ボブ・ディラン(Bob Dylan)がツアー活動に復帰した1974年から50年。ザ・バンドをバックに迎えた1974年の公演から現存する録音をすべて収録し、未発表ライブ音源417曲を含む431曲をCD27枚組にまとめたBOXセット『偉大なる復活:1974年の記録 (The 1974 Live Recordings) 』が9月20日にリリースされる。42日間で30公演を行い、平均18,500人のオーディエンスを前に演奏。ローリングストーン誌のベン・フォン・トーレスが「情熱的で高揚感があり、一体感と精確さもある…それ自体が素晴らしい」と評したツアーの意義を振り返る。

今から50年前の1974年1月、ボブ・ディランとザ・バンドは、シカゴ・スタジアムでの2日間のコンサートを皮切りに、「Before the Flood」と銘打った伝説のリユニオン・ツアーをスタートさせた。ディランのツアーは実に8年ぶりで、チケット購入のややこしい手続きにもかかわらず、主催者の下には待ち焦がれたファンから550万枚分もの予約希望が殺到した。単純に計算すると、アメリカの人口の4%にあたる。

前回のツアーでは、ディランをフォーク界のヒーローと崇める熱狂的なファンが、エレクトリック・バンドを従えて歌うディランに対して毎晩のようにブーイングの嵐を浴びせた。イングランドにあるフリー・トレード・ホールでのコンサートで、最後のアンコール曲の前に観客の一人が「この裏切り者!(Judas!)」とディランに向かって叫んだエピソードは、今なお語り継がれている。ローリングストーン誌のミカル・ギルモアとのインタビュー(2012年)でディランは、今なお心の中でくすぶり続ける約半世紀前の出来事に対する心情を吐露した。

「”裏切り者”なんて、人類史上最も憎むべき呼び名だ」と彼は語った。「自分を悪く言われたと感じても、自分で何とか対処するしかない。何であんな言われ方をされなければならなかったんだ? エレクトリック・ギターを手に持ったからか? まるで主を十字架へはりつけにさせた裏切り者と同等の言われようだ。お前らこそ地獄へ落ちればいい」。


『偉大なる復活:1974年の記録』展開写真
1974年のツアーは当初ステレオのサウンドボード・ミックスで、1/4インチのテープとカセット両方で録音された。ツアー終盤には、アサイラム・レコーズのデヴィッド・ゲフィンが、『偉大なる復活』の最終的なリリースに向け、当時スタンダードだったマルチトラック・テープでの録音を行なっている。今回リリースとなる『偉大なる復活:1974年の記録』にはカセットと1/4インチのテープ、そして新たにミックスを施した16トラック・テープで録音されたライブ音源のすべてが収録されている。

「いつまでも若く(Forever Young)」の未発表パフォーマンス(1974年2月9日のシアトル公演〈午後の部〉)

1974年にツアーへ復帰した頃には「地獄へ落ちろ」とディランが言いたくなるようなファンは、ほとんど姿を消していた。1966年のツアーは、直後から伝説として語られるようになり、ブートレッグ音源が世界中に出回った。そしてサイケデリック・ブームがピークを迎える1967年頃にはもう、フォーク音楽の信奉者などは絶滅危惧種扱いされるようになっていた。その後ディランはウッドストックの自宅に引きこもり、幼い子どもたちを育てる合間にアルバムの制作作業を続け、ツアーとは無縁の生活を送っていた。一方でディランのバックを務めていた仲間たちは「ザ・バンド」として、瞬く間にロック界のトップに上り詰めた。

1973年の終わりにかけてディランとザ・バンドによるリユニオン・ツアーの噂が流れ始めると、全米のファンの多くは、たとえ数時間であっても自分たちを懐かしいあの頃へ引き戻してもらえるのではないか、と期待した。当時は、迷走を続けたベトナム戦争が収束に向かい、議会の公聴会で明らかにされたウォーターゲート事件におけるニクソン政権の犯罪行為が連日報道されていた。さらにアラブ諸国による石油の禁輸措置の影響で、全米のガソリンスタンドに長蛇の列ができた時代だった。



「1962年の夏、あなたはどこにいましたか」のキャッチフレーズで大ヒットした映画『アメリカン・グラフィティ』は、映画館の観客をダンス・パーティーやドラッグ・レースやグリーサー・ルックの時代へと誘った。オールディーズ・バンドのシャ・ナ・ナはコンサート・ホールを満員にし、ブロードウェイでは『グリース』が最大のヒット・ミュージカルとなった。さらにザ・ビーチ・ボーイズが突如復活を遂げ、ABCテレビでは50年代をテーマにした青春ドラマ『ハッピーデイズ』の放送が始まった。

