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ジャニー喜多川氏の性加害問題では、事務所の責任だけではなく、「メディアの沈黙」に対しても厳しい目が注がれている。

10月7日、TBSは『報道特集』において、自社社員の証言をもとに、同事務所との関係性を検証。この他、NHK(『クローズアップ現代』)、日本テレビ(『news every.』)も同様の番組を放送している。

こうした番組では、ジャニー喜多川氏による性加害問題を報じてこなかった背景として、芸能スキャンダルとして軽視してきたこと、キャスティング圧力を背景として慎重な対応や過剰な「忖度」をしてきたことなどが明かされている。

フジテレビで23年間にわたり、社会部記者、情報番組プロデューサーなどを務めた吉野嘉高・筑紫女学園大学教授は、他にも「刑事事件として立件されていなかったことが、“マスメディアの沈黙”の一因となったのではないか」と指摘する。吉野教授の寄稿をお送りする。

●「立件されなかった犯罪については基本的には触れない」

故ジャニー喜多川氏の性加害問題をめぐるテレビ局の立ち位置がよくわからない。

ジャニーズ事務所は、2回目の記者会見(10月2日)で、社名変更などについて発表したが、それを受けて各局は、若干の違いはあるものの、ひとまず状況を「注視」したり、「確認」したりといったコメントを発表している。全体的には、まるでこの問題の「外側」にいるような印象は否めない。

テレビ各局はジャニーズ事務所とタッグを組んで日本のエンターテインメントを盛り上げてきたのに、この問題をめぐるテレビ局への疑問が解決していないまま、傍観者的な姿勢に移行するのであれば理解に苦しむ。

テレビ局への疑問のひとつは、「外部専門家による再発防止特別チーム」が指摘した「マスメディアの沈黙」である。この問題が報道されなかった理由は何だろうか。NHKや日本テレビ、TBSは検証番組を放送したが、要因のひとつは、「大きな問題」という意識がなかったことである。

では、なぜそのような意識がなかったのだろうか? 

ジャニー氏の性加害に関しては、元所属タレントの告発本や雑誌記事など過去に何度も報じられてきた。しかし今年(2023年)3月、BBCがドキュメンタリー番組を報じるまで、テレビ局側に「大きな問題」という意識がなかった理由のひとつには、刑事事件に発展していないという事実が挙げられる。

芸能界の性に関する価値観は特別なものという感覚があったのも確かだが、立件されなかった犯罪については基本的には触れないというテレビ報道の「暗黙のルール」が、「マスメディアの沈黙」について論じる際の「勘所」であると筆者は考えている。

●テレビ報道の「暗黙のルール」

テレビ局で性加害が「大きな問題」として認識され、加害者について報道されるためには、逮捕されたり、逮捕令状が発布されたり、あるいは書類送検されたりなど、この人物について警察が捜査をして何らかの手続きをしている必要がある。

このような警察の動きが確認できれば、事実上、テレビ局にとっては、ニュースとして報道が可能というお墨付きを与えられることになる。逆に確認できないと、性加害問題は報道できない。これは放送基準や番組基準などには書かれていないテレビ報道の「暗黙のルール」である。もちろん警察発表を書くことだけが仕事ではないが、記者クラブの枠組みの中で警察の動きを追うことに忙殺されている事件記者が多いのが現状であろう。

2004年に性加害の事実が最高裁で確定したといっても(詳細は後述)、あくまでも民事裁判である。しかも一審判決では、被害者とされる少年らの供述は真実と認められていない(二審で逆転)。「暗黙のルール」に従えば、テレビの報道関係者に「大きな問題」という意識が芽生えることはなかったのだろう。

この「暗黙のルール」には一定の意義がある。テレビ局には警察のように強制捜査権があるわけではないので、証拠をもとに厳格に事実関係を確認することは難しく、情報収集には限界がある。それゆえ、その是非はともかくとして、警察の発表を待って報道するのが、いわば慣行のようになっている。

●「暗黙のルール」を破って報道は可能

一方で、刑事事件ではなく、民事事件として扱うことができたのではないかという疑問も出てくるだろう。

実際、逮捕情報など警察が動いたという情報がないにもかかわらず、週刊文春やイギリスのBBCは、この問題を取り上げている。

今年3月に報道されたBBCのドキュメンタリー『J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル』をチェックすると、両者とも取材で得た複数の証言を検討して、共通点などをあぶりだし、真実性があると判断して伝えたことが読み取れる。そして、このBBCの報道や実名、顔を出して証言する被害者たちに背中を押される形で、遅ればせながら「暗黙のルール」を破り、日本のテレビ各局もニュースとしてこの問題を取り上げたのである。

