さらに言えば、常田大希率いるmillennium paradeのように、洋楽的コンセプトを下敷きにしたアーティスティックなプロジェクトもあまり需要がないのではないかという恐れもあります。あちらからすれば、“そういうのもう間に合ってます”、なのですね。

◆アメリカの音楽ファンを楽しませたいなら…

 米津玄師にグラミー賞への野望があるかはわかりません。少しでもそういう考えがあるのだとしたら、戦略を変える必要もあるのかもしれません。世界で成功したK-POPを見ていると、商売をする国の人々に好かれるためのアクションを惜しまないからです。たとえば、NewJeansのハニが松田聖子やTUBEを歌う。それは、NewJeansを売り込むこと以上に、日本人を喜ばせることを意識しているのです。

 同じように米津がアメリカの音楽ファンを楽しませるとしたら、日本で日本人のファンに受け入れられている「アーティスト・米津玄師」像を、いったん解体して客体化する必要があるのではないか。異なる素材として、新たな米津の存在そのものを作品にしてしまうぐらいのアイデアがあれば、日本のファンにとっても大きなサプライズとなるでしょう。

 ビジュアルからサウンドまでをトータルでセルフプロデュースしている現状から離れて、全くの他者によって作り直されれば、たくさんのまだ見ぬ面が引き出されるはずです。

 今回の全米デビューが本格的な海外進出のきっかけとなるのかどうかはさておき。まずは、お披露目、ごあいさつということで、今後の米津玄師に期待しましょう。

文/石黒隆之

【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4