中村俊輔の胸を揺さぶった、「生涯忘れられない」感動の横断幕を知っているか
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すでに大きなニュースとなっている、中村俊輔のジュビロ磐田への移籍。
プロデビュー以来、Jクラブではマリノス一筋を貫いてきたファンタジスタが大きな決断を下した。
【中村俊輔選手 ジュビロ磐田へ完全移籍のお知らせ】
横浜F・マリノス所属の中村俊輔選手が、2017シーズンよりジュビロ磐田へ完全移籍することが決まりましたので、コメントと併せてお知らせいたします。 #fmarinos pic.twitter.com/D2XBRfyLP2
- 横浜F・マリノス【公式】 (@prompt_fmarinos) 2017年1月8日
チームのレジェンドである中村の退団に、横浜F・マリノスは臨時声明を発表。クラブとしては全力で慰留したものの、中村の決断を尊重した形となったという。
誰よりもマリノスを愛していた中村にとっても、クラブを離れることは簡単な選択ではなかったはず。
中村は退団に際し長文でファンに対してメッセージを送り、移籍の理由について「現役を退くその最後の瞬間まで、真摯に、そしてなによりも喜びと楽しさを持って向き合うため」と説明している。
そんな中村はこのメッセージの中で、ある印象的なエピソードについて語っている。その内容は以下の通り。
「2010年、横浜に戻ってきた自分を温かく迎え入れてくれたことは、今でも鮮明に覚えています。
2013シーズン、ファン・サポーターの皆さんと優勝を分かち合えなかったことは、とても残念なことですが、9月21日の自分個人への身に余るゴール裏の横断幕は、セルティック時代でさえ経験はなく、心の奥底に深く刻まれ、生涯忘れることのないものとなりました」
マリノスで様々な経験をしてきた中村だが、なかでも記憶に残っているのが3年前のある横断幕だという。
2013年9月21日、J1は第26節が行われた。
このシーズン、樋口靖洋監督率いる横浜FMは開幕後7節まで首位をキープ。その後順位を落とすものの徐々に軌道修正を図り、第23節には首位に浮上する。
悲願のリーグ制覇まであと9試合。そうした状況で迎えた清水エスパルス戦、ニッパツ三ツ沢球技場に集まった横浜FMのサポーターはこんな横断幕で選手たちを出迎えた。
そうだよな〜。
当たり前に俊さんの10番ユニ着て、スタジアムやTVで応援やるけど、これって凄い事なんだよね!
愛しているFマリノスのキャプテンが中村俊輔!
勝敗も大事だけど、マリサポである事に喜びを感じる!
俺達は俊輔と優勝したい! pic.twitter.com/SKN7DndJmZ
- Nobushige⚓ (@nobushige7878) 2014年5月17日
ゴール裏のフラッグに書かれていたのは、「俺達は俊輔と優勝したい」という11文字。
Jリーグで年間優勝を3度経験している横浜FMだが、これらはいずれも中村不在時に達成したもの。それだけになんとしても中村とともに優勝したく、このようなメッセージを書いたのだ。
シンプルながら、サポーターの優勝に対する熱意、そして中村への想いの強さがひしひしと伝わってくる言葉だ。この日中村は先発出場しており、ファンの期待に応えるかのように決勝ゴールをあげている。
中村はあのセルティック・パークで、これまで何度もファンを沸かせてきた。マンチェスター・ユナイテッド戦でフリーキックを決めた時、あるいはオールドファームでミドルシュートを突き刺した時の興奮はきっと抑えきれないものがあったはずだ。
しかし、これだけ胸を揺さぶられたのはセルティック時代でさえ経験がなく、心の奥底に深く刻まれたという。世界を舞台に戦ってきた選手だけに、その言葉に深みを感じる。
ちなみにこの中村、以前にもスピーチでこの横断幕についてコメントしている。
2013年のJリーグウォーズで「Jリーグ最優秀選手賞」に輝いた際の発言の一部を紹介する。
「監督、コーチ、チームスタッフ、トレーナーの方々、F・マリノスに関わる全ての方々にサポートされて、この賞をいただけたのだと思っています。どうもありがとうございました。
そしてサポーターの存在です。9月21日の試合で横断幕を見ると、私個人へのメッセージが入ったものを見ました。本当に感動しました。あのことは一生忘れないと思います。本当にありがとうございます」
運命とは残酷なもので、このシーズンの横浜FMは最終節で川崎フロンターレに敗れ優勝を逃す。
ピッチにうずくまり涙する姿が印象的だ。結局中村は在籍13シーズンで横浜FMのリーグ優勝に立ち会うことができなかった。
しかし、それでも中村にとって「2013年9月21日」は、サッカー人生を振り返った時に忘れられない日となったのだ。