岩下志麻、結婚生活50年超の篠田正浩監督といそしむ「断捨離」から見えてきたこと
17歳のとき、NHKドラマ『バス通り裏』(1958年〜1963年)で女優デビューしてから63年、ずっと第一線で活躍してきた岩下志麻(80)。巨匠・小津安二郎監督の遺作となった『秋刀魚の味』('62年)や、夫でもある篠田正浩氏が監督を務め、第1回日本アカデミー賞を受賞した『はなれ瞽女おりん』('77年)、着物姿にくわえタバコでドスをきかせた『極道の妻たち』シリーズ('86〜'98年)などの映画作品は、誰もが知るところだろう。
【貴重写真あり】夫・篠田正浩監督との結婚式での和装姿、生まれたての長女を囲んでの家族3ショットほか
この1月3日に傘寿(さんじゅ)を迎えたが、ピンと伸びた背筋や凜(りん)とした佇(たたず)まいは変わらない。そんな彼女に、コロナ禍の過ごし方、そして、来し方行く末を語ってもらった。
体重、体形、食生活は何十年も変わらず
「もう10年以上、太極拳を習っているんですが、週1で通っていたレッスンがコロナ禍で閉鎖になってしまったんです。それで、私から“練習をオンラインでやっていただけないかしら”と太極拳の先生に提案してみました。賛同してくれる仲間たちもいて、ZOOM(ウェブ上でのビデオ通話や会議を可能にするサービス)を通じてやっていただけることになり、大変助かりました。私、もともとスカイプなども使っていたので、ZOOMにも違和感はありませんでした。けっこう好きなんですよ、IT機器とか(笑)」
意外と言っては失礼だが、天下の大女優がスカイプもZOOMも使いこなしているということに驚かされた。コロナ禍では仕事が延期になったり、娘一家に会えないなど不自由なことも多々あるが「できないと嘆いていてもしかたがない」と岩下は言う。だからこそ、太極拳をオンラインで、と自分から発信したのだ。それは、自身の健康維持に必要だから。
「そのかわり、友人との会食やパーティーにはまったく出席していません。コンサートにも行けないし、こんなに外出できなかったことはありません。毎年、娘一家と旅行したり、ことあるごとに食事会をしたりしているんですが、それも篠田(夫である映画監督の篠田正浩氏)と私は全部キャンセル。本当なら私の誕生日には毎年、篠田のきょうだいや家族が集まってくれるんですが、それも延期にしました。我慢ばっかりで寂しいですね。
娘とは、LINEではしょっちゅう、やりとりをしています。昨年もときどき会いましたけど、マスクをしたままで短時間。もちろん、食事はいっさいしませんでしたね」
完璧と言えるまでの対策を施しているだけに、いったい、いつになったら以前のような生活が戻るのか。岩下はため息をつきながら「政策が後手後手にしか思えないですよね」と、つぶやいた。
体調管理に敏感になるのは、女優なら当然のことなのだろう。岩下はここ40年くらい、体形と体重が変わっていないという。80歳になった今も、ほとんど白髪がない。
「あまり太らない体質でもあるんですよね。私の母も80歳を越えてから、白髪が目立つようになってきたので、私もこれからじゃないでしょうか」
おっとりとそう答えるが、もちろん食生活にも人一倍、気をつけている。
「けっこう食べるんですけどね。毎日欠かさず食べているのは、お豆腐。篠田の好物で、それに付き合っていたら私もお豆腐なしではいられなくなりました。湯豆腐と冷ややっこがシンプルでいちばんおいしいですが、揚げ豆腐やあんかけ豆腐から、麻婆豆腐に炒め物まで。あらゆる豆腐料理が好きですね。あとは、もずくとトマトかしら」
結婚するとき「女優なのだから家事はいっさいしなくていい」と篠田氏が彼女に告げたのは有名な話。今も料理自体は基本的にお手伝いさんの手を借りるものの、献立は結婚以来ずっと岩下が考え、前日のうちに冷蔵庫に貼っておくのだという。
「どんなに疲れていても遅く帰ってきても、必ず毎晩やっていましたね。食事は大事ですから。魚、肉、野菜と栄養のバランスを考えて、献立を作り続けてきました。それだけは、自分でやらないと気がすまなかったの」
家族を愛する彼女の責任感のなせる業(わざ)かもしれない。
自分の仕事姿を見た娘がまさかの大泣き
岩下が結婚したのは'67年、26歳のときだ。19歳で初めて出演した映画『乾いた湖』('60年)の監督が篠田氏だった。以来54年間、ずっと二人三脚で歩んできた。'73年には、ひとり娘が生まれている。
「4年前に金婚式を迎えたとき、娘一家と京都へ旅行したんです。式を挙げた大徳寺高桐院というお寺がちょうど修復中で、拝観できず残念だったのですが……。夫婦になって50年超、確かに長いですね。でも、結婚生活をやっていけないと思ったことはないんです。結婚してすぐに篠田が独立プロダクションを作り、私もプロダクションの役員になり、それで監督と女優としてタッグを組んで、一緒にたたかっていくしかなかった。夫と妻、というよりは“同志”という感覚が強いですね。それが、いい距離感なのかも」
そんな2人の間で育った娘は、芸能界を一度も視野に入れたことがないという。
「娘は、嫌な思いをしながら大きくなったんじゃないでしょうか。どこに行っても“岩下志麻の娘”だと言われてしまうわけですから。彼女が2、3歳のころ、うちのすぐ近くでCMの撮影をしたことがあるんです。近所に住んでいた父が娘を抱いて見学しに来たんですが、娘は私を見るなり、火がついたように泣きだしたの。着物姿でお化粧もばっちりしていますから、家にいる母親と違うことを感じとって怖かったんでしょうね。
それ以来、まったく見に来ていませんし、私も自分の出演作品は1本も見せませんでした。でも私、娘の運動会や学芸会、授業参観などの学校行事には全部行っていたんですよ(笑)。彼女はうれしいような恥ずかしいような、複雑な気分だったんじゃないでしょうか」
娘は「いかに両親と離れた道を歩むか」を早くから考えていたようだ、と岩下は感じている。中学受験に関しては塾を探したり家庭教師の先生を探したりしたが、それきり娘は自立して、自分のことは自分で決めていった。
「大学の卒業旅行も、花屋さんでアルバイトをして貯めたお金で行っていましたね。“友達は地方から出てきたりして、苦労して暮らしている。自分だけ親に甘えたら、みんなに申し訳ない”と言って。そのあたりは篠田の教育が大きいかもしれないですね。彼は礼儀を含め、かなり厳しくしつけていたから。私はただただ甘やかして、“愛してる”と伝え続けてきただけです(笑)」
女優・岩下志麻と“篠田志麻”は違う?
