「何より嬉しいのは、ドラマをきっかけにOSKという劇団に興味を持ってくださる方が、まさに《急増》という勢いで増えていること」(撮影:岸隆子)

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2024年9月2日、翼和希さんがOSK日本歌劇団トップスターに就任しました。8月に退団した前トップスター・楊琳からバトンを受け継ぎます。お披露目公演は、2025年6月に大阪松竹座での「レビュー春のおどり」、8月に東京・新橋演舞場で「レビュー 夏のおどり」となります。これに先駆け、2024年10月から4月にかけて、就任記念公演が国内外で行われる予定です。翼さんは2013年に入団。2024年3月まで放送された朝ドラ『ブギウギ』では主人公が所属した劇団のトップスター、橘アオイ役で出演し話題を集めました。今回は、出演に際してお話を伺った『婦人公論』2024年1月号のインタビュー記事を再配信します。******102年の歴史を持つOSK日本歌劇団(以下、OSK)。NHK連続テレビ小説『ブギウギ』の主人公のモデル・笠置シヅ子さんが所属していたことで、注目が集まっています。ドラマの中で主人公の歌劇団時代を描いた場面では、OSKの現役男役スター翼和希さんが出演。そのスマートな佇まいに人気沸騰中です。(構成=山田真理 撮影=岸隆子)

【写真】凛とした立ち姿、美しい流し目の翼さん

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男役になりたいと夢見るように

読者の皆様、初めまして!OSKの翼和希と申します。『ブギウギ』で主人公の歌劇団の先輩・橘アオイ役として出演した際には、「目力がすごい」などと話題にしていただいて(笑)、本当にありがたいことだと思っています。

何より嬉しいのは、ドラマをきっかけにOSKという劇団に興味を持ってくださる方が、まさに「急増」という勢いで増えていること。2023年11月の京都・南座でのレビューをはじめ、各地の公演ではたくさんのお客様にいらしていただいていますし、私が主演を務めるミュージカル『へぼ侍〜西南戦争物語〜』もなんと大阪公演は早々に完売。これって、10年在籍している私にもなかなか経験がない事態でございまして。(笑)

2月には同作品の東京公演があるのですが、東京で主演を務めるのは初めて。同月には浅草で歌をメインにしたコンサートも控え、皆様にお目にかかれる機会をワクワクドキドキして待っているところです。

生まれは、大阪の枚方(ひらかた)市です。今の私からは想像できないことに、子どもの頃は人前で何かするのは、恥ずかしくてようやらんタイプ。学芸会に出るのも嫌でしたし、体育の授業でダンスがあっても、友だちに見られるのは照れくさかったですね。

中学ではバレーボール部に入りました。もともと体を動かすのは好きだったので練習も楽しく、1回だけ北河内の選抜チームに選ばれて合同練習に行かせてもらったこともあります。

歌劇と出会ったのは、中学2年の時。姉が演劇部に所属していて、宝塚歌劇団のビデオを持って帰ってきたのです。忘れもしません、今も大好きな姿月(しづき)あさとさんの舞台。「ふわあ、なんてかっこいいんやろう」と衝撃を受けてしまって、自分もこの世界に行きたい、男役になりたいと夢見るようになりました。

最初の目標は宝塚音楽学校への入学です。その受験用のスクールに高校1年から通うというのは、かなり遅いほうと言えるでしょうね。歌も踊りも本格的に習うのは初めてでした。必死で練習に取り組みはしたものの、宝塚には結局ご縁がなくて。4回落ちてもうチャンスがないとわかった時には、ほんまにショックで落ち込みました。仕方なく普通に大学へ行こうと、受験もしていたのです。

そんな私に、通っていたスクールの先生が「OSKはどう?」と。大阪生まれにもかかわらず、OSKの舞台は未体験。その時初めて観たのが、大阪松竹座の『春のおどり』でした。歌劇の男役に抱いていた麗しく中性的なイメージに対し、OSKの男役さんたちは、まさに「漢」という文字が似合う爽やかな男前。

