日本人も!レアル・マドリーが「0円」で獲得したスター選手10人

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数多の世界的スターを獲得してきたレアル・マドリー。

ここでは、移籍金なしのフリーで引き入れた選手たちを取り上げてみる。

アントニオ・リュディガー

2022年、チェルシーから加入

29歳のドイツ代表DF。ブルーズでは202試合に出場したが、契約延長を断って移籍を決断した。

レアルでの入団会見では「バルセロナからも興味を持たれていたが、(代理人である)兄弟にはレアル以外ではプレーしたくないと伝えた」とも明かしている。

今冬のW杯では日本代表と対戦することになるが、シュトゥットガルト時代に岡崎慎司や酒井高徳とプレーしたこともある。

ダヴィド・アラバ

2021年、バイエルンから加入

最終ラインに中盤までこなせるスーパーユーティリティとして重宝されてきたオーストリア代表DF。

431試合に出場したバイエルンとの契約更新を断るとレアル移籍を決断した。加入1年目でいきなりCLとリーガの二冠を達成。バイエルン側は彼の放出を悔やんでいる。

久保建英

2019年、FC東京から加入

バルセロナのカンテラで育成された天才。

アンドレス・イニエスタも「違いを生み出せる選手。とてもテクニックに優れ、スピードがあって技術もある。ボールを持ったら何をするべきか分かっている。それをできる選手は多くない」と評価している。

スペインから日本への帰国を余儀なくされた後、18歳で移籍先に選んだのは宿敵レアル。当初からFC東京との契約は18歳になる日までだったため、フリーでの移籍となった。

ハミト・アルトゥントップ

2001年、バイエルンから加入

10分29秒遅れで生まれた双子の弟ハリルとともに活躍したトルコ代表。弟は万能アタッカータイプだったが、ハミトはポジション的にも役割的にもより万能だった。

バイエルンでは本職の攻撃的MFで活躍した時期もあったが、出場機会が減るとレアルにフリー移籍。ただ、28歳で加わったメレンゲスでは12試合で1ゴールに終わり、わずか1年で去ることに。

退団後に対戦した際には「レアルファンに本当のアルトゥントップをお見せしたい」と発言したことも。

イェジー・ドゥデク

2007年、リヴァプールから加入

「イスタンブールの奇跡」に貢献した元ポーランド代表GK。

シュートに強く、ポジショニングもよく、左足のフィードにも優れた守護神として活躍した。2005年のCL決勝でやったくねくねダンスは伝説だ。

34歳になった2007年夏にレアルにフリー移籍。メディカルチェックでドクターから「34歳だが若い。本物のアスリート」と絶賛された。レアルでは4シーズンで12試合に出場し、現役を引退している。

ハビエル・サビオラ

2007年、バルセロナから加入

「コネホ(うさぎ)」と呼ばれた元アルゼンチン代表FW。 

2001年ワールドユース優勝を引っ提げて加入したバルセロナでは、パトリック・クライファートとの凸凹コンビとして活躍をみせた。

ただ、徐々にトーンダウンしてローン移籍を繰り返すと、最後は宿敵レアルにフリー移籍。ただ、レアルでは30試合で5ゴールに終わっている。

引退後に参加したレアル対バルサのレジェンドマッチではバルサの一員として出場した。

クリストフ・メッツェルダー

2007年、ドルトムントから加入

長身ながらスピードと足元を兼備していた元ドイツ代表DF。全盛期はドイツ最高峰のセンターバックとして評価された。

レアルでの出場は31試合に留まったが、その後はドルトムントの宿敵であるシャルケでもプレー。

引退後には児童ポルノ所持で逮捕・起訴され、有罪判決を受けている。

アルベルト・セラーデス

2000年、セルタから加入

久保と同様にバルセロナのカンテラで育成されたピボーテ。

前線へ正確なパスを武器にルイス・ファン・ハール監督から重用され、バルサのトップチームでは様々なポジションでも起用された。

バルサとの契約延長を断ると、セルタで1年だけプレーした後、宿敵レアルに移籍。当初から1年後にレアルに移籍するという事前契約を結んでいるとの噂があったが、本人はそれを否定している。

スティーヴ・マクマナマン

1999年、リヴァプールから加入

マッカの愛称で呼ばれたイングランド代表。

地元リヴァプール生まれとして364試合に出場したレッズでは運動量抜群のドリブラーとしてスターに君臨した。

27歳でフリー移籍したレアルでは、”銀河系軍団”のなかでバランサー的な役割を全う。スターを支える影の功労者として愛された。

後年、「自分は当時のリヴァプールで間違いなく最高の選手だったが、給料は最低だったかもしれない。やってきた選手のなかには、自分の2倍も3倍も4倍も稼ぐ者もいた」とリヴァプール退団の裏側を語っている。

ベルント・シュスター

1988年、バルセロナから加入

史上2人しかいないバルサ、レアル、アトレティコの3チームでプレーした経験を持つレジェンド。

8年間プレーしたバルサではキャプテンを任されるまでになったが会長と対立したこともあり、宿敵レアルへフリー移籍した。

ミシェル・プラティニの後継者としてユヴェントスがオファーを送っていたが、それを断ってレアル行きを決断。ただ、本人は神のように扱われたバルセロナでの経験は一生忘れることはないとも語っている。

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西ドイツ代表としても活躍していたが、パウル・ブライトナーとの衝突で24歳の若さで代表を引退。そのためW杯でプレーしたことはない。