「きれいごとを言っても、結局は金儲けでしょ?」その問いに稲盛和夫が出した渾身の答え
※本稿は、稲盛和夫述・稲盛ライブラリー編『経営のこころ 会社を伸ばすリーダーシップ』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。
■「額に汗しないで得られるような利益」は追わない
私は若い頃から、経営にも人生にもフィロソフィが、つまり哲学が要ると思っていました。自分の持つ哲学によって、人生も会社の将来も決まると思っていたので、中国の古典や立派な哲学者、また聖賢の教えを学び、それを自分の哲学にしよう、同時にそれを実行しようと思ってやってきました。
西郷南洲がいう人間としての正しい道、つまり正道、天道を実行し、人生を歩いていこうとしてきました。ですから、あの一九八〇年代後半のバブルのときも銀行さんのお話には乗りませんでした。
当時、京セラは高い利益を出していました。多額の預金も持っていたので、ある銀行の支店長さんが訪ねて来られたことがあります。
「社長もよくご存じの通り、昨今は株価や不動産の値段が上がっています。皆さん自分の手持ちのお金ではもちろんのこと、足りない分は銀行から借りて株式や不動産を買っておられます。そして、倍になった、三倍になったと、たいへん儲かっておられます。京セラさんは毎月、利益が上がった分を預金してくださっていますので、銀行にとってこれほどよいお客様はありません。しかし、たいへん僭越ですけれども、あえて儲かることを見過ごしていらっしゃるように思うのです。京セラさんほどの立派な会社でしたら、いくらでもお貸しします。ぜひ不動産や株式を買われたらどうですか」
私には、額に汗しないで得られるような利益、つまり浮利を追ってはならないという哲学があったので、支店長さんにそう言われても手を出しませんでした。
当時、日本の企業経営者の中で、しかも経営に余裕がある経営者の中で、不動産や株式に手を出さなかった経営者は本当に少なかったのではないでしょうか。手を出してしまったために、バブルが崩壊したあと、皆さん非常に困られたわけですが、私の会社はまったくその被害を受けずにすんでいます。
■最悪の事態のなか、4分野で新しいことを始められた理由
またその前の、オイルショックのときはたいへんな不況で、仕事がなくなってしまいました。そのため私は、「社員みんなで、全員で売りに行こう」と言いました。
工場で働いていた人たちも含めて、セラミックスの用途開発のために全員で営業に出て、市場を開拓しようではないかといって、それを実行したのです。
一方、ヒマになった技術陣には「新製品開発を手がけよう」と呼びかけました。太陽電池事業の研究開発は、そのときに始めたものです。
同時にバイオセラムという人工骨や、クレサンベールという再結晶宝石の研究開発も始めました。さらに、今たいへん伸びている切削工具、金属を切削加工する工具の開発も手がけました。
不況で注文がなく、本体の利益が出ないという苦しい局面で、従来のセラミックスの分野とは違う四つの新分野に対して研究開発の投資を始めた。最悪の不景気のときに、新しいことに手を出したわけです。
かねてから無借金で、健全な経営をやってきていましたから、当社には余裕がありました。その余裕があったために、最悪の事態のなかでも積極的に技術開発を進められたのです。
■どんな環境でも一貫して「正しい道」を歩いてきた
もちろん、すぐには成功しませんでした。太陽電池などはほんの五、六年前まで、二十五、六年間も赤字が続きました。それでもあきらめずに頑張ってきているのです。太陽電池だけではありません。
四つの事業とも、研究開発の長い呻吟の期間を経て、今では京セラの一角を構成する立派な事業の一つになっています。最悪の不景気のときに積極的な投資をし、景気がよくて、みんなが何をやっても儲かったバブルのときには手を出さないでいたわけです。
そういう話をある人にしたところ、「稲盛さんという人は天の邪鬼なんですなあ」と言われました。
「いや、天の邪鬼で、人の反対のことばかりするというふうに取られたのでは困ります。そうではなくて、私は人間として正しい道を歩いてきたつもりなのです。みんながこうするからあっちをというのではなく、どんなに環境が激変しようとも、正しい道を歩いてきた。天の邪鬼だから、人と反対のことをしたのではありません」と言っておいたのですが、浮利を追わず、公明正大に利益を追求するということがたいへん大事なのです。
■悩んだすえ「利益追求とは汚いことではない」と気づいた
