった。
向かったのは、受刑中に手紙で交流していたキリスト教信者が待つ名古屋の教会だ。初めて目にする建物やミサの様子、シスターたちの姿に思わず涙があふれ、周囲に「あなた、どうしたの?」と心配された。
夜は、教会が運営するシェルターに泊まった。元受刑者であることを話すと「そんなの関係ないよ」という言葉が返ってきた。
翌年の2012年1月11日。名古屋から東京・渋谷駅のハチ公口に向かい、佐々木弁護士と再会した。交番の前で抱き合って泣いた。そのまま佐々木弁護士に同行してもらい、生活保護を申請した。
自立しようにも、パソコンも思うように使えない。ハローワークの出所者サポートを利用しようと出向いたところ、担当者に「生保を受けることを『申し訳ない』と思わないの?」と言われた。思いがけない言葉に衝撃を受けて、支援を拒否した。
日中は教会に足繁く通い続ける中で、自分にできることを考えた。
「帰る場所がない」「行く場所がない」
刑務所の中で、受刑者たちが語っていた言葉が頭をよぎった。「誰も関わりたくなくて、孤独な人」が多い受刑者や出所者のために、できることをしたい。その思いから、彼らを支援するNPOを立ち上げることを決意した。
●「犯罪性のある」人間といわれて
ところが、社会は甘くはなかった。NPOを設立するための手順や紙の印刷方法もわからずにさまざまな人に教えてもらった。8時間かけて、A4用紙1枚の書面を完成させた。
しかし、提出後に担当者からかかってきたのは「刑務所に行ったことはあるか?」との電話だった。
正直に受刑経験を伝えると、禁錮以上の刑に処せられた場合、刑期を終えてから2年を経過しないと、NPO法人の役員になれないことが法律で定められていると説明された。
やむを得ず、当初は民間非営利団体として活動し、2014年にNPO法人となった。活動内容は多岐にわたり、受刑者とボランティアの文通活動、出所者の居場所となるカフェの運営などのほか、助けを求める受刑者がいれば全国各地の刑務所にも出向く。
複数の受刑者や出所者がマザーハウスにつながった。しかし、事件の内容も生い立ちも人それぞれ。再犯をしたり、トラブルを起こしたりする人たちの対応に頭を抱えた。研究者や実務家とともに研究会を立ち上げ、彼らとともに、何ができるかを考えた。
悔しい思いをしたことは、何度もある。ある裁判のことは、今でも覚えている。
それは、ある受刑者がマザーハウスとの手紙のやりとりを禁止され、国を相手に起こした裁判でのことだった。
千葉地裁は2015年4月、手紙のやりとりを禁止する処分を取り消し、被告である国側に5000円の損害賠償を命じる判決を出したが、国側は、五十嵐さんが、法律で手紙のやりとりを禁止できる「犯罪性のある者」にあたると主張していた。
「今」ではなく、「過去」をみていることに深く傷ついた。「生まれつきの犯罪者はいない。絶対に負けない。見返してやる」。その気持ちで己を奮い立たせ、闘ってきた。
●「しあわせになってよいのか」葛藤の日々
非難の言葉も幾度も浴びた。犯罪をおかした人が、再び社会で生きていくことの厳しさを痛感する日々が続く。それでも、10年間、もがき苦しみながらも、社会の中で生き抜いた。
その中で「しあわせ」を感じる出来事もある。社会に戻ってきてからは、パートナーに恵まれ、4児の父親となった。家族と過ごす何気ない日常に「オレってしあわせなんだな」と感じた。同時に、脳裏をよぎったのは、被害者のことだった。
「被害者は日々生き地獄を歩んでいると思うと、しあわせになってよいのかという葛藤がありました。粉々に割れたガラスを完全に修復することができないように、被害者の心は元に戻せない。謝罪したり、お金を払ったりすれば、解決する問題ではありません」
そんな五十嵐さんの心の霧を取り除いたのは、ある被害者遺族だった。小学2年(当時)の息子を交通事故で亡くした片山徒有さんだ。
「片山さんは『自分のおかした罪は忘れないでください。絶対にしあわせになって』と言ってくれたんです。彼は、私の事件とは別の事件の被害者遺族ですが、その言葉に救われました。2度と犯罪をしない。新たな被害者を生まないために、再犯を防ぐ。そのために、できることをしようとあらためて思いました」
「元犯罪者」であっても、彼らは同じ社会に生きる一人の人間だ。五十嵐さんは「犯罪をした人が最も悪い」と前置きしたうえで、再犯を繰り返す人たちの中には、虐待やいじめの被害者もいれば、孤独感や苦悩を抱えている人も少なくないと指摘する。
これからの10年は「対話の10年」にしたいと考えている。「当事者の声にも耳を傾けてみてほしい。社会の人たちと対話し、ともに考えたい。お互いを知ることで、見えてくるものがあると思う」と語る。
【NPO法人マザーハウス】
https://motherhouse-jp.org/