赤西仁、伝説のコピペ『ファンと仁とのEternal』はどのようにして生まれたのか
《だから結果ファンと仁とのEternalなんだよ結局は》
【写真】激レアショット! 渡米する赤西仁、山P・錦戸との“夜遊び時代”ほか
2021年1月13日、赤西仁のツイートでネット民は興奮の渦に包まれた。一時は「ファンと仁」がトレンド入りするまでのお祭り騒ぎになったわけだが、あの伝説のコピペ“エターナル構文”を本人が認知していたことが10年越しにわかったのだから、それも当然だろう──。まずは「何がなんだか」といった方のためにご説明を差し上げたい。
2012年2月10日0時22分。赤西仁と黒木メイサの“デキ婚”が電撃発表されたことを受けて、巨大掲示板『2ちゃんねる』(現在は5ちゃんねる)に匿名でユーザーから書き込まれた文章からすべてがはじまった。それが以下の投稿である。
《デビュー前からのファンだけど別に発狂してないよ。
もともと「結婚したい」「子供が欲しい」ってよく言ってたし、
仁に振り回されるのは馴れてるし。
こんな奴だけど好きなんだからしょうがない。
型に嵌らないのが仁だしね。
プライベートはメイサが支えればいい。
私達は仁の音楽=魂を支えるから。
その魂は私から子供へ、子供から孫へと受け継がれていくし、
そうやっていつか仁のDNAと混ざり合うから。
それがファンと仁とのEternalだし》
スレッドに強烈なインパクトを残したこの投稿は瞬く間に話題となり、『2ちゃん』内でコピペ化された。以降、著名人が結婚したときなどに名前やフレーズを改変して投稿するというのが流行、どのバージョンも最後は「それがファンと仁とのEternalだし」で締めるのがお決まりであることから“エターナル構文”と呼ばれるようになった。
メイサと“対等な立場”に
そんなネット上の閉鎖的空間でのみで通じる“コピペ”に、約10年ものタイムラグを経て赤西が反応をみせたというわけである。なぜ今になってツイートをしたのか。同日にパパになることが発表された嵐・二宮和也への祝福では? との記事もあったが、推測の域を出ず。ただただファンやネットオタクたちは、かの有名なコピペが“本人公認”に昇華した瞬間に立ち会い、感動するのであった。現に赤西の当該ツイートにはそういったリプライが多数届いている。
このコピペ、赤西仁の1stシングルの曲名『Eternal』(意味は「永遠の」)を引用した最後の一文が取り上げられがちだが、よくよく読み返してみると全体を通して名文である。
誰に煽られたわけでもないのに「デビュー前からのファンだけど、別に発狂してないよ」と妙に落ち着いたトーンの語り出し。冷静を装ってはいるが、文面からはどうしても“結婚を素直に祝福できない”ファン心理が溢れ出てしまっている。だからといって、決してメイサに誹謗中傷をぶつけたりはしない。「プライベートはメイサ、音楽は私達」と謎の役割分担をふりわけてイーブンな立場をとり、ノーダメージを訴えてみせるのだ。
と思いきや一転。その想いは突然、果てなき航海へと舵をきる。
我が子からまたその子へ、音楽=魂を継承しつづけていれば、“いつか仁のDNAと混ざり合うから”──。なんちゅうダイナミズムや。そしてそれは、途方もない二重らせんの未来を信じると同時に、「生きているうちに仁と結ばれることは諦めた」切ない宣言ともとれる。悟りの境地だ。
途中で主語が「私」から「私達(ファン)」に切り替わる点にも注目だ。もしこの投稿が、
「私が仁の音楽=魂を支えるから」「それが私と仁とのEternalだし」
であったら、ここまで有名なコピぺにはならなかったと思う。一人称が「私たちが〜」「ファンと仁との〜」とすることで、“誰かを心から応援したことのあるすべてのファンたち”の心に刺さったのではないだろうか。もちろんヤバいファンの狂言として、(笑)つきではあるのだが、この文章が今も形を変えて受け継がれているのにはそういった理由もあるだろう……と、自分でもなぜこんなに熱くなっているのかわからないが、とにかく、約10年の時を経て彼女の魂は仁のSNSと混ざり合ったわけである。
「基本オールマイティ」から「基本洋楽」に
ところで、名作コピペはどのようにして生まれたのだろう。その背景には“仁のファン”だからこその必然もあったのではないかと考える──。
1998年にジャニーズ事務所に入所、Jr.時代から絶大な人気誇っていた赤西はジャニタレとしてはかなりの“異端児”であった。
2001年に結成したときから「売れる」と言われ続けてきたKAT-TUNがようやくデビューをしたのが2006年3月。やっとスタート地点に立てたにも関わらず、その半年後に赤西は“無期限の活動休止”を発表。語学留学のためにロサンゼルスに渡ったのだが、発表当時は「渡航の時期、留学先、期間も不明」だったというから驚きだ。会見ではこんなコメントを放ったという。
《留学したいというのは、前から……。だいたい、年でいうと、17〜18歳のころから思っていまして。そこで何をするかっていうのは具体的には申し上げられませんが。語学にはもともと興味あるんですけど》(『女性自身』2006年10月31日号)
KAT-TUNがこれからだというときに、上記のような煮え切らない理由で休むというのだから、ファンからしても「何を言っているんだ」であろう。会見場には100人の女性が集まって大泣き、パトカーが出動したとの報道もある。また、留学を知ったメンバーの亀梨和也は「マジ、ふざけんな! あいつどこまで俺たちの足を引っ張るんだ」と叫んだとの話も……。