一昨年から、夫婦はそれぞれ断捨離にいそしんでいる。今後の暮らしを考えて、自宅をリフォームするためだ。
「年齢を考えて、もう少し暮らしやすい家にしようと思って。ずいぶん断捨離しましたよ。とはいえ、捨てるのはやはり気が咎(とが)めるんですよ。だから、いーっぱいあったスチール写真や台本、ポスター、パンフレットなどは、必要なものだけ事務所に残して。あとは松竹さんの大谷図書館が引き受けてくれることになったので、ホッとしています。
お雛様は保育園に寄贈して、洋服やアクセサリーも7、8箱分、似合いそうな友人・知人に差しあげました。花嫁衣装も、打ち掛けだけ手元に置いてスタイリストさんに引き取ってもらって。私の打ち掛けは今までに、近しい女性7人の結婚式で役立ててもらったんです。誰も離婚していないんですよ、縁起がいいの」
篠田氏も、本や資料などを「しぶしぶ」整理しているという。
「昔の資料を見つけては“こんなのが出てきたよ”と私を呼ぶんですよ。そのたびに2人で“懐かしいね”なんて言ってるものだから、なかなか整理が進まない(笑)」
それもまた楽しと言わんばかりに、岩下は微笑(ほほえ)む。
夫の書斎は1階に移したが、岩下の自室は2階のままだ。
「2階にあるほうが運動になると思って、あえてそのままにしました。例えば、取りに行かなければならないものが3つあったら、わざわざひとつずつ取りに行くんです。階段の上り下りが増えるから、自然と足腰が鍛えられるでしょ」
岩下志麻は、どこまでもストイックなのだ。本名・篠田志麻さんから見た女優・岩下志麻は「一生懸命がんばってると思う」そう。逆に、岩下志麻から見たひとりの女性・篠田志麻さんは……。
「篠田志麻さんはグズというか、だらしない(笑)。私がずっと篠田志麻でいたら、きっと朝もきちんと起きず、1日じゅうダラダラと過ごしているんじゃないかしら。今はまだ、岩下志麻がそれを制しているけれど」
たとえ出かけなくても、岩下は朝早く起き、バランスのいい食事をきちんと3食とり、家の中をこまこまと動き回っている。それは彼女が生涯、岩下志麻という女優であろうとする意志のあらわれなのではないだろうか。
「でもね、“〜せねばならぬ”という考え方はしないようにしているんですよ。何かを習慣にするのはいいけれど、あまりにもこだわると自分がつらいでしょ。どこかで『ケセラ・セラ精神』を持っていないと疲れちゃいますから」
(取材・文/亀山早苗)
【PROFILE】
岩下志麻(いわした・しま) ◎1941年1月3日、東京都生まれ。両親が新劇俳優の家庭で育ち、17歳のとき、NHKドラマ『バス通り裏』で女優デビュー。'60年、成城大学入学と同時に松竹に入社。さまざまな映画作品に出演し活躍の場を広げる中、'67年に篠田正浩監督と結婚し、同年、2人で独立プロ『表現社』を設立。これまでの出演作は120本を超え、『はなれ瞽女おりん』で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、『五辨の椿』ではブリーリボン賞主演女優賞を受賞。趣味は陶芸やプロ野球観戦など。
【筆者】
亀山早苗(かめやま・さなえ) ◎1960年、東京生まれ。明治大学文学部卒業後、フリーライターとして活動。女の生き方をテーマに恋愛、結婚、性の問題、また、女性や子どもの貧困、熊本地震、ひきこもり問題など、ノンフィクションを幅広く執筆するほか、インタビュー記事も多数手がける。著書に『人はなぜ不倫をするのか』(ソフトバンク新書)、『不倫の恋で苦しむ男たち』(新潮文庫)などがある。