「母とは二度と会わない」絶縁選んだ娘の辛い半生
母親が軽度の知的障害だったと語る、30代の柚実さん(仮名)(写真:筆者撮影)
「『障害のある親が子どもを育てる』みたいなトピックが出ると、バッシングされることがありますよね。『子どもがかわいそう』とか『こんな人が子どもを産んだり育てたりしてはいけない』みたいな。でも私はそういうことを言いたいのでは、絶対にないんです」
今回登場してくれるのは「母親が軽度の知的障害でした」と連絡をくれた、30代の柚実さん(仮名)。やや蒸し暑い平日の午後、広々としたコーヒー店のテラス席に着くと、「最初にお伝えしたいことがあって」と口にしたのが冒頭の言葉でした。
小学生のときに両親が離婚し、母親に引き取られて祖父の家で暮らしてきた柚実さんは、今から5年ほど前、結婚を機に実家と縁を切りました。安定した仕事につき、夫と生活する柚実さんは、最近ようやく「これが私と母親の適切な距離だ」と感じるようになったといいます。これまで、どんな道を歩んできたのでしょうか。
中高生のように「うるせえんだよ」と声をあげる母親
娘である自分と話が通じない。語彙が少なく、言葉が拙い。興味の幅が狭い。お金の計算ができない。先の見通しを立てられない――。お母さんには、いわゆる発達の特性や、軽めの知的なハンディがあったようです。
はっきりと気づいたのは、柚実さんが高校生の頃でした。ふと目にした請求書に記載された母の携帯料金があまりに高額だったため、「もしや」と思い確認すると、占いなどのオプションサービスに山ほど登録していたことがわかりました。
今でこそ「特性ゆえに、問題を先送りしてしまった結果だろう」と察しがつきますが、当時はまったくわかりませんでした。ただ、「この人はちょっと問題を抱えているんじゃないか」と思ったことは、よく覚えています。
母親は人間関係にも苦労していたようです。パート先ではトラブルが多く、近所で騒がしい家があれば「化粧品の瓶を投げ込む」ことも。祖父母が止めると「うるせえんだよ」と大声をあげる母親を、「まるで中高生の子どものようだった」と振り返る柚実さん自身、当時は子どもでした。
戦中生まれの祖父は、学歴コンプレックスが強い人で、家族へのDVやセクハラが日常でした。最も被害を受けたのは、おそらく柚実さんの弟です。弟も母親と同様の傾向があり、勉強や人間関係で苦労していましたが、祖父は「なんでお前はできないのか」と弟を責め、暴力をふるっていました。
友達からよく「カモにされていた」弟
弟が友達からよく「カモにされていた」ことも、忘れられません。
「ゲームセンターに連れて行かれては、有り金を全部はたかされるんです。高校に行ったらDSを騙しとられちゃって。母も高額な着物を二束三文で売ってしまったことがあります。知的なハンディのある人って、本当にカモにされるんですよ。見ていて本当につらい」
弟を見かねて、柚実さんが役所の窓口に相談をしたこともあります。
「私が大学生のとき、弟を療育につなげたいと思って、住んでいた自治体に電話したんです。姉が相談してくるのは珍しかったみたいで、すごく親切にしてくれて。通知表とかいろいろ持ってくるように言われたんですけれど、それは親が行かないといけない。でも、母親は祖父の影響で(障害や療育に)偏見があったから、全然取り合ってくれなくて、結局断念しました。八方ふさがりでした」
祖父の暴力は、弟と母親、祖母に向けられていました。柚実さんだけは「嫁入り前の娘だから」という理由で手をあげられなかったそうですが、その理由にも「すごくムカつくし、モヤモヤした」といいます。
暴力は受けなかったものの、柚実さんも祖父にはいい思い出が皆無です。同居していた頃は「俺にお前の扶養義務はない。お前は居候だ」と言われ続け、数年前に彼女が絶縁を伝えたときには「お前にはこれだけの金がかかった、返せ」と手紙が送られてきたそう。
「でも、祖父のことはもういいんです。話す価値もない。一周まわってどうでもよくなっちゃって、恨んですらいません。祖父はしばらく前に亡くなって、弟が知らせてくれたんですけれど、私は香典だけ送って葬式にも行っていないです。今の状況が一番心地よいですね、『恨むことにエネルギーを使わない』っていうのが」
柚実さんは20代の頃に「毒親や機能不全家族の本」をたくさん読んだことで、「自分のなかでいろいろと折り合いがついたのかもしれない」と話します。本を読むことは「知識を仕入れること」であり、それはつまり「自分一人で考え込まないこと」だったと考えています。
祖父のことは早々に見切った柚実さんですが、一方で母親と縁を切ることについては「何年も迷った」といいます。母親は祖父にコントロールされていたため、祖父と絶縁するには母親とも連絡を絶つ必要があったのですが、「母親はたぶん、なぜ娘に冷たくされるのかわからないだろう」と思うと、なかなか踏ん切れなかったそう。
でも結局のところ、母親の無理解は、柚実さんのなかで問題にはならなかったようです。
母との関係は「離れている時間が解決してくれた」
「私からは『もう会わないことにする。会わなくても、私は娘だからね』みたいなメッセージを母に送って、終わりにしようと思ったんです。でも、その後も母からはふつうに連絡がくるんですよね。『もう連絡をしてはいけない』とは別に思っていないみたいで。
