ぼくはさいごまで清原に「笑って」とはお願いしなかった。装丁家の見たある日の清原和博
「臍は出さないで」
清原の写真を
なぜ大橋仁にしたか
それは鏡のように
清原がはね返って
くるような写真だから
大橋仁の写真は
そういう写真
ずいぶんまえにかいた
装丁の仕事に関するぼくの
メモ書きだ
2008年、清原和博の本の装丁の依頼がきた。野球人としての清原をぼくは好きだったのでとてもうれしかった。
雑誌の取材も兼ねるということで、写真を新たに撮る時間と金があるという。だれかお願いしたい写真家はいますか? と聞かれたので、「大橋仁さんにお願いしたいです」と即答した。「目のまえのつづき」「いま」、ぼくは大橋さんの写真が好きだ。清原の写真は、大橋さんがぴったりだと思った。撮影前に大橋さんから電話がかかってきた。「どういうふうに撮影しますか?」「どうしましょうか?」「清原が札束を浮かべた風呂に入って、二カッと笑っている写真はどうですか?」「大橋さん、何にもしていない写真でお願いします。背景も白ですっ飛ばして!」
恵比寿のスタジオで撮影だった。当日1時間以上遅れてきた清原は、時間がないという。大橋さんは平然としていた。そういうことは慣れっこなのだろう。清原はずっと怒ったような表情をしていた。かといって怒っているわけではない。おべんちゃらができないのだ。こちらが「上半身裸で」「20度ずつ回転してください」「両手をみせてください」いろいろお願いしても、嫌な顔はしなかった。黙って指示通りに動いてくれた。ひとつだけ、手のアップを斜俯瞰で撮影しているときに、「臍は出さないで」と言われただけだ(笑)。ただ笑顔は見せなかった。ぼくはさいごまで清原に「笑って」とはお願いしなかった。みかねたプロデューサーらしきひとが清原に笑ってくれるように指示をだした。清原はじつにぎこちなく笑顔を見せた。
ぼくは、清原が大橋仁のカメラをにらんでいるカットを装丁に使った。デザインのラフをみた当時の清原の事務所のえらいひとから出版社に、笑っている清原の写真を使うように指示が出た。そのことを編集者から伝え聞いたぼくはとても腹を立てた。もしもあのぎこちなく笑う写真を本の表紙に使うのなら、この仕事をおろさせていただきますと伝えた。
いま清原和博が世間を騒がしている。ぼくはそういうことにはあまり関心がない。罪をつぐなって、野球人としてまた戻ってこれるのならぼくは嬉しい。
(守先正・ブックデザイナー フェイスブック)