医師で小説家。夏川草介(なつかわ・そうすけ)

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先日、上橋菜穂子『鹿の王』が第3回医療小説大賞を受賞した。ますます注目度が上がる医療小説というジャンルの中で、抜群の知名度と人気を誇っているのが、櫻井翔主演の映画化作品も記憶に新しい、夏川草介『神様のカルテ』だ。
地方医療に情熱を傾ける医師・栗原一止を主人公にしたシリーズは1〜3巻の後、今年になって『神様のカルテ0』が刊行された。登場人物たちの前日譚というべき内容、そして初の短篇集と、番外篇のような形だった『0』の創作秘話を通じて、現役医師として一止と同じように地域医療の現場で働き続ける夏川の現在、そして作家としての考えを聞いてみた。

多忙な近況と忙中の読書


夏川 昨年度(2013年度)にすごく医者が足りない時期があって、そのときは全く書く時間が取れず、生きているだけでも手一杯という感じでした。当直が週に1回あって泊まり、プラス夜間に呼ばれるのが大体3日に1回という感じだったので、ずっと病院にいる感じです。それで疲弊してきたときに医局が1人派遣してくれて、去年からようやく少しまともな生活になりました。
──ずっと臨戦状態だったんですね。
夏川 きつい状態が続くと他の内科の先生も倒れる人が出てきたりして、よりきつくなるんです。
──さすがに一止のように、当直を終わらせてから夏目漱石を読むような余裕はないですよね。
夏川 はい(笑)。そうなってくると逆に眠れなくなってきます。しかも1、2時間寝ると注意力が落ちる。寝てしまうと血圧のことに目が届かなかったりとか、呼吸が弱っていることや顔色を見てなかったりすることがありますから、あえて起きるために本を読む。
──うわ、なるほど。注意力を途切れさせないための読書なんてものがあるのか。
夏川 寝起きが一番注意力落ちます。頭がシャキっと働くまでに2時間くらいかかりますので、その間が一番危ないんです。
──そんなときに大事な患者さんを診るわけにはいかないという。そういうときは、どんなご本を読まれるんですか。
夏川 スピノザの『エチカ』が、5回くらい挫折したんですが最近ようやく読めるようになっておもしろくなってきたので、それに関連する本を読んでます。スピノザに関係があるということでライプニッツに行って、そこからジョン・ロックに行って、と。追い詰められるとより難しい本に行く傾向があります(笑)。
──それは読むことによって救済を求めるというわけではなくて?
夏川 「人の救いって何だろう」とずっと考えてまして、「神様って何だろう」とか「死んだらどこに行くのか」という話を患者さんから聞かれることがあるんです。宗教を持たない人が死んでいくときに孤独に苛まれるとして、それに対してかけるべき言葉は何だろうと考えたら、やはり哲学の中に答えがあるような気がします。その中でスピノザが、僕の世界解釈に言葉を与えてくれるような哲学体系だったんです。
──「夏目漱石を楽しんで読む」というような娯楽の読書とはちょっと違いますね。
夏川 そうですね。特に追い詰められてくると、よりいろんなことを考えて、神経だけ研ぎ澄まされてきて、疑問がどんどん出てくる。そういうときに「何か読み応えのあるものを」という方に行くのかもしれないですね。
──それだけ追い詰められると、小説をお書きになる態勢にはなれそうにないですね。
夏川 やってみたりはするんですが、うまくいかないですね。途切れ途切れになりますし、10分間だけ書いたところで救急の対応をして、というのは難しいかなと。

『神様のカルテ0』のなりたち


──収録された4篇のうちで最初に書かれたのは「冬山記」ですか。
夏川 それと「彼岸過ぎまで」が最初で、去年の夏か秋ぐらいに書きました。もともと4巻を書こうと思って書いていて、ある程度進んでたんですけど、枝葉の物語のほうが書いてて楽しくなっていく感じがあったので、「じゃあ、そっちをまとめてみよう」という方向に動いていった感じですね。
──「冬山記」なんですが、以前にお話を伺った際、「この物語(『神様のカルテ』)とは別に、自然のスケッチを描いている」とおっしゃってました。そこから派生した作品ですか?
夏川 その影響はすごくあります。冬山の風景を書いてみたいという思いと、以前から医療現場を一切出さずに書きたいなと考えていたので、それが合わさりました。書き始めは、ほとんどストーリーも何もないまま景色を書いて、あとは成り行きまかせという感じでした。たしかに、スケッチの延長に近いのかもしれないですね。
──以前から登山はよくされていたんですか。
夏川 ほぼ登らないんです(笑)。救急病院にいると、よくヘリコプターで搬送されてくる人がいるんです。それでお話を伺って、けっこう凄絶な世界だなと思っていました。そうやって患者さんたちから聞いた話がほとんど元になっていますね。
──知らない人が読むと「夏川さんは北アルプスにも詳しいのかな。大学時代から登っていたのかな」と思うでしょうね(笑)。
夏川 実は夏山でさえ登ったことがない(笑)。基本的にあんまり出歩くのは好きじゃないんです。自分からはほとんど出歩かないんですけど、妻が誘ってくれるんです。第1話(「有明」)にあった白樺峠という場所の「鷹の渡り」も妻が連れて行ってくれました。
──そうなんですね。あのシーンはすごく印象的でした。
夏川 最初から最後まで鷹の渡りを書くためのストーリーなんです。冬の山の話もそうだし、収録作はほとんど景色から始まっている感じですね。風景を見て、その風景の中にいる人の姿を想定していくと、あとは物語ができてくる。だから、ある人がいて、それをどこかの風景に連れて行くというよりは、その風景にたどり着いた人というイメージです。逆算的というか、「そこに人が立っている理由は何だろう」という感じかもしれない。
──どんな時点で「誰かを立たせてみよう」というのは思われるんですか。
夏川 その場所で考えることはあんまりないですね。何か別のことをやっているうちにフッと思い浮かんだりとか、ある患者さんを見たときに「この人の物語はあの風景に合う」というようなイメージができたりとか。唐突ですね。

