「端午の節句」の本当の意味とは

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 待ちに待ったゴールデン・ウィークの到来。そんなお休みの中で迎える「こどもの日」。こちら兜や鯉のぼりといったイメージから「男子の祝い」のイメージが強いのですが、実は往古においてこの日は「女子を祝う」日だったというのをご存知でしょうか。

 もともと「こどもの日」は、「端午の節句(たんごのせっく)」と呼ばれる中国由来の暦が元になっており、いわゆる季節の節目にあたる日のことを「節句」と呼んでおりました。そして、そんな節目は、「万物の魂が不安定になる」ということで、「邪気が入り込む不安定な時期」として大変恐れられていたようです。

 確かに、季節の変わり目は体調を崩しやすく、中には古傷がうずくというのもよく聞きます。そう思うと、当時の人たちはこうした健康障害を何か禍々しいものの仕業と考えたのかもしれません。

 そんな中で示されている「端午」というのは、いわゆる1年のうちの特定の時期を表し、「端」が「はしっこ」と読めることからも「最初」を意味し、続く「午」は「うま」と読み、いわゆる「十二支」の一つを表すことから、「旧暦の5月(午の月)の最初の午の日」という意味で用いられました。

 要するに、かつて中国ではこの旧暦5月のこの節目の時期に多くの人が病に伏すことが多かったということでしょう。このため、この日に厄を祓うようになり、その習慣や概念が日本にもたらされました。この時期には「菖蒲湯に浸かる」というのもよく聞きますが、これも、古くはこうした中国の慣習にまでさかのぼると言います。

 対して、当時の日本国内にも実はこの厄を祓う習慣がこの同じ時期にありました。それが「五月忌み(さつきいみ)」、または「忌みごもり」と呼ばれる儀式です。

 一般的にこの時期は田植えの季節ということもあり、当然、当時の人たちは一年の豊穣を祈願するためにも相応の儀式を執り行って参りました。中でも女の子の役割は大きく、この時期は、田んぼの神さまに一年の豊穣を祈願するため、早乙女(さおとめ)と呼ばれる若く清らかな女の子たちに身を清めさせたと言います。

 それがいつしか、中国の「端午の節句」と結びつくようになり、菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)で葺いた小屋に籠もり、菖蒲酒を飲んでケガレを祓うようになったと言います。つまり、この時点では男の子ではなく女の子が主役の日だったということです。

 それが武家社会の台頭と同時に男児、とりわけ、長子の存在が重宝されるようになり、徐々に女の子のケガレを祓う日から男の子の成長を願う日に取って変わっていきました。鯉のぼりや五月人形などはまさにそんな男児の成長を力強く願う象徴と言えるでしょう。それが今なお私たちが目にする端午の節句というものです。

 もちろん、今では、男の子、女の子、といった男女の区別もなく、すべてのこどもの幸福を願う一日として昭和23年に「こどもの日」が制定されましたので、今はもうどっちが主役といった話はないのかもしれませんが、改めて、祝日法の条文に目を通してみると、改めて気づくことがひとつだけある。

「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」そう、こどもの成長は男女別け隔てなく、その成長を願いつつも、この日はあくまで「お母さんに感謝する」日なんですね(笑)。あれぇ、お父さんは?と言いたいところですが、まぁ、仕方がないだろうということで、やはり、GWは全国のお父さんが家族サービスに徹しなければならない日ということなんでしょうね。

著者プロフィール

一般社団法人国際教養振興協会代表理事/神社ライター

東條英利

日本人の教養力の向上と国際教養人の創出をビジョンに掲げ、を設立。「教養」に関するメディアの構築や教育事業、国際交流事業を行う。著書に『日本人の証明』『神社ツーリズム』がある。

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