3人→12人→15人。パーセンテージにすると17%→52%→65%。W杯過去3大会(2010年南アW杯、2014年ブラジルW杯、2018年ロシアW杯)の最終メンバー23人の中で、欧州組が占める割合である。

 去る9月にデュッセルドルフで行われた親善試合(アメリカ戦、エクアドル戦)では、招集された全30人中、欧州組は22人(73%)を占めた。カタールW杯では招集メンバーの数は26人になるが、割合はこれと同程度になるに違いない。

 国内組の割合を記せば19人(83%)→11人(48%)→8人(35%)となる。それぞれの右肩上がりと右肩下がりの関係は鮮明になる。2026年は80%対20%前後の関係になるものと予想される。

 ともすると、日本サッカーのレベルアップを象徴する喜ばしい話に聞こえる。今季6人に増えたチャンピオンズリーガーの数も、日本サッカーの発展度を示す物差しになる。だが、その数が増えることは人材の流出を意味する。日本代表級の選手の絶対数が国内に減少すれば、おのずとJリーグのレベルは低下する。その穴を外国人選手で埋めることは可能だが、Jリーグがあるレベルを保っていないと、外国人選手にとっても市場価値の低い非魅力的なリーグに映ってしまう。いまのところ大きな問題に至っていないが、将来的には危うさを秘めている。

 日本サッカー界が抱える構造的な問題はこれに止まらない。より深刻に見えるのは、日本代表の7〜8割が欧州組であるにもかかわらず、代表戦の大半が国内で行われるという現実である。親善試合に至っては、アウェー戦はほぼゼロに近い。欧州組はその都度、半端ない大移動を強いられることになる。欧州から日本は一番遠い国に属する。極東と呼ばれる所以であることを忘れてはならない。

 代表監督は通常、どこに居を構えていればいいのか。代表監督になにより求められるスカウティングの能力は、日本に居ては磨かれない。欧州組と国内組の関係が80対20なら、代表監督が日本に滞在する時間も同じ割合である必要がある。西野朗、森保一と、日本代表監督は2代続けて日本人監督が務めていて、外国人監督を待望する声は、なぜかそれほど聞かれない。志向は内向きになっているが、現実を踏まえれば、欧州サッカーの実情に詳しい監督の方が、日本の実情に詳しい監督よりも適していると考えるのが自然だ。

 2006年のドイツW杯でオーストラリア代表監督として采配を振った名将、フース・ヒディンクは、同国代表選手のほぼ9割が欧州組で、自分自身もオランダ人であることから、合宿を専ら欧州で行った。日本もそれに習うべきときが来たという感じである。

 ところが、当時といまとでは欧州サッカーの状況は違う。欧州はネーションズリーグをスタートさせたことで、欧州各国の代表チームが欧州域外の国と対戦することが時間的に難しくなっているのだ。先のアメリカ戦やエクアドル戦のように、欧州を舞台に、別の大陸の代表チームと対戦する方式が理に適っているが、それが簡単ではないことも事実。欧州をベースに活動すると言っても、対戦相手が見つからない。解決策を簡単に見いだすことはできないのだ。

 次回2026年W杯から、本大会出場国が48に増大することも日本にとっては問題になる。アジア枠は8。現行の4.5枠の2倍近い広き門だ。日本にとっては、最終予選でさえ無風の中での戦いになる。欧州組の招集に迫られる試合はいくつもない。ほぼ国内組でカバーすることできる。

 サッカーファンの日本代表戦への関心が低下すること請け合いだ。なにより欧州組への親近感が抱きにくくなる。その兆候は現代表の森保ジャパンにも見え隠れする。くり返すがその73%は海外組で占められる。主力組といってもいいその集団は、しかし、けっして身近な存在ではない。コンスタントに観戦するためには、有料放送に加入しなくてはならない。ネットニュースを眺めれば、久保建英を筆頭とする欧州組の活躍について、情報は飛び交っているが、彼らのプレーを実際にテレビ観戦した人は、どれほどいるだろうか。