医者は何もできない


──風景がそこまで大事な要素であるということは、過去の作品を読んだ人ならば思い当たるふしもあるでしょうが、『神様のカルテ』は医療とか医師の小説である、と思って入ってこられた方には意外かもしれませんね。
夏川 そうかもしれないです。自分自身の中ではあんまり人間中心でものの見方をしないところがあります。「大きな世界の中、自然の中に人間がいる」という意識が強いんですね。医療の現場にいると、その思いはどんどん大きくなります。この十数年医者をやってきましたが、一生懸命治療をしてがんばってる人が若くして30代で亡くなる場合もあれば、タバコ吸って酒飲んで言うこときかない肝硬変患者が80ぐらいまで生きるという場合もあり、非常に理不尽です。それを考えれば考えるほど、人間の存在が大きな世界の中の石ころのようなイメージになってくる。「自然の中の小さな人間」という世界観が頭の中にあるんでしょうね。
──医療小説は、まずは人間の無力さを知らないと書けないのかもしれないですね。
夏川 同僚の医者からも言われるんです。「この小説は、1人も患者さんが助からないじゃないか」と。
──ああ、そうですね。ニコニコ笑って退院する人があまりいないですよね(笑)。
夏川 4冊も書いてきたのに(笑)。誰も退院しないし、がんばって治療したと思ったら誤診だった、みたいなことしか書いてない。「でも、そのことを評価したい」と言ってくれる人もいるんです。医療を題材にした作品というのは「治すこと」に一生懸命になっていて、「難病を治す医者」がかっこいいと思われている。でも現場にいれば、よほどどうしようもない医者でない限りは患者さんの運命って入院したときにわかるんです。これは何やっても助かる、これは何やっても助からない。手術でさえも、基本的に医者が一生懸命にやるなら、ゴールはほぼ同じなんですよ。「ゴッドハンド的な医者」に対する違和感は、現場を見ている医者であれば強い。それができれば誰も苦労はしない。医者が努力して努力して患者さんが治った、という物語ほど現実から遠いものはないんです。だからそのことを書きたいのですが、あまり有り体に書いてしまうとウケないだろうなと。
──「身も蓋もない」というやつですね。
夏川 ええ。楽しく読みながら、あるときフッと「そういえば医者って何にもできてないのかな」と誰かがもし気付いてくれればそれでいいかなって思います。医療を題材にする限りはそこだけは外さないようにと思っています。

医師兼作家の夏川草介ができるまで


──今おっしゃったような世界観は医療に従事されることによってだんだんと培われたものだと思います。それ以前、10代までのご自分と比較されると大きく変わった部分もあるのではないでしょうか?
夏川 阪神大震災を体験して「医者になりたい」という強い思いを持って医学部に入った。学部時代も「難病を治す医者になるんだ」という、それなりの理想がありました。でも、最初の5年間、本当に忙しい病院でずーっと働いている間に「どうも違うんじゃないかな」と思ったんです。あとは、僕をずっと指導してくれた内科の先生の言葉が影響しています。
──それはどういう?
夏川 「医者にできることは限られている。がんばって治療をすればするほど苦しむ患者もいる。その引き際をちゃんとわかる医者になれ」と。5年目くらいのときに心不全で苦しんでいる患者に会ったんです。普通は心臓を守るために利尿剤とかを出して水を抜くんですけど、ご本人はむくんでいる割にあんまり苦しんでいない。そのときあえて利尿剤を使わないで見守っていたんです。そうしたらけっこう穏やかに過されていて、亡くなる数日前まで普通にしゃべることもできた。その患者さんが亡くなったときに、その指導医の先生から「お前もようやく少し医者のやることがわかってきたんだな」って言ってもらいました。その5年間で学んだものというのはやっぱり大きいですね。
──今お話に出ましたが、1995年の阪神淡路大震災の体験は大きかったですか。
夏川 それまでは医者になろうとはあんまり思ってなかったです。高校生で進路が決まらないな、と思っていたときに、大震災で人が亡くなっていく現場と、そこで働いている医者の姿を見て、「これはやりがいのある仕事かもしれない」と感じたんです。
──今年は2015年ですから、2011年の東日本大震災を経て、そのときに大学に入った人たちが社会に出てきます。入学したときにはおそらく、「どういう事態のときに君たちは勉強をしているのか」と言われ続けたと思うのですが、その人たちと夏川さんは近い感じの体験をされたんだと思います。その、10代のときにできたご自分の柱みたいなものは、ずっと同じものを持ち続けてらっしゃるのか、「いや、そのときはこうだったけど、今はまた違うものもある」と思われているのか。そのへんはどうでしょうか。
夏川 具体的な理想はたぶん、だいぶ変わっていると思うんです。目指しているものも、高校時代は「助ける医者」でしたし、医学生になると、「とにかくいろんなことを知っている医者」がすごくかっこよく見えてきた。で、現場に出てみると今度は指導医のように「ある程度どこかに諦めを持ちながらも、その患者さんにとって一番いいことを模索する医者」という、言うなれば、「生き方ではなくて死に方を模索するような医者」がいいと。具体的な理想はそうやってずっと変わっていくんですが、根本的なところでは「かっこいい医者になりたい」という思いがずっとあります。
(杉江松恋)

後編に続く

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