そんなこんなで日本を発ち、半年の留学をしたわけだが、その間もただで済まないのが赤西仁。ほかのメンバーが日本で不慣れなテレビ業界に揉まれている最中、サンタモニカのイタリアンレストランで“金髪美女と4対4の合コン”をしていた(『週刊女性』2006年12月19日号)などパーリーピーポーなニュースを欠かさず届けてくれた。
赤西本人が語っていたところによると、彼が作曲をはじめたのは16~17歳のころだという。2004年にインタビュー取材でどんなCDを聞くのかと質問され、こう答えている。
《基本的に聴く曲はオールジャンルですけど、今の季節だとクリスマスソングがいいですね。B`zの『いつかのメリークリスマス』、Kinki Kidsの『愛のかたまり』、ワム!の『ラストクリスマス』とかが好きです》(『オリコンスタイル』2004年12月20日号)
しかし、留学から帰ってきたあとは過去を捨てたかのように、
《Internationalな感じでいければなぁというのは、いつも思っていること。音楽も、基本、クラブ・ミュージックとか洋楽のほうが好きなんで》(『MORE』2008年7月)
要するに、アメリカにかぶれてきたのである。
それは人間誰しもに訪れる変化であり、成長だ。しかし、好き勝手に振る舞い、チームの輪を乱す厄介者と捉えたKAT-TUNのファンもいたに違いない。その後も山下智久、錦戸亮らと“赤西軍団”を形成し、夜遊びに繰り出していたという報道は数知れず(スマホバキバキ事件とか)、熱愛もスッパ抜かれまくり。素行不良の面から離れていったファンも多かっただろう。そしてついには2010年、グループを脱退してソロ活動へ。その理由についても「方向性の違い」と超ざっくりだ。無論、またファンは泣いた。
このように、赤西は自らが起こしてきた“ジャニタレにあるまじき破天荒な行動”の数々によって、無意識のうちにファンを厳選してきたのではないだろうか。「ファン辞めます」「もうついていけない」そんな淘汰のあとに残った強きハートを持った精鋭たちが赤西を支えてきたのだろう。つまり、“仁に振り回されるのは慣れてるし”な人たちだけが残ったのではないか、ということだ。
《彼は永遠を信じ、かつ揺るぎない愛を信じている》
当時、音源化されていなかったにも関わらずライブで披露され、大きな話題を呼んでいた『Eternal』がソロデビューの際にシングルカットされたのが2011年。友人の結婚式で歌うために作っていた(『anan』2010年1月20日号)こともあってか、歌詞は全て日本語で構成されている。当時の赤西は英詞の曲を量産していただけに、ひときわ人気を得ていた(実際、かなりいい曲である)。
ファンを顧みない奔放な言動や私生活でファンを適者生存の環境に置いてきた彼の、そのカリスマ性の最たる象徴はやはりステージ上でのパフォーマンスだったのかもしれない。
以下は2011年に行われたライブ『Yellow Gold Tour3011』のライブレポートだ。
《最後の『Eternal』は、優しかったり激しかったり、彼の多彩な息づかいが感じられる曲である。過去から現在へ、そして未来へ。彼は永遠を信じ、かつ揺るぎない愛を信じている。自分を愛してくれる仲間とファンを信じている。彼の、そんなピュアな想いが、歌声から伝わってくるようだった》(『オリ・スタ』2011年1月31日号)
なんと、この書き手も“仁の音楽=魂”の解釈をしているではないか。というか、大約すればあのコピペと言ってることは同じと思えるほど絶頂ぶりある(もちろんライターは女性)。ファンのみならず、彼の活動を伝えるエンタメ誌ライターも魂の継承者だけが残ったかたちか。“エターナル構文”も「どうなってもついていく」と腹をくくった赤西仁のファンだったからこそ生み出せたのだろう──。
そのライブから1年後の2012年1月25日、赤西と黒木メイサの交際が発覚した。
前年の11月にメイサにF1レーサー・小林可夢偉との“箱根温泉で密会”疑惑が流れたばかりだったこともあり、当時、世間は騒然。さらに追い打ちをかけたのは、直後の2月9日に「2月2日にデキ婚していた」ことが報じられたことだ。ジャニー喜多川氏もそのことを新聞で知ったことや、メイサがCM契約中にスポンサーを無視しての婚姻届を出していたことから、“突破婚”と題されるほどの混乱ぶりであった。聞いたことないよそんな表現。
その結婚発表から日付が変わって間もなくの2月10日の0時22分、あの“エターナル”投稿がなされた。
まさかの“突破婚”に驚いていないはずはない。状況をうまく消化できないながらも“こんな奴だけど好きなんだからしょうがない”から想いを書き込んだのだ。きっと、そのようにして名文は誕生したのである。
ところで“エターナルさん”本人は今、赤西のツイートをみて何を思っているのか。
気になっていろいろと検索してみたが「現在はキスマイ玉森担らしい」といった真偽のほどは定かではない書き込みを見つけた程度で、有力な情報は得られなかった。が、そもそも詮索すること自体が野暮だと気づいた。どうでもいいよな、いつか皆のDNAは混ざり合うし。それがファンと仁とのEternalだし。
〈皿乃まる美・コラムニスト〉