1年くらい前、母から職場に電話がかかってきちゃったことがあって、『私はいません』と対応してもらったんですけれど。そのとき『この人(母)のこと私はもう、どうでもいいと思っているんだな』って気づいたんです。『そうか、私はもうこの人のこと吹っ切れたんだな』って」
母親はおそらく今も、柚実さんと絶縁したとは思っていないのでしょう。でも、彼女のなかではすでに、母親との関係には区切りがついているのです。もう背後にいた祖父は他界し、気にする必要がなくなったのですが、いまは「これが母と私の適切な距離。離れている時間が解決してくれた」と感じています。
「今後もし母のほうがにっちもさっちもいかなくなって、また私を頼ってくる状況があったとしても、私個人で抱え込むつもりはまったくなくて、行政の支援につなげるって決めているんです。血がつながっているからどうとかではなく、ただこの社会に生きるひとりの人間として(支援が必要な人には)そうしようって。今はもう、そういう心境です」
最近、柚実さんは気づいたことがあるといいます。
「私が小さかったときは、母もきっと『親として接してくれた頃』というのがあったのかなって思うんです。私と母親の知能がまだ逆転していなかった頃、と言うとちょっと切ないんですけれど。私が今こんな心境になれたのは、人生の本当に最初の親子の触れ合いみたいなところでは、母がうまいことやってくれたからかなって」
こういった穏やかな思いは「母と距離を置いたからこそ生まれた」と、柚実さん。「苦労はしたけれど、得るものも多い環境だった」と、いまは感じています。
「大学のとき、私もADHD(注意欠陥・多動性障害)だとわかったことも大きかったと思います。『自分も困りごとを抱えている一人なんだ』って気づけました。高校や大学の頃は、私も祖父の影響で能力主義的な価値観が強かったんですけれど、今はこれが『自分の実力だ』というふうには思わないので。
私が今、こんなふうに話せているのは『幸運が重なったからだ』ってすごく思います。いい出会いに恵まれ、いろんな人に支えてもらえたので。だから誰にでもこういうふうにできるよ、とは言いたくなくて」
先日は、こんなことがありました。駅で電車に乗り遅れて、困っている男性を見かけたのです。
「その方が、お母さんと電話で話しているのが聞こえてきて。ある駅に行きたいんだけれど、そこに行くには直通電車を逃すと、別の駅で乗り換えないと行けない。でもその乗り換えは、毎回ホームが変わるから、知的障害の人にとってはすごいバリアなんです。それで困っているんだな、と思って。
周りの人は『コワい、近寄らんとこ』という感じなんですけれど、弟も結構、外で慣れないことがあると大声を出しちゃったりするのを私は見ていたので、『○○駅に行きたいんですか?』って声をかけて、一緒にその駅まで行きました。そのとき『私、こういうことをするために今までの人生を送ってきたのかも』って思ったんです」
「お前が助けろよ、に頼らない社会」へ
これは、いま彼女が就いている仕事にもつながる話であると同時に、冒頭の話にもかかわってくる話でした。
「だからこそ、もともとのところで排除してはいけないと思うんです。『障害がある人は子どもを産んではいけない』みたいなことを言っていると、あんまり考えたくないですけれど、虐殺とかに行き着くわけじゃないですか。恐ろしいけれど、現実離れした話ではないと思います。実際、過去には『優生保護法』なんてものがあったわけですから。
『ここから先はダメ』みたいなことは誰にも言えない、というか、言うべきじゃ絶対にない。そうやって線を引いたときに、あなたがその当事者になるかもしれない。その線は、自分に迫ってくる、って思うんです」
彼女はこのことを私に伝えたくて、連絡をくれたのでしょう。
「『じゃあお前が助けてやれよ、俺は面倒みないからな』というのも違くて、『お前が助けろよ、に頼らない社会』になっていかないといけない。結局、みんなが見向きもしないから『お前が助けろよ』になるのであって、みんながもうちょっとずつ、その人に対してコミットできるような姿勢であれば。もうちょっとみんなで助け合えたら、うちの母親みたいな親も、もっと助かったと思うんですよね。
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行政のサポートを拡充することもだいじですし、『一人ひとりの意識が変わる』というのも、両輪で必要ですよね。制度が整いすぎると、今度はみんな『制度があるからいいじゃん』になってしまうので」
取材が終わる頃、暑さで具合が悪くなってしまった柚実さん。病院に向かう途中、「大塚さんみたいなお母さんがいたらよかった」などとしみじみ言われ、気恥ずかしいような、せつないような。うちの息子が聞いたら失笑すること間違いなしですが、柚実さんのお母さんがもしできるならしてあげたかったであろうことを、想像するのでした。
本連載では、いろいろな形の家族や環境で育った子どもの立場の方のお話をお待ちしております。周囲から「かわいそう」または「幸せそう」と思われていたけれど、実際は異なる思いを抱いていたという方。おおまかな内容を、こちらのフォームよりご連絡ください。
(大塚 玲子 : ノンフィクションライター)