吉川美代子、医者の言葉より自分を信じてがん発覚「子宮全摘に2度のがん」健康管理の鉄則
元TBSアナウンサーの吉川美代子さん。40代で更年期症状、その後、子宮筋腫で子宮、卵巣を摘出した。50代には珍しい膣がんの経験も。そして60代には大腸ポリープがたくさん見つかり、そのひとつががんに……。「自分の身体は自分で守るしかない。定期的な検診を欠かさないで」と語る。
【写真】「80歳までは健康でいる」吉川さんを支える大切な“家族”
医師から「僕の診断を信じないのか」と言われるも
子宮全摘から大腸ポリープ、膣がん、大腸がんをはじめ、さまざまな病と闘い、「実は入院手術歴豊富」というフリーアナウンサーの吉川美代子さん。1999年、45歳で子宮の粘膜下筋腫の手術。
この病気では、お腹に22cmにもおよぶ開腹手術を受け、子宮卵巣を摘出。2011年、57歳のときには、会社(TBS)で受けた検診で良性の大腸ポリープが見つかり、すぐに内視鏡手術で摘出。
「わが家は両親も祖父母もおじおばも、がんで亡くなっているので、自分もがんになるかもという漠然とした不安はありましたが、そのときはまだ現実味はありませんでした」
しかし翌年、58歳のときには、膣がんを発症してしまう。
「全摘して子宮がないのに不正出血したんです。嫌な予感がして、婦人科で診てもらいました。12年間定期的に通っている信頼するクリニックでした」
診察を受けたが、ドクターからは「年齢的なものだろう。問題なし」の返事。それでも心配で再検査を申請し、それでも心配で1か月後に再度診察を受けたが、やはり異常なしとの診断。
「ドクターからは“吉川さんは神経質すぎる。僕の診断を信じないのか!”と言われました。でも絶対に何かおかしいと思い、セカンドオピニオンを申し出て紹介状とレントゲンやMRI(磁気共鳴検査)などのデータの提供を頼んだら、本当に嫌な顔をされてしまいました」
セカンドオピニオンはどこがいいか、TBS報道局の医療担当記者に相談したら、
「“膣がんかもしれない。珍しいがんだから経験豊富ながんの専門医に診てもらうべき”と言われました」
記者が紹介してくれたのはがん研有明病院。
「診察したとたんに、“腫瘍があるようです”と言われて。それで細胞を取ってチェック。1週間後、“悪性でした。ごく初期のがんです。すぐ来院してください”という電話を受けました」
テレビでは冷静そのものの様子でニュースを報じる吉川さんも、このときは冷静ではいられなかった。
「診察室では手術やその後のことなど、医師の説明を冷静に聞いていたつもりでした。ところが、自動精算機で診療代の支払いをしようと診察カードを挿入口に入れても入らない。何度やってもダメで、“もしかして違うカードかも”と手元を見たら、ブルブルと手が震えていました。やっぱりがんと告知されてショックだったんですね」
ごく初期のがんだったので簡単な手術で切除でき、治療後の回復も順調。1か月後、仕事にも復帰できた。術後5年間は有明病院に通ったが、再発もなく今に至っている。しかし、あと半年受診が遅かったら、骨盤内の臓器をすべて取ることになっていたと吉川さん。
「自分ほど、自分の体調をわかっている者はいない」
「“僕の診断が信じられないのか!?”と言われてひるんでいたら、大変なことになっていたんですから……。危ないと思ったら遠慮なく専門医のセカンドオピニオンを要求すべき。自分の命とドクターのメンツ、大切なのはどちらか答えははっきりしています」
と語る。これ以降、“自分ほど、自分の体調をわかっている者はいない。医師の診断よりも、時には自分のカンを信じる”は、吉川さんの健康管理の鉄則になった。
60代になり、便秘と下痢を繰り返すようになる。64歳のときに大腸内視鏡検査を受けたら、
「大腸ポリープが12個もあって、そのうち4個はかなりの大きさで。担当してくださった医師から、全部取り切れたから安心しなさいと言われましたが、切除したポリープの細胞を調べたら、一部が悪性、すなわち大腸がんだったことが判明。担当医の話では、きわめて早期のがんで、内視鏡検査時にすっかり取り切れたそう。治療の必要はないとのことで、ホッとしました」
それからは毎年大腸内視鏡検査を受けている。毎回多数のポリープが見つかるので、大腸がんになりやすいとのこと。がんを早期発見して大事に至らないようにするためにも、検査は年間スケジュールの一つになっている。
数年前のこと。インフルエンザとも、のどの使いすぎとも異なる、尋常でないのどの痛みに襲われたことが。
「これは普通じゃないぞと。のどと声の名医として名高い医師に、声に異常があると診察をしてもらうのですが、予約がなかなか取れない。でも激しい痛みと声まで出なくなってしまい、予約なしで行って受付で、“アナウンサーで声が必要。でも、のどが痛くて声が出ません”と筆談して。待合室で2時間ほど待って診断してもらいました」
病名は急性喉頭蓋炎。気管にある喉頭蓋という組織が腫れ上がり、最悪の場合、発症後数時間で気管がふさがれて窒息死もありうる重篤な病気だったという。
「めったにない病気ですから、急性喉頭蓋炎の患者を診たことのない医師も多いそう。風邪かと思って内科に行って解熱剤と鎮痛剤をもらって帰って、その夜に窒息死ということもあるそうです。すぐに大量のステロイドを点滴しましたが、それでも喉頭蓋の腫れが治まらなかったら“気管に穴をあけて気道を確保する”と言われました。結局、朝晩2回ステロイドの点滴を1週間続けて生還できました」
約半年前の2023年6月には、仕事先の横浜で左膝の粉砕骨折を経験した。
「気が遠くなるほどの痛みでしたが、まさか膝のお皿が粉々になっているとは思わずに仕事を続行。でも激痛のため顔面蒼白だったらしく、周りから心配されました」
それからしばらくは仕事が詰まっていて、近所の病院の整形外科に行けたのは4日後。CT撮影後に医師から「これは膝の粉砕骨折。手術しないで固定して骨がくっつくのを待とう」と言われる。
膝が曲がらないように足首から太ももまでを石膏で固定。マンションのロビーを石膏製の重いギプスをつけて松葉づえで歩行していると、同じマンションに住む名医として内外で有名な整形外科医から声をかけられた。
「“吉川さん、いったいどうしたの!?”と。私が“粉砕骨折で。3週間後にまた診ると言われています”と答えると、“膝は4〜5日おきにCTとレントゲンを交互にとって様子を見ないと、一生、膝が曲がらなくなる。明後日なら空いているから、私の病院に来なさい!”と言われて」
躊躇せず初めに行った病院の予約をキャンセルして、こちらに通うことに。簡単に取り外しと太さ調整できる軽いギプスをつけることになり少し楽になったという。
2か月後にギプスをとって、今度はリハビリ。おかげで半年後の現在では、歩行にはまったく問題がない。
吉川さんが強く健康にこだわるのには、大切な“家族”の存在がある。保護猫のキリちゃんとフジちゃん、そしてロクちゃんの、ちょっと毛深い家族たち。
「80歳まではなんとしても健康でいるつもり。だって私が健康でないと、家族たちの面倒を見られませんから(笑)」
取材・文/千羽ひとみ
よしかわ・みよこ 1977年4月にTBSに入社し、以後37年間アナウンサーやキャスターとして活躍。TBSアナウンススクール校長を12年間務めた。2014年5月に定年退職し、2017年4月より京都産業大学現代社会学部客員教授を務めている。