自分がスポーツに打ち込んでいたからかもしれませんが、芸術鑑賞というよりまるで試合観戦のよう(笑)。舞台と一緒に気持ちが高ぶり、観終わった後はどっと心地よい疲労感に包まれる。そんなエネルギーを感じる舞台だったのです。


「角座では《お練り》といって衣装のまま通りを歩いてお客さんを呼び込むのですが、海外の方がふらっと劇場に寄ってくださるのも嬉しくて」

小劇場での2年間で重ねてきたもの

私もあそこに立ちたいと思って、その勢いのままOSK日本歌劇団研修所を受験。両親には本当に申し訳なかったのですが、大学へは1週間しか通いませんでした。

合格してから2年間は研修所でみっちり歌や踊り、演技の勉強に励む毎日。研修所の同期には、子どもの頃からお稽古していた人もいれば、私よりもっと初心者の人もいて、すごく個性的なメンバーばかりで楽しかったです。

2013年4月の日生劇場で劇団員として初舞台を踏みました。前年から続く劇団90周年の記念公演の締めくくりであり、劇団にとって18年ぶりの東京公演ということもあって、上級生の皆さんも並々ならぬ気合。

そこへ初舞台のぴよぴよが参加するわけですから、目をつぶってても踊れるくらい滅茶苦茶にお稽古を重ねました。舞台が明るくなり、お客様からのわーっというお声を聞いて鳥肌が立ったことだけは覚えています。

それから大阪松竹座など大劇場でのレビュー公演を中心に経験を重ねていたのですが、入団5年目に、神戸の小劇場で5人だけのダンス公演に出演するように言われたのです。松竹座の公演は年に1度のお祭り。先輩方から学べることも多いので、そこから外れるのは正直とてもショックでした。

けれども駄々こねてたって仕方がない。ここでできることを全力でやろうとシフトチェンジをして挑んだ舞台は、踊りでも演出の面でも勉強になることの連続でした。小劇場はお客様との距離が近く、応援の熱気をダイレクトに感じられることも励みになりましたね。

その翌年も道頓堀の角座という小劇場で、訪日外国人の方向けのレビューを、今度は主演という立場で引っ張ることに。3ヵ月という長丁場でしたが、ショーの合間にお化粧しながら、「あの場面はもっとこうしてみよう」と皆で話し合って作り上げていきました。

角座では「お練り」といって衣装のまま通りを歩いてお客さんを呼び込むのですが、海外の方がふらっと劇場に寄ってくださるのも嬉しくて。

翌年に大劇場の公演へ戻った時には、幕の前で一人で歌って踊るという初めての体験をしました。「どえらい大役が来た!」と慌てたのですが、小劇場での2年間で自分なりに積み重ねてきたものを全力で表現してみようと。

その時、トップスター(当時)の桐生麻耶(きりゅうあさや)さんから「すごくいい。もっとやりなさい」と褒めていただき、回り道でも間違いはなかったんだという自信につながりました。

多くの苦難を乗り越えてきた

何度挫折しても、その経験をエネルギーにしてひたむきに進んでいく《雑草魂》は、まさにOSKの信条です。現トップスターの楊琳(やんりん)さんはよく「OSKの魅力は生命力」と表現するのですが、私も大好きな言葉です。

朝ドラでも描かれていたように、劇団は多くの苦難を乗り越えてきました。労働争議があったり戦争をくぐりぬけたり。中でもOSKとしての最大の危機は、2002年に当時の親会社から支援の打ち切りを通告され、劇団がいったん解散を余儀なくされたことでしょう。

しかし当時の先輩たちは「OSK存続の会」を立ち上げ、署名活動を行い、ファンや支援者の皆様の応援のおかげで劇団の再建を果たすことができました。そうした歴史を知り、闘ってきた先輩方のお話を実際に聞くと、その精神と伝統は決して絶やしてはいけないと思います。

舞台に立てること、お客様に観ていただけること。そのすべてが「当たり前じゃない」ことを私自身が強く実感したのが、コロナ禍でした。緊急事態宣言で、予定されていた公演は中止、劇団員も2020年4月から3ヵ月間はステイホーム。最初の1ヵ月は呆然としていました。そのうちに仲間から「マスクを作ろう!」という話が持ち上がったのです。普段、自分の衣装直しをしている縫物のスキルを生かし、布マスクを作って施設や団体などにお配りしました。

