問題の背景を理解するには、制度の変遷をひもとく必要があります(写真:一路 / PIXTA)

あなたは、自分の給与に満足していますか?

「満足している」と即答できなかった人も少なくないかもしれません。『DODA』が2017年に、全国の20代ビジネスパーソンの男女300人を対象に実施した「給料の満足度」に関する調査では、「給料に満足していない」と答えた人が半数を超える結果になりました。

給与に対する不満とは、評価と給与の連動の不透明さに対する不満でもあると言い換えられます。そのため、「仕事の量や質に報酬が見合っていない」「正当な評価を受けられていない」と感じる人が多いのでしょう。

特に、中小企業では、こうした不公平感が広がっています。会社の規模が小さいと、いわゆる社長が「ペン舐め」をしながら、社員の査定を行い、給与を決めているケースがほとんどです。「なぜ、自分の給与がこの額なのか」わかっている社員は、ほぼ皆無でしょう。

これでは、誰も自分が「正しく評価されている」とは思えません。明確な基準がないため「社長が好みで決めているんじゃないのか?」という思いを抱き、給与に関して不公平感を持ってしまいます。

どうしてこんなに給与への不満が絶えないのでしょうか? この問題の背景を理解するには、日本における給与制度の変遷をひもとく必要があります。

日本企業の給与システムは「賃金の抑制」が目的

そもそも、日本において給与とは「社員一人ひとりに適正な評価を行い、見合った給与を支払う」という考えに基づいて制度化されてきたわけではありませんでした。

戦後、日本企業は企業側の「賃金の抑制」を目的に給与決定のシステムを構築してきた経緯があります。

戦前・戦後の日本には、「学歴別初任給」の時代がありました。これは、大卒かどうか、また、大卒の中でも大学名によって初任給が変わる制度です。そこから、戦後、スキルや知識を重視した「職能資格制度」が導入されていきます。

表向きは「学歴だけでは、働くうえでの優劣は測れないから」という名目でしたが、その裏には、高学歴化が進み大卒者が増えたことで高騰する給与を抑制する目的がありました。

そして、戦後の高度経済成長期を迎えます。日本経済が右肩上がりに成長していく時代を支えたのが、終身雇用と年功給です。この2つに会社の方針に協力的な企業別組合を加えたものが、日本型経営の「三種の神器」と呼ばれ、海外からも大変注目を浴びました。

企業側・社員側、ともに一致団結した「集団管理型」というべき人事評価制度の中で、戦後、日本企業は飛躍的な成長を遂げました。日本型経営とは、いわば「家族経営」。終身雇用で、会社が社員の人生を背負っていくというものです。

個人の能力や業績に応じて給与を上げたり下げたりするのではなく、出産、マイホーム購入などのライフイベントに合わせて「手当」を与えることで、基本給の不足分を補うという思想だったのです。

ところが、この制度はバブルの崩壊、グローバル化の進展によって破綻し始めます。業績は右肩上がりで会社は決して潰れない、社員は生涯会社を辞めない、という前提が崩壊したからです。

そこで新たに登場したのが「成果主義」です。能力や努力のような目に見えないものではなく、目に見えるアウトプット(成果)を評価や処遇に反映していこうとするものでした。欧米から日本に成果主義が広まるにあたり、その主となったのはMBOと呼ばれる成果目標管理制度でした。

しかし、この成果主義の導入にあたっては、結果的に多くの企業が失敗し、その後、方向転換を強いられています。その1つが、富士通です。

成果主義の弊害があらわになった「富士通の失敗」

富士通が「社員のやる気を引き出し、競争力を強化する」とうたい、主に管理職に成果主義を導入したのは、1993年のことでした。その後、全社員にまで制度を広げ、年功序列を全廃しました。

半年ごとに社員一人ひとりが目標を定め、その達成度を上司が5段階評価し、賞与や給与、昇格に反映する。こうした富士通の取り組みは日本企業の中でも先進的なもので、その後、成果主義を導入する企業は増加傾向にありました。

