家族以外にお世話になっている人は、たくさんいますよね。自分の命がなくなる瞬間、それを見守ってくれるのは家族だと思っていても、実はそうでない場合もあるかもしれません。今回は、明治時代の文豪・夏目漱石の親友エピソードをお届けします。


明治を代表する文豪・夏目漱石



明治時代にはたくさんの名だたる文豪がいますが、その中で誰と誰が親密だったかまではなかなか知ることはありませんよね。
たとえば、最も有名な文豪のひとりである夏目漱石。
彼の親友が誰であったか、ご存知でしょうか?
それは……正岡子規です。

「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」という句で有名な、正岡子規。
実は彼と漱石は、大学予備門で同級生でした。
同い年でありながら、漱石は子規に俳句を教わり、文学的な影響を大きく受け、弟子のような存在だったといいます。

2人の性格は、真逆でした。
漱石は真面目で神経質。友人も少なく内気な性格。
子規は底抜けに明るく、多くの友人がいたといいます。
それでも2人は生涯に渡って、お互いを大切に思いあっていました。

漱石がどんな人物であったか後の世で知ることができるのは、正岡子規のおかげだとも言われています。
なぜなら、漱石は物を持たない主義で、手紙や日記などのものは、すべて燃やしてしまうクセがあったのです。

この点においても真逆だったのが、子規。
彼は筆まめで、しかも記録魔だったため、すべてを燃やしてしまう漱石の性格を把握して、彼からもらった手紙をすべて保管していたのでした。
もし、子規がきちんと保管していなかったら、漱石のプライベートはもっと謎に包まれていたかもしれません。

2人の友情は、子規が亡くなる直前まで続きました。
子規の晩年に、漱石はロンドンに留学していたのですが、海外に行くという夢を叶えられない子規のため、漱石は一冊の本になるくらい大量の手紙を書き、ロンドンの様子を送り続けたそう。
子規は、それを読みながらとても喜んだのだそうです。

真逆だからこそ、足りない部分を補い合い、リスペクトできる関係。
なんだか2人がうらやましい気もします。

文/岡本清香

TOKYO FM「シンクロのシティ」にて毎日お送りしているコーナー「トウキョウハナコマチ」。江戸から現代まで、東京の土地の歴史にまつわる数々のエピソードをご紹介しています。今回の読み物は「正岡子規と、夏目漱石」として、3月15日に放送しました。

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