経営をしていくうえで、最初に私が遭遇して悩んだのは、利益追求ということをどのようにみんなに分かってもらうか、ということでした。
特に技術で会社を立てていこうとしていましたから、大卒の優秀な人たちを大勢入れて仕事をしていかなければならない。そういうインテリたちにも納得してもらわなければなりません。
そのなかでどうしても気になったのは、「あなたはきれいごとを言っているけれども、結局、企業というのは利益追求が目的なんでしょう」と言われることでした。まさに私は利益を出さなければならないと思って、みんなに「頑張れ、頑張れ」と言っているわけですから、それにはやはり非常に悩みました。
利益を求めることはダーティというか、汚いというか、私自身にもいくらかそんな思いがあったのです。ですから、そういうふうに詰め寄られると、フッと詰まってしまう。
そして悩んだすえに気がついたのは、利益追求とは汚いことでも何でもないということでした。利益がなければ昇給もしてあげられないし、ボーナスも出せません。
■利益は将来の保証になる
もし利益が出なくて、従業員の人件費やら何やらで一定の経費だけがかかるとしますと、それだけでいっぱいいっぱいで余裕がなくなり、もう来年の昇給はできないことになります。今、利益があるということは、来年も再来年も昇給の余裕があることです。つまり経営に余裕があるということは将来の保証になるわけです。
では、上がった利益はどうするのか。半分は税金に取られます。そして残ったお金は会社に内部留保として入れる。内部留保というのは銀行からの借入れを減らし、借入れがなければ預金をして、その金利がさらにまた利益を増やしていく、という性質のものです。
私は、「天地神明に誓って、私は利益を私物化する気はありません。それは会社を支えるために、会社に取っておきます。従業員のためにこの会社を立派にしなければならないので、そのまま取っておきます」と、利益が出ることの意義を正々堂々とみんなに話しました。
■松下幸之助の「赤字は罪悪」という言葉に救われる
この利益について悩んでいるときに、松下幸之助さんが言われた「天下の資材を使い、天下の人材を使って事業を営み、赤字を出すというのは、罪悪を犯しているようなものだ」という言葉を聞いて、「ああ、これで救われたな」と思ったものです。
また、ずっと遡って、江戸時代に活躍した石田梅岩という人のことを知りました。梅岩は京都の呉服屋での奉公から始めて、のちに番頭になり、四十歳を過ぎてから教育者の道に進んで解脱をした。そして京都の街なかに塾をつくり、石門心学と呼ばれる商人道を説きました。
当時は封建制の世の中です。士農工商という身分制から、侍がいちばん偉くて、いちばん下にある商人というのは、だいたい人をたぶらかして金儲けをする。根性が曲がっている。安く仕入れてきて、それに利を乗せて高く売りつけるのが商人だ。けしからんと言われていた時代です。
そのときに石田梅岩は「何を言うか。めずらしいもの、貴重なものを安く仕入れて、適正な利を乗せて広く売るのは立派な社会行為だ。適正な利を得るということは、武士が禄をもらって生活しているのと同じだ。決して卑しいことではなく、卑屈になる必要もない」と説いたのです。
いかがわしい商売、例えば人を騙したり、とんでもないものを仕入れてきて高く吹っかけて儲けたりするのはけしからんけれども、「適正な利潤を取るのは、正当な働きの報酬だ」ということを言った。
それを聞いて、当時、非常に卑屈になっていた商人たちは、商いの道に自信を持つようになっていきました。商人が儲けると、「けしからん」と守銭奴のように言われ、人を騙して金を儲けたと思われる世相のなかで、石田梅岩が現れて、利益を得ることは立派な社会行為だと説いたので、商人は勢いづいて「なるほどそうか。それなら俺も正々堂々と立派な商人として立っていこう」と思うようになっていったのです。
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稲盛 和夫(いなもり・かずお)
京セラ名誉会長
1932年、鹿児島県生まれ。55年京都の碍子メーカーである松風工業に就職し、ファインセラミックの研究に邁進。59年、27歳のときに、京都セラミック株式会社(現・京セラ)を設立。通信自由化を受けて、84年に日本初の異業種参入電気通信事業者となる第二電電企画(現・KDDI)を設立。2010年には民事再生法の適用となった日本航空(JAL)の会長に就任。無給で再建に尽力し、12年に再上場を果たす。
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(京セラ名誉会長 稲盛 和夫)