日本史に登場する実在の人物をモチーフにした黒人サムライ、弥助という新主人公が追加されたことが、一部のファンを怒らせている(写真:「アサシン クリード シャドウズ」公式トレーラーより)

人気ゲームシリーズ「アサシン クリード」の最新作で11月に発売予定の「アサシン クリード シャドウズ」が、アメリカを中心に一部のファンを怒らせている。日本史に登場する実在の人物をモチーフにした黒人サムライ、弥助という新主人公が追加されたことが、ファンの怒りの的となっているのだ。この騒動は、ゲームを制作したフランスのUbisoftが5月16日に新トレーラーを公開した直後から始まった。

ゲームの世界は戦国時代の日本が舞台で、弥助が登場するのだが、表面上は、弥助がいったい誰で、何だったのかという疑問が論争の中心になっている。だが、ネット上でのユーザーのコメントを見ると、「史実に忠実ではない」ことではなく、別の問題について憤慨していることがわかる。

多様性のために歴史を塗り替えようとしている?

弥助は日本で初めて武士の身分を与えられた外国人と広く考えられており、さまざまな日本の小説、児童書、アニメでも扱われているほか、Netflixでもほぼフィクションのアニメ「YASUKE―ヤスケ―」が配信されている。つまり、弥助は日本人にとって「知らない人」ではない。が、弥助は織田信長の家臣として知られているものの、実は資料はあまりなく、多くのことは明らかになっていない。

今回、海外のゲーマーたちが問題視しているのは、「DEI(ダイバーシティ、エクイティ、インクルージョン)」や 「Woke」という現象、すなわち多様性を担保するために、ゲームで歴史が塗り替えられようとしていることだ。

Wokeとは、社会的不公正や差別、特にマイノリティやLGBTQIAコミュニティに関することに注意を払い、関心を持つことを意味する最近よく使われるスラングである。

ファンによるSNSへの書き込みはこんな具合だ。

「弥助が主人公であることに問題はない。私が問題にしているのは、現実に起きている歴史修正主義だ。10代に媚を売るDEIコンサルタントのせいで、彼は一夜にして家臣からサムライになってしまった」

アサシン クリードが日本を拠点にしているのに、日本人の男性主人公を使わないなんてバカだ。アフリカを舞台にしているのに、白人男性を主人公にするのと同じくらい間抜けだ」

前述の通り、弥助の地位に関する疑問は、本質的に答えがない。Ubisoftは弥助を主人公に選んだとき、このことを考慮したと思われる。弥助の冒険を、歴史的に正確である必要なく(Netflixがアニメを作ったときと同じように)、創造的であると同時に柔軟性を持たせられると考えたのだろう。実際、同社のサイトでは、弥助に焦点を当てることに決めたのは、「彼を取り巻く疑問や臆測がまだたくさんあるからだ」とクリエイターたちが述べている。


弥助(写真:「アサシン クリード シャドウズ」公式トレーラーより)

Wokeに対する反発はつねにある

Ubisoft自体は、日本を舞台にしたゲームの主役が日本人ではなく、黒人であることが注目され、批判を浴びる可能性があることを予想していただろうか? 昨今の状況を考えれば、もしそうでなければ驚くべきことだ。Woke的なものに対する反発は、実は何年も前からメディアにつねに存在している。

もっとも、注目を浴びるために論争を利用することは新しいことではない。これについては、2つの有名な言葉が思い浮かぶ。1つは、アメリカの有名な興行師、P.T.バーナムの「悪評も宣伝のうち」という言葉である。そしてもう1つは、著名作家、オスカー・ワイルドのこの言葉だ。「世の中で話題になっていることより悪いことは1つしかない。それは話題になっていないということだ」。

もし今回の炎上が意図されたものだとしたら、ミッションは成功したと言える。少なくとも海外のネット上では、「アサシン クリード シャドウズ」の話題で持ちきりだ。

この種の戦術が採用されたのは今回が初めてではない。

最近では、ディズニーが実写版『リトル・マーメイド』のアリエルを白人女性ではなく黒人女性が演じると発表し、同様の批判を受けた。ディズニーは、この選択が騒動を引き起こし、より多くの注目を集めることを予期していたのだろうか――おそらくそうだろう。

多くの反発はあったが、この映画の興行収入は全世界で5億7000万ドルと、ディズニーにおける実写版としては過去最高を記録した。スターの民族性をめぐる "スキャンダル"が、この数字に貢献したのか、それともマイナスに働いたのか、定かではないが、悪い数字ではないだろう。

アジア人役に白人を採用してコケた

映画版『ゴースト・イン・ザ・シェル』は、アジア人キャラクター役に白人女性のスカーレット・ヨハンソンを選んだ。映画製作者たちは、ハリウッドにおける「ホワイトウォッシング(白人以外の役柄に白人を配役すること)について疑問の声が上がったり、SNSで炎上する可能性を考慮しなかったのだろうか。

スタジオが雇った広報会社が間抜けでなければそうした反応は容易に想像できただろう。実際、『ゴースト・イン・ザ・シェル』の興行収入は製作費をわずかに上回る程度で、大失敗に終わった。パラマウントの国内配給責任者であるカイル・デイヴィスは、『ゴースト・イン・ザ・シェル』の興行成績不振の理由はホワイトウォッシング論争にあったと告白している。

「アメリカ国内ではもっといい結果を期待していた。キャスティングに関する会話がレビューに影響したと思う」とデイヴィスは述べている。「日本のアニメ映画が原作なので、ファンにとっては非常に重要な映画だ。だから、原作を尊重することと、大衆向けの映画を作ることの間でつねにその針に糸を通そうとしている」。

SNS上では、Ubisoftが今回、黒人の主人公を選んだのはDEIの力によるものだと考える人もいるようで、これは同社が「チェックマーク式多様性」に屈したことを示している。

つまり、組織のリーダーが根本的な文化的変革の必要性を認識することなく、例えば「マイノリティ✔︎」「女性✔︎」といった要領でチェックマークをするように多様性が扱われると、体系的な問題を熟慮することなく、表面的な問題に対処するだけになってしまうということだ。今回の判断がDEIの圧によるものであれば、「多様性疲れ」しているネット民の批判の的になってしまうリスクはあったのである。

「悪い宣伝」ははたしてUbisoftにとってどう転ぶだろうか。

(バイエ・マクニール : 作家)