目撃者証言の意外な危うさが冤罪を…『つくられる偽りの記憶 あなたの思い出は本物か?』

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この数か月だけでも、冤罪の再審理にかんするニュースがいくつも出てきた。
北関東の女児殺害、2002年の男児殺害(豊川事件)、1985年の熊本・松橋(まつばせ。のちの宇城〔うき〕)での殺人。

こういうときに必ず、被告人の供述や目撃者証言の信憑性が話題になる。
取調中の容疑者が捜査員との擬似的な「協力」関係を無意識に構成してしまう傾向も興味深いが、多くの人にとってもっと身近なのは、交通事故や暴行・傷害、あるいは痴漢などの被害者・目撃者証言の意外な「危うさ」だろう。
自動車や自転車や満員電車でラッシュアワーに通勤・通学している人には、毎日の問題だといえる。

人間は暗示に、そして自己暗示に、いともたやすくかかってしまう。
越智啓太『つくられる偽りの記憶 あなたの思い出は本物か?』(化学同人《DOJIN選書》)は、こういった記憶の脆弱さについて、とてもわかりやすくおもしろく、一般向けに書いた本だ。


記憶はその都度再構成される


著者は警視庁科学捜査研究所(科捜研)のOBで、法政大学文学部心理学科教授。
映画好きであり、本書にも『ボーン・アイデンティティ』『ロング・キス・グッドナイト』『トータル・リコール』『インセプション』と、記憶にまつわる映画の話がバンバン出てくる。


僕らはついつい、人間の「記憶」というものを、書類棚のなかに書類がつっこまれているような、あるいはハードディスクやクラウドにファイルが置かれているような、そういう形式でイメージしてしまう。
けれども心理学的に言えばこれは誤り。
人間がなにかを思い出す=想起するという行為は、じっさいにはその都度その都度、記憶を再構成しているという作業なのだ。

もしそこに、人間の情動を喚起するような刺戟が加わると、自分の実体験とズレた贋の記憶(false memory)ができる。
贋の記憶と言うと、それとはべつに「ほんものの記憶」が存在するように感じるけれど、そうではない。
いかなる記憶も、構成されるプロセスは違わなくて、その結果が実体験と一致するか相違するか、というだけの違い。相違するものがフォールスメモリーと呼ばれるにすぎない。

ディズニーランドでバッグズバニーと握手した?


本書はいくつもの実験結果を紹介し、そのいずれもが興味深い。
とくに印象的だったのが、K・A・ブラウンらが2002年に報告した、ディズニーランド記憶捏造実験。

この実験のために作られた、ノスタルジックな情動を強く喚起するような「広告」文を読ませることによって、被験者たちに、
「自分が幼年期に訪れたディズニーランドで、アリエルと握手した」
「自分が幼年期に訪れたディズニーランドで、バッグズバニーと握手した」
などということを「思い出させる」ことができた。
アリエルは1989年に『リトル・マーメイド』で登場したキャラで、被験者たちの幼年期には存在していなかった。またバッグズバニーはディズニーではなくワーナーBros.のキャラクターだ。

もし、ミッキーがいる空間でバッグズバニーと握手するようなことがあったら、あなたはルーカスフィルムに続いてワーナーがディズニーに買われてしまったパラレルワールドまたは未来に紛れこんでしまったか、さもなくばどこか中国のテーマパークにいるのだ。

記憶にかんするさまざまな洞察


本書は「記憶」についてきわめて示唆的な洞察に満ちている。

〈ニュートラルな出来事よりもネガティブな出来事のほうがより多くの子どもたちにフォールスメモリーを生じさせた〉
〈一般にネガティブな出来事のほうが、明確にイメージしやすい〔…〕。トラウマや虐待などの嫌な記憶が埋め込まれやすいのは、この効果が存在しているからとも考えられます〉

これは心理学で言うネガティヴィティバイアスとも関係がありそうだ。

また、エピソード記憶は3歳くらいまでしか遡れない。それ以前は認知システムが未発達なのだ。エピソード記憶の形成と言語の習得には関連があるかもしれないという。
このあたりは物語論(ナラトロジー)とも大いに関係がある。
なお、人間の自我意識それ自体が、エピソード記憶を構成するために要請された装置ではないか、という説もある。詳しくは前野隆司教授の『脳はなぜ「心」を作ったのか 「私」の謎を解く受動意識仮説』『錯覚する脳 「おいしい」も「痛い」も幻想だった』(いずれもちくま文庫)を参照されたい。


出生児記憶、前世、エイリアン・アブダクション……


本書『つくられる偽りの記憶』の著者・越智啓太教授は科捜研OBらしく、目撃者証言の擬似記憶の話から記述を始める。
けれどその贋記憶論のレンジは広い。
トラウマ捏造証言や、三島由紀夫の『仮面の告白』で有名な出生時記憶といったセラピー案件、前世記憶やエイリアン・アブダクション体験談などの《ムー》的事例が、実験によって解明されていく。


エイリアン・アブダクションとは、異星人のUFOに誘拐された「体験」のこと。米国のタブロイド記事ではおなじみの話題で、「ロズウェル事件」と並んで映画『インデペンデンス・デイ』に取り上げられた(『リサージェンス』を早く観に行きたい!)。


ちなみにこの心理現象については、心理学者スーザン・A・クランシーの『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』(林雅代訳、ハヤカワ文庫)もおもしろかった。


「むかしはよかった」は「エイリアンに誘拐された」と同列


人間というのは不合理なものだ。自分の不合理さのせいで苦しんだりもする。
当たり前の事実なんだけど、これをつい忘れてしまう。
本書で報告されている数々の奇天烈な事例を見ると、この「当たり前の事実」を思い出す(=記憶を再構成する)。
そして人間はたまには、その不合理さのおかげで助けられたりもするのだった。

越智啓太『つくられる偽りの記憶』では、前世やエイリアン・アブダクションと同列に、老人の「むかしはよかった」が論じられるのが痛快でした。いわゆる『「昔はよかった」病』(新潮新書Kindle)ですね。


「むかしはよかった……」
「いまどきの若者はけしからん!」
とお年寄りや上司やバイト先の先輩が言ってたら、「エイリアンに誘拐された」って言ってるか、架空の前世の話をしてる、くらいに聞いておいたほうがいいよ!
(千野帽子)