しかしそんな時代に最も60年代を体現していたのは、ボブ・ディランだった。ツアー初日のシカゴ・スタジアムで、ステージに姿を現したディランは大歓声に包まれた。もう「裏切り者」などと罵声を浴びせる者は誰もいない。コンサートのオープニングには、1962年に作った超マイナーな曲「Hero Blues」を選んだ。それから「Lay Lady Lay」「Tough Mama」と続ける。「Stage Fright」や「The Night They Drove Old Dixie Down」といったザ・バンドのレパートリーでは、ディランは6人目のメンバーに徹した。そしてコンサートの最後には「Like a Rolling Stone」「The Weight」と続き、さらに「Most Likely You Go Your Way (And Ill Go Mine)」で締めくくられた。

再結成ツアーの先駆け

1974年1月4日のシカゴ・スタジアムでの2日目の模様も、今回リリースされるツアー音源で楽しめる。2日目の音源には、「Knockin on Heavens Door」のライブ初演のほか、それ以来現在まで二度と披露されていない「Hero Blues」の最後の演奏も収められている。ツアー初日とは異なり、ザ・バンドのレパートリーは、コンサートの前半と終盤の2箇所にまとめてミニコーナーとして演奏された。さらにザ・バンドの演奏にディランが加わることはなく、このやり方はツアーの最後まで踏襲されることとなる。

「多少の変更を加えながら、その後6週間にわたってツアーを続けた」とリヴォン・ヘルムは回顧録『ザ・バンド 軌跡(This Wheels on Fire)』で振り返っている。「昔の懐かしい曲を期待して集まる観客のために、当時のボブ・ディランとザ・バンドを自ら演じているような、奇妙な感覚に陥ることもあった。バンドのメンバーだけでなく、当然のごとくボブも同じように感じていた。商業的には成功したが、メンバーにとっては決してノリノリのツアーという訳ではなかった」。

「イッツ・ナウ・オール・オーヴァー・ナウ・ベイビー・ブルー」の未発表パフォーマンス(1974年2月14日のLAのザ・フォーラム公演(午後の部〉)

ツアーの模様は、2枚組ライブ・アルバム『偉大なる復活(Before the Flood)』としてリリースされた。アルバム収録曲の大半は、ロサンゼルスのザ・フォーラムで収録された音源が使われている。同時にそのほかのツアー日程のあらゆる音源が、海賊版としてブートレッグ市場に出回った。ヨーロッパでは、ディランが保管している公式録音を含むすべての音源の著作権が、2024年内に切れてパブリック・ドメイン化することとなる。著作権保護の期間を延長するには、音源をリリースするしかない。従って2016年にディランは、1966年のライブ音源を36枚組セットとしてリリースせざるを得なかった。今回のリリースもまた、同様の措置だと考えられるが、おかげで1974年のツアーの全貌を楽しめる事となった。なお、今回のCD27枚組BOXセットにザ・バンド単独の演奏は収録されていない。

1974年1月4日当時は、32歳のボブ・ディランが立派な大人に見えた時代であり、9ドル50セントがチケット代としてはとても高額だった時代だ。そしてバスケットボール・アリーナでのコンサートが珍しかった時代でもある。ボブ・ディランとザ・バンドをきっかけに始まった60年代への懐古ブームはその後も続き、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングも同じ年にスタジアム規模のツアーを行っている。しかし「ドゥーム・ツアー(破滅のツアーの意)」と称される程に評判は悪かった。とにかくボブ・ディランとザ・バンドが、その後に続くバンドの再結成ツアーのお手本となったのだ。

From Rolling Stone US.


ボブ・ディラン
『偉大なる復活:1974年の記録』
2024年9月20日リリース
完全生産限定盤/輸入盤国内仕様 35,640円(税込)
◎数多くの未発表写真とエリザベス・ネルソンによるライナーノーツを収録したオリジナル・ブックレット(42P)とともに、翻訳解説と菅野ヘッケル氏、萩原健太氏、室矢憲治氏の書き下ろし解説、歌詞・対訳を収録した、3万字を超える詳細な日本版ブックレット(104P)が付随

購入:https://sonymusicjapan.lnk.to/1974LiveLW
27CD全収録曲:https://www.sonymusic.co.jp/artist/BobDylan/info/566000
特設サイト:https://www.110107.com/BobDylan_and_the_Band1974