2010年南アW杯準優勝。2014年W杯3位。スペインと戦った南ア大会決勝は、延長にもつれ込む接戦だった。ロッベンの決定的シュートをスペインGKカシージャスが、奇跡的なセーブで止めなければ、オランダは優勝していた可能性が高い。アルゼンチンと戦ったブラジル大会準決勝ではPK負け。いずれも、タラレバ話をしたくなる成績以上の終わり方をした。

 とはいえ、代表チームの成績は、必ずしもその国の実情を正確に反映したものではない。2010年南アW杯の時点で、僕はオランダがその該当国に見えていた。あるレベルに達した好選手の数が、一頃に比べ大幅に減っていたからだ。

 2014年ブラジルW杯。初戦のスペイン戦に5−1で大勝した余勢を駆り、準決勝まで駒を進めることができたのは、切り札であるロッベン、ファンペルシを最大限活かす、割り切ったサッカーをしたからだと思う。
 
 ワンマンチームならぬツーマンチーム。その両エースも30歳を超えていた。近い将来、オランダ代表は下り坂に向かう。同様に、近年W杯で好成績を挙げているスペイン、ドイツとは事情が違う。そして、ブラジルW杯で抱いたその予感は、ユーロ2016予選で現実のものとなった。
 
 オランダは予選A組で4位に沈み、本大会出場を逃した。2002年日韓共催W杯以来の失策だ。しかし、この時と今回とは深刻度という点で大きな開きがある。2002年は、戦力的には十分だった。やり方を間違え、番狂わせを許した末の敗退劇だったのに対し、今回は実力負け。ロッベン、ファンペルシの両エースが、予選を通して五体満足な状態ではなかったことも大きな理由だが、彼らがいなければどうにもならない現実は、ユーロ後に始まるW杯予選にも影響するだろう。その将来は決して明るくないと見る。
 
 オランダと言えば、トータルフットボール発祥の地。攻撃的サッカーの母国だ。世界のサッカーは、1970年代前半のアヤックス、1974年西ドイツW杯で準優勝を飾ったオランダ代表のプレイを機に大きく変わった。
 
 1980年代後半、プレッシングサッカーを提唱したアリゴ・サッキは「トータルフットボールが出現する前と後で、サッカーの概念は180度変わった」と、こちらのインタビューに答えているが、そのサッカーは現在の世界に大きな影響力を与えている。
 
 布陣という側面から見ても、1998年フランスW杯でオランダ代表をベスト4に導いた、フース・ヒディンクが採用した4−2−3−1と、オランダ伝統の4−3−3が、いま世界で優に半分以上のシェアを誇っている。
 
 いま攻撃的サッカーと言えば、スペインを連想するが、それはクライフがバルセロナに渡ったことで普及、浸透していった。現在のスペインの繁栄はオランダなくして語れない。そう言っていい。そしてバルサで、クライフの一番弟子と言われたグアルディオラは、バイエルンに渡り、ドイツにおいてオランダの流れを汲む攻撃的なサッカーを披露している。そしてそれは、ドイツ代表にも大きな影響をもたらしている。

 スペイン、ドイツに限った話ではない。攻撃的サッカーは、もはやその言葉が死語に聞こえるほど、世の中のスタンダードになった。10年ほど前までは、守備的サッカーという対立軸が確固として存在したが、いまやそれはイタリアの一部にしか見あたらなくなっている。
 
 世の中総攻撃的サッカー時代。細部にどうこだわるかが勝負の分かれ目になっている。つまりオランダはもはや特殊な国ではない。攻撃的サッカーと言えば、連想するのはスペインでありドイツ。攻撃的サッカーの屋台骨を支えてきたオランダの影は、そのクラブサッカーの低迷と相まって薄くなっていた。