その年の8月には、OSKのレビューを通年で楽しめる専用スペースがオープン。最初はお客様を入れることができませんでしたが、ライブ配信の機材を備えていたため、配信を始めました。普段の公演と違って、ライブ配信だと1台のカメラをがっつり凝視しながら歌わなきゃいけない。最初は慣れなくて大変でしたが、たくさんの方にOSKを知っていただくよい機会になりました。

そういえば最近テレビの音楽番組で歌わせていただいた時、「カメラから目を離さずに歌う」経験が大いに役立ったんですよ。なんと見事な伏線回収(笑)!どんなことも無駄にしない、次に生かしていくOSK魂が発揮されましたね。

オーディションで、翼和希オンステージ!

劇団の大先輩・笠置シヅ子さんをモデルにした朝ドラが始まると聞いた時は、大興奮しました。しかも創立101年という新たなスタートの年に放映されるとは、なんて素敵なご縁なんだろう。どうにかして自分も関わらなきゃ、と強く思ったのです。

ところが、劇団が私の応募書類を出してくれたのは、なんとヒロインオーディション。笠置さんは小柄で華奢な方と伺っていましたから、ガタイのいい男役の私が受かるとは思えない。でも、何かチョイ役でもいただけるように爪痕だけは残したい。その気合のもと、バッチバチのスーツに、地下鉄の風にもなびかないほど固めたリーゼントで挑みました。

会場では、オーディションと言われつつも「これは舞台だ」と自分に言い聞かせて。歌の審査では、課題曲である笠置さんの「ヘイヘイブギ」を審査する方と「ヘーイヘイ」「ヘーイヘイ」とコール&レスポンスしながら、思い切り調子に乗って歌い上げました。

まあ、スタッフの皆さんも笑ってくださったし、翼和希オンステージとしてはやれることはやったからと思っていたら、なんと初代男役トップスターにして熱血漢の教育係、という素晴らしいお役をいただくことができました。

舞台の人間は演技が誇張的だから、映像のお仕事は苦労すると聞いていましたが、テレビは細かいお芝居を繊細に映してくれることが魅力だと思います。舞台では5つのことがやりたくても、2つくらいに絞らないと何をしたいか伝わりません。でもテレビは心情の変化を、ちょっとした表情や動きで表現すれば伝わることが面白かったです。

注目していただいた「目力」ですが、疲れてぼーっとするとすぐ目に表れてしまって、集中していないことがバレやすいという難点がありまして(笑)。長丁場の撮影でも集中力が途切れない共演者の皆さんは、本当にすごいですね。

主演の趣里さんは、「私なんぞがヒロインに応募してスミマセンでした!」と謝りたくなるくらい、福来スズ子そのもの。芸事を続けてきた方だから真面目で、まさにドラマのセリフにもあった「努力の天才」です。

でも天真爛漫で、いつもケラケラ笑って明るい。すでにがんばっている方に「がんばって」なんてよう言えないので、お会いするたび「どうか体に気を付けて」とお声がけしています。

ドラマには――もう1回くらい、登場できたらいいですねえ。白髪になって杖つきながら、スズ子の歌を聴きに来るとか、なんなら髭の紳士になってるとか(笑)。それはもう、皆様から局へのリクエストが頼りでございます。

OSKとしては、ドラマをきっかけに興味を持ってくださったお客様に劇場へ足を運んでいただき、「楽しかったからもう一度」と思ってくださる方を一人でも増やしていくことが今の目標です。

そのためにも、皆様の心をわし掴みにして離さない気持ちで、1回1回の舞台を、命を燃やし、真心をこめてお届けしていきます。

今年はOSK創立102年です。私は「継続」という言葉を大事にしたいと思っています。継続には、ただ現状を維持するだけでなく、新しいチャレンジも必要でしょう。今よりさらに昇り龍のごとく、前を向いて挑戦していきたい。

私の目下の夢は、宙乗りのタップダンス。いつか劇場の天井近くから私の華麗なステップをお届けすることを目標に、これからも精進していきます!