このように、本来は、雑誌であろうが、テレビであろうが、警察が逮捕も書類送検もしていなくても、独自の判断基準に照らしてジャニーズ性加害問題を報道することは可能なのである。

ただし、被害者の話が真実なのかどうかは、慎重な検討が必要であることは言うまでもない。例えば、証言が細部にわたって述べられているか、事実関係に矛盾がないかなどのチェックのほかに、ジャニーズ性加害問題のように被害者が多数いる場合は、複数の証言にどのような共通点があるのかも判断材料のひとつになるだろう。

取材内容の検討により、取材者が性加害を事実と確信したとしよう。しかし、この「暗黙のルール」があるため、警察が動いてなければ、ニュース番組で取り上げることは難しい。このルールを破ることで、初めて報道が可能となる。

ルールを破る際に、名誉毀損訴訟で裁判所がどのような判断基準を示してきたかは参考になる。最高裁は、メディアの報道で取り上げられた人物の社会的評価を下げて名誉毀損に当たるような場合であっても、公益性、公共性、真実性・真実相当性がある場合には、免責され得るとの判断を示している。

テレビの報道関係者は、これを参考にしながら、被害者の証言に真実性があるかどうかを検討する。報道の可否を決めるための判断基準といえる。

●実際には訴訟リスクがある

ところが、判例を参考にして「暗黙のルール」を破ろうとしても、警察情報に頼らずに報道することは極めて難しい。訴訟リスクがあるからである。

裁判では取材源の秘匿というジャーナリズムの守秘義務を守りながら、テレビ局側が、真実性を証明する必要がある。このハードルは高い。情報源を隠しながら事実を明らかにするという葛藤を強いられるからである。

さらに、裁判になった時点で、やっかいな問題を起こしたとして、ニュース原稿を書いた記者や放送した番組担当者の業務評価が下がる可能性がないとはいえない。火中の栗を拾わない「事なかれ主義」が処世術として無難であることは、組織で働く人であれば、肌感覚で理解できるはずだ。

なお、ジャニー喜多川氏の性加害問題を報じた『週刊文春』の発行元・文藝春秋は1999年に、同氏側から名誉毀損で提訴されている。しかし、この裁判は二審・東京高裁で「記事の主要部分は真実性の要件を満たしている」として真実性を認められ、2004年、最高裁で確定している。

●徹底調査と「暗黙のルール」の検証

もちろん、綿密な取材の末に警察よりもいち早く問題を発掘し、疑惑を提示することはジャーナリストとして必要だ。しかし、「暗黙のルール」を破るのは非常に大きなハードルがあることも確かだろう。このため、ジャニーズ性加害問題と同様の問題が今後再び生じても、「マスメディアの沈黙」が繰り返され、テレビでは報道されないのではないか。

この点に関して、イギリスBBCの対応は参考になる。BBCでは、人気司会者ジミー・サビル氏の性加害問題について2つの第三者委員会を立ち上げて調査を実施し、それぞれ報告書を公表している。報告書は、BBC内部の仕組みや企業文化にまで踏み込み、厳しい内容になっている。

サビル氏の性加害問題には、被害者が多いこと、長年にわたって見て見ぬふりをされてきたことなど、ジャニーズ問題との類似点が指摘されているだけに、教訓をくみ取ることができるだろう。間違ったことをしてしまうのは同様かもしれないが、BBCが徹底的な調査を外部に委託した姿勢からは、再発防止への強い気概が感じられる。

今、日本のテレビ局に、この気概はあるのだろうか。

各局は、傍観者のように事態を見守るのではなく、この性加害が生じた土壌を容認してきた当事者としてこの問題に対峙し、徹底的な内部調査で具体的に原因を究明した後、再発防止策も含めた報告書を公表することが求められている。

その際に、この「暗黙のルール」を検証する。警察に頼りすぎるのではなく、自律的に報道する場合に必要な新しい仕組みや、ニュースの判断基準を再発防止策に加えてみてはどうだろうか。

〈プロフィール〉
吉野嘉高 ヨシノ・ヨシタカ
1962(昭和37)年広島県生まれ。 筑紫女学園大学文学部教授。 1986年フジテレビジョン入社。 情報番組、ニュース番組のディレクターやプロデューサーのほか、社会部記者などを務める。 2009年同社を退職し現職。専門はメディア論。