セゾングループを築いた堤清二。パルコやファミリーマート、無印良品を誕生させた考え方とは
日本経済は1960年代以降、安定成長期やバブル、「失われた10年」とも呼ばれる長期停滞など、消費者の生活に大きな影響を与えながら変化していきました。一方で、応援消費やカスハラなど消費を巡るニュースが増える中、北海道大学大学院経済学研究院准教授の満薗勇氏は、消費者が社会や経済に与える影響について指摘します。今回は、著書『消費者と日本経済の歴史』(中公新書)より、一時代を築いたセゾングループ・堤清二が抱いていたビジョンについてご紹介します。
【書影】『消費者と日本経済の歴史 高度成長から社会運動、推し活ブームまで』(著:満薗 勇)
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セゾングループを築いた男
堤清二は、1927年に実業家・政治家の堤康次郎(やすじろう)の子として生まれた 。康次郎は西武グループの創業者で、土地開発・不動産事業と鉄道事業を中心とした事業を進めた(老川2024)。
清二の母は、当時康次郎と内縁関係にあった青山操で、小学生時代の清二は青山姓を名乗ったことから、「青山君はお妾(めかけ)さんの子どもですよ」との風聞に接しながら複雑な思いを抱えて育った(御厨ほか編2015)。中学入学と同時に堤姓に変わる。
1948年に東京大学経済学部に入学すると、青年共産同盟に入会、日本共産党へ入党して学生運動に加わったが、50年には共産党内部の分派の影響で、党中央から除名されている。51年に東京大学経済学部を卒業後、肺結核の療養を経て、53年には当時衆議院議長の座にあった父・康次郎の政治秘書を務めた。
翌1954年には、父が経営する西武グループ傘下の西武百貨店に入り、ビジネスマンへと転じた。55年に店長となり、66年からは社長となった。この間、63年には、総合スーパーを展開する西友ストアーを設立している。
父・康次郎が亡くなったあと
1964年に父・康次郎が死去した。堤清二は、71年に流通部門を西武流通グループとして西武グループから独立させ、85年にこれを西武セゾングループへと改称、90年からはセゾングループと名乗った。
西武百貨店への入社から出発した堤清二の事業は、ファッションビルのパルコ(1969年開業)、コンビニエンス・ストアのファミリーマート(73年一号店)、ファミリーレストランのCASA(78年一号店)、クレジットカード事業の西武クレジット(76年緑屋と資本提携、80年社名変更)などに広がり、そのほか、不動産、レジャー、生命保険などにも及んだ。80年にグループから誕生した無印良品が、独自の店舗を出店し始めたのは83年のことであった。
事業規模の面では、1955年の西武百貨店の売上高は37億円だったが、85年にはグループ全体で、会社数91社、4研究所、資本金総額795億円、売上総額2兆8500億円という巨大なスケールへと成長し、まさに急激な拡大を見せている(由井編1991a、由井ほか2010)。
堤清二が築き上げたセゾングループの歩みは、「1つの企業の歴史を論じることが、直接的に、時代背景や経済社会の特徴を論じることにつながる」と言われるほど、時代を象徴する意味合いをもつと評される(加藤・大石2013)。
資本の論理と人間の論理
堤清二は、1979年に刊行した著書『変革の透視図』で、流通産業は「資本の論理」と「人間の論理」との境界領域にある「マージナル産業」であると規定した。
「流通産業は商品が消費者の手に渡って、交換価値から使用価値に転化する場所に位置しており、いいかえれば、資本の論理と人間の論理の境界にたっている産業だと考えられる」と表現している(堤1979)。
交換価値とは、売り手にとっての価値に属するもので、価格で表現され、高ければ高いほどよい。対して、使用価値とは、消費者にとっての価値であり、生活欲求に応える有用性で判断される。
堤は、自ら従事する流通産業の存立基盤を、この異質な基準をもつ二つの価値をつなごうとする点に求めたのである。
交換価値から使用価値への転化という捉え方は、マルクスの『資本論』をベースとするが、堤の議論は、その転化の先を人間の論理と読み換えたところに特徴があった(由井編1991b)。
学生運動の経験を持つ彼にとって、マルクスの『資本論』はその頃から縁の深い本であったが、1970年代後半になって読み直してみると、同書の「消費」の規定のなかに、「本来、人間の個性的な生活過程であるべき消費」という記述があることに気づく。
「本来、人間の個性的な生活過程であるべき」という部分は、「学生時代に読んだ時は完全に読み落として」いたのだという(『RIRI流通産業』1996年5月)。
消費を「個性的な生活過程」という人間の論理に引きつけて読み込もうとする堤のこうした読み方が、1970年代という時代の影響を強く受けたものであったと理解できよう。
堤が見据えた流通改革がもたらすもの
このことに関わって、堤のマージナル産業論が、以下のような論理で1960年代的な流通革命像を否定した点が注目される。
すなわち、1960年代の流通革命は、資本の論理によって流通産業の「近代化」をめざしたもので、後発工業国日本では、生産部門に比べて発展が立ち遅れてきた流通産業を「近代化」していくことはたしかに必要である。
しかし、流通革命がめざす大量流通は、画一的な大量消費を求めることにつながり、それは生活様式の画一化をもたらす資本の論理にほかならない。本来、生活様式は多様で個性的な人間の論理に立脚すべきで、資本の論理を貫徹させるべきではない。
資本の論理の貫徹による「近代化」こそが人間の幸福を約束する、という前提そのものが、大きな誤りなのである。堤はこのように説いて、流通革命の隘路を強調した。
参考文献:
老川慶喜(2024)『堤康次郎――西武グループと20世紀日本の開発事業』中公新書
御厨貴・橋本寿朗・鷲田清一編(2015)『わが記憶、わが記録――堤清二×辻井喬オーラルヒストリー』中央公論新社
由井常彦(1991a)『セゾンの歴史――変革のダイナミズム』上巻、リブロポート
由井常彦・田付茉莉子・伊藤修(2010)『セゾンの挫折と再生』山愛書院
加藤健太・大石直樹(2013)『ケースに学ぶ日本の企業――ビジネス・ヒストリーへの招待』有斐閣
堤清二(1979)『変革の透視図――流通産業の視点から』日本評論社
由井常彦編(1991b)『セゾンの歴史――変革のダイナミズム』下巻、リブロポート
※本稿は、『消費者と日本経済の歴史 高度成長から社会運動、推し活ブームまで』(中公新書)の一部を再編集したものです。