'03年には日本に帰国、阪神入りし、リーグ優勝に大きく貢献した。しかし、翌'04年2月のキャンプ中、飲食店で男性客と口論となり、球団から厳重処分と罰金30万円を課された。
 同年はわずか3試合に登板しただけだったが、人望が厚い一面も持っていた。
 「昼間、宿泊先のホテルでメジャー中継をみんなで観ていると、伊良部さんは『あの選手はこうだから』とか、『米国ではこういう調整をしているんだ』と、色々と話をしてくれました。その話が面白くて、伊良部さんの周りにはいつも人が絶えなかった」(阪神関係者)

 しかし、引退後の'08年8月には大阪市北区のガールズバーで男性店員に暴行。酒の席での失敗にプロ野球ファンは「またか!?」と思わされたが、その1カ月ほど前、伊良部は自らテレビ局を訪ね歩いていた。
 「『解説者として使ってくれ』と。プロ野球中継そのものがなくなりつつあったので、衛星放送の小さな制作会社にも足を運んでいました。伊良部さんの実績に相応しいギャラを出せないと伝えても、『お金は二の次』と地方球場の試合でも、解説をやってくれました。バーでの大トラ事件はそれが軌道に乗った矢先のトラブルでした…」(関係者)

 一部にはうどん屋のチェーン店事業の撤退による資金難を自殺の遠因とする声もあったが、1回5万円程度の解説を快諾したのは、金に困っていたからではない。野球に携わっていたかったのだ。
 「昨夏、甲子園大会後の日米高校野球選手権(米国開催)を伊良部が観戦していました。旧知のメジャースカウトや日本の関係者とスタンドで再会し、挨拶をしていました」(前出・マネジメント会社社員)

 '09年に米独立リーグ、四国・九州アイランドリーグ(当時)で実戦復帰した際、伊良部は本気でプロ野球復帰を目指していたという。しかし、肉体が悲鳴を上げ、夢は果たせなかった。
 「独立リーグでも自ら若手のなかに入り、野球の話をしていました。日本球界でコーチ業をやりたいと思っても、ロッテ、阪神からオファーがくるはずもなく、野球以外で夢中になれるものは見つからず、交遊も限られ、喪失感に見舞われていたんだと思います」(球界関係者)

 自分のやりたいことをやるのは、ワガママと紙一重である。自身の望む野球環境への希望が強ければ強いほど、同時にたくさんのものも失ってきた。その絶望感は引退後に大きくのしかかってきた。