7月20日から7月28日にかけて、韓国で東アジアカップが開催される。15日にはそのメンバーが発表されるわけだけど、みんなご存知のとおり、海外組やG大阪の遠藤保仁、今野泰幸らを除いた国内組と初招集選手が中心の構成になるという。

メディアやファンは、やれ柿谷曜一朗だ、やれ柴崎岳だ、大久保嘉人だ闘莉王だ、と盛り上がりを見せているね。それを論じて楽しむのはファンの特権であり、否定するものでもないけど、僕はその前に、そもそもの東アジアカップの位置付けに疑問を抱いているところがある。

この大会は何のために行くのか。何を狙うのか。優勝したいのか。優勝しなければいけないのか。協会として何を求めるのか。そういったものが、現状何も示されていないのだ。いや、初招集の選手たちのサバイバルなんですよ、という見方があるとする。でもちょっと待って、何も求めない大会で、海外組もいない即席のチームで、それがその先につながっていくのかな。つまり、何も示されていない以上、何があっても不動のレギュラーに影響を与えるものではないのではないか、と思う。

優勝して初めて評価に値するとか、そういった目標がなく、ただ行くだけなら何も意味がないね。監督にも当然ノルマを設けて、その中で何かをなすべきだ。そういうものがなければ何も評価できないし、監督としてこれほどヌルい仕事はないだろう。コンフェデ杯に続いて東アジアカップでも何の結果も残せなければ、やはり解任も含めた議論をしていかなければならないと思うよ。

この大会が終われば、来年のW杯まで真剣勝負の大会がないんだ。それほど重要なものだということを改めて認識すべきだね。その上で、15日の記者会見の席上で、ザッケローニ監督が何を言うか、原委員長が何を言うか。大挙して押しかける記者が何を聞くか。何を目的にし、どこをノルマとし、どこで評価をするのか。誰が選ばれるかということよりも、僕はそっちに注目するよ。