我も我もと企業が「コーチング」を取り入れていますが、そこに「ゆとり教育」の失敗と重なるものが見えてきます。

教科書の分量が増えることになり、「脱ゆとり」が鮮明になったという報道がなされています。円周率が3になったという枝葉がクローズアップされ、学習塾でも「ゆとり以前の内容を教えています」というのがウリになったり、企業でも「ゆとり世代がやってくる」などと言って「ゆとり=勉強不足」というレッテルを貼っているようですし、完全な失敗政策として全否定するような評価が定着してしまいました。

まだ成功・失敗と結論づけるのは早計なのでしょうが、暗記力に優れた受験秀才を評価する教育ではなく、自主性を重んじ、自分で考える力、生きる力を持つ個性を育むといったようなコンセプトは良かった訳で、これを実行できるような環境や能力が現場になかったことが問題であったのは間違いのないところだと思います。

今これと同じことが、企業でも起こっていないだろうかと考えます。流行のコーチングが言う、「押し付けすぎない・与えすぎない・自分で考えさせることによって成果が上がるようになり、人が育つのである。」というコンセプトは“ゆとり教育”とそっくりです。カリキュラムとコミュニケーションという違いはありますが、詰め込むな、考えさせろというポイントは同じです。

確かに「部下の能力を引き出し、目標達成に導くようなコミュニケーションをしよう。」「自分で気づかせることで自主性のある行動がとれる、自分で考えることが自律的に成長できる人材を育てる。」というコンセプトはいい。しかし、そのようなコーチングの考え方やコミュニケーションの仕方が、ほんとうに成果や人材育成につながるのかどうかを考えなければなりません。“ゆとり教育”の二の舞になるのではないかと思うわけです。


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