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1970年、最高視聴率34パーセントを記録したテレビドラマ『おくさまは18歳』が放送されてから50年以上の時が流れ…。飛鳥役を演じ、昭和芸能界の国民的アイドルとして一世を風靡した岡崎友紀さんは、70歳を迎えました。岡崎さんは、歳を重ねることについて「私ったらほとんどの時間、自分が『老人』ということは忘れているんですよね」と語っていて――。今回は、岡崎さんの45年ぶりの書き下ろし著作『なんたって70歳! ― だから笑顔で生きる』より一部引用、再編集してお届けします。

【イラスト】キャンバスに絵を描く岡崎さん

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一点ものの価値ある存在

陽気で、アクティヴで、一日中でも喋っていそうなお気楽キャラに思われる私。

確かに、誰かが目の前にいると、シーンと静寂が続くのがいたたまれず、空気の隙間を埋めたくなってしまうんですよ。

だから、私より喋る人がいる時は、ずーっと黙って、ずーっと聞き役になります。

そう、何時間でも。実は私、黙っているのも得意なんです。誰も周りにいなければ、当然喋らなくてすみます。

絵を描いている時間は、まさしくそういう時間で、自由な孤独を楽しんでいます。

写実的なものから絵本の世界の絵まで、キャンバスに楽しく描いています。ここ数年はiPadも使ったりして、新しい世界を楽しんでいます。

絵を描くことに親しんできたのは、母親の影響が大きかったと思います。

母はアクセサリーデザイナーだったので、我が家にはそのデッサンなどがあり、そういった環境が絵を描くきっかけになったのかもしれません。

同級生の絵

ただ、自分の絵が上手いと思ったことは一度もありません。

小学校の同級生の中に、絵がとても上手な少年がいて、どうやったらあんなふうに上手く描けるんだろうと、いつも感心して一目も二目も置いていました。


『なんたって70歳! ― だから笑顔で生きる』(著:岡崎友紀/興陽館)

ところが、その少年の絵を差し置いて、小学2年生の時、私の絵が千代田区の「特選」になりました。

学校からバスで横浜の港まで行っての写生会で、小さな「曳船」を描いた私の絵が選ばれたんです。

しかし、その時の担任の教師が、そのことを生徒に発表しませんでした。

もっと大きくて立派な客船を描いた上手な絵があるのに、その子じゃない絵が選ばれて許せなかったのでしょうか。

コソコソと母親を呼んで、他の生徒に見つからないように賞状を渡して、「特選」を無いものにされてしまったんです。

せっかく区からの「特選」をいただいてうれしいはずが、その日から自分の絵への自信はゼロより下回って、マイナスになってしまいました。

心の傷

どうせ私なんか……という思いは、子供の時のトラウマが元になっている気がします。

自分への評価を正しく得られない時、心は傷つきます。

私の絵への評価を闇に葬った担任の教師は、自分が上手いと思う子の絵が選ばれなかったことで、その少年が傷つかないように配慮したつもりだったのでしょう。

しかしその結果、区の審査員たちに認められた絵を描いた子供に対して、その事実は誰にも言ってはいけないと強要したのです。

命令通り、誰にも言いませんでした。

でも、どうして内緒にしなければいけないのかがわからないままで、とても悲しかったし、深く傷つきました。

いただいた賞状も、描いた絵も、なんの意味もないものに思えて、飾ることもなく、二度と見ることもしませんでした。

もし教師があの時、私の絵が「特選」に選ばれた事実を隠さずに、正直に生徒たちに伝えてくれていたら、私は絵の道に進んでいたかもしれません。

そう思うととても残念です。

恐怖と怒り

トラウマと言えば、私の場合、父が母にひどい暴力をふるっており、幼い時からしょっちゅう恐ろしいDVを目の当たりにしなければならなかったので、相当のトラウマとなっています。

例えば、どんな媒体からの映像でも、暴力シーンは見たくありません。戦う、傷つける、といった画面は目を背けます。

なので、そういうバイオレンス映像を要求する作品には、出演なんてできるはずがありません。

「横暴な男」への恐怖と怒りは、私の心に深く刻み込まれているので、上から目線、横柄な態度、一方的な牽制、命令口調、説教魔、など、自分の弱さを見抜かれまいとする小心者の男たちをゆるすわけにはいきません。

傷つくのは御免ですから、当然セルフディフェンス状態となり、それでも態度を改めない相手には、果敢に攻撃を仕掛けることも厭いません。

とにかく、偉そうなオヤジは大嫌いなのヨ。

※本稿は、『なんたって70歳! ― だから笑顔で生きる』(興陽館)の一部を再編集したものです。