ところが、富士通社内から成果主義の弊害を訴える声が挙がったのです。成果が給与に直結するため、失敗を恐れる社員が増えたこと。さらに、半年の目標設定と達成具合によって評価が決まるため、長期間にわたる高い目標に挑戦する社員が減り、ヒット商品が生まれなくなったこと。また、地味な通常業務がおろそかになり、アフターケアなどの場面でトラブルが続出したという声もありました。

個人の成果は数値で表すのが難しく、結果的に所属する部門の業績となります。業績のいい都市部の事業所や大型プロジェクトに所属している社員が実質有利で、個人の努力や働きぶりは実際には考慮されておらず、給与が「不公平である」との声も出ていたようです。

成果主義への不満により、社員の士気は低下。結果、業績は悪化の一途をたどり、2004年には、3年連続の赤字を回避するため、社員の給与カットにまで追い込まれました。その後、富士通は失敗を分析し、短期的な成果だけを評価することをやめています。

富士通の失敗からは、成果主義を「短期的な成果・結果主義」ととらえることの危険性を学ぶことができます。短期間で達成できる数値目標のみを評価の対象としたことで、大きなチャレンジや長期的な目標を追いかける人材が不足してしまったのでしょう。

企業活動では、今すぐ儲けにつながらない、種まき的なチャレンジを必要とされる局面が多々訪れます。中には、数年かけて投資を回収する事業もあります。

そのときに挑戦した人材を評価する制度があってこそ、人が育つのです。数字的な成果、特に業績と連動した成果だけに特化することは、人を育てず、長期的な事業の芽も摘んでしまいます。

それでも、その後、成果主義を取り入れる企業は増えていきました。それは、なぜか? 成果のみで管理する人事評価制度が、当時の企業にとって、給与をダウンする方向でコントロールするのに、有効に機能したからです。

バブル崩壊後、右肩上がりの成長を持続できなくなった企業にとって、会社の業績が上がらなければ、個人の評価も上がらないという成果型の目標管理制度は、賃金を上げないために都合がよかった。つまり、コストをできるだけ抑制したい企業側の理屈で採用された人事評価制度といえます。

一方で、能力やスキルは、いったん身につけてしまえば基本的には失われません。以前の職能資格制度では、賃金を下げる理由を見つけるのが難しかったのです。

これが今、成果主義という言葉にネガティブな印象が付きまとう一因だと私は考えています。「マイナスイメージ」は人事評価制度が、「給与を下げるための物差し機能」だったからなのです。

一方、拙著『給与2.0』でも解説しているように、社員と会社が対等な立場で、給与について交渉し、その額を決めている会社もあります。大きな方向転換に迫られる時代がやってきたと、私は考えています。

働き方改革は残業代のカットにしかならない

現在、政府が主導し進めている働き方改革。現場では、働き方改革イコール労働(残業)時間の短縮ととらえられています。

しかし、本当にそうなっているでしょうか。社員たちは労働時間が細かく管理され、残業を許されない風潮が強まっています。それに伴い、会社に残れず持ち帰りの仕事が増えたとの声も聞こえてくるのです。

さらに、労働時間の短縮は、現状では事実上「残業代」のカットを意味しています。働き方改革のせいで、自分の手取りが減ると戦々恐々としているビジネスパーソンも多いことでしょう。


しかも、実際には仕事の総量が減るわけではなく、残業代の出ない持ち帰り仕事をせざるをえないのが現実です。

また、若手が早く帰らなくてはいけない分、中間管理職の残業が増える傾向も見えてきました。つまり、管理職側からも、残業代を期待できない若手側からも、不満が挙がっているケースが少なくないのです。

長時間労働の是正は、残業代の削減、すなわち実質的な給与カットにつながっています。

こうした時代環境の中で、ビジネスパーソン一人ひとりが、給与の本質について考える必要性が高まっています。「いち社員の自分には、給与体系は変えられず、そのまま受け入れるしかない」と前時代の仕組みをそのまま受け入れるのか、それとも今こそ会社に寄りかかった自分の働き方を見直し、給与を上げる契機とするのか。大きな分かれ道を迎えているといえます。