「ルフィ事件」はフィリピンの現地でどう見えるか
「ルフィ」事件の容疑者らが収監されていたフィリピン・マニラの入管収容施設(写真・共同)
大規模な特殊詐欺や広域強盗事件への関与を疑われた4人の容疑者が、収容されていたフィリピン・マニラ首都圏の入管施設から2023年2月9日までに日本に強制送還された。
この2週間余り、日本では4人の行動に加え、フィリピンの法治の欠如、賄賂が横行する収容所のありさまなどに焦点を当てた集中豪雨的な報道が続いたが、現地で一連の騒動を横目で見ていた私には、日本メディアに欠けているいくつかの視点があるように思える。
日本警察の対応は十分だったのか
1つは警察の対応への批判的な検証だ。
取材が過熱したきっかけは2023年1月19日、東京都狛江市で90歳の女性が殺害された事件だった。連続強盗を指示していた「ルフィ」を名乗る人物の通話履歴から、フィリピンで収容されていた渡辺優樹、今村磨人両容疑者ら4人が捜査線上に浮かんだ。
渡辺容疑者は2021年、今村容疑者は2019年からフィリピンで拘束されていた。日本の警察は彼らがフィリピンで逮捕された段階から送還を要請していたものの、いずれも現地で刑事事件の被告となり、フィリピンの裁判が優先されるため早期に実現しなかったと弁明している。4人はいずれも虚偽とみられる事実を基に告訴を受けて起訴されていた。送還を避ける工作とみられた。
一方、フィリピンのレムリヤ法相は、日本大使館から正式な送還要請が来たのは2023年1月30日で「わずか11日で送還が実現した」と胸を張った。とすればそれ以前の要請は正式なものではなかったのか。
特殊詐欺や強盗事件と4人のかかわりを警察が突き止めたのはいつなのか。送還に向けてどのような手を打ってきたのか。もっと早く対応していれば老女は殺されずに済んだのではないか。そこに切り込む報道に私は接していない。
日本とフィリピンの間で犯罪者引き渡し条約は結ばれていない。このため容疑者を送還するには、案件ごとに個別の処理が必要だ。一般的に大使館経由の外交ルートで要請する形をとるが、在フィリピン日本大使館の場合、警察庁から出向している書記官(アタッシェ)が主に対応にあたる。
フィリピンで日本の警察は、キャリア組を含め3人ほどを大使館に出向させているほか、国際協力機構(JICA)の専門家の肩書などでフィリピン国家警察や国家捜査局などに複数の警察官を派遣している。送還手続きだけでなく、日本人がらみの事件があれば、こうした警察出向者らが対応にあたっている。世界中の日本の在外公館の中で、警察出身者が最も手厚く配置されているのはフィリピンだ。
フィリピンに手厚い日本警察
それは、日本人がらみの事件が多いためだ、外務省の海外邦人援護統計によると、フィリピン大使館の擁護件数は2020年、2021年と世界最多だった。過去もほとんどの年で首位。殺人件数は最も多い。
犯罪捜査はすぐれて国家主権にかかわる活動なので、警察のアタッシェは決して表に出ないよう心掛けているが、私が新聞記者時代に取材した事件では、日本の警察出向官がときにフィリピン警察を動かし、事実上の捜査を仕切っていると感じることさえあった。
フィリピンでは通常行われていない指紋採取なども指導し、日本人絡みの事件となれば採取用の粉末なども提供していた。フィリピン側捜査車両のガソリン代を負担することもあると聞いた。
1986年に起きた三井物産マニラ支店長誘拐事件では、別の事件で出張中の大阪府警の捜査員が現地で関係者から事情聴取して調書を巻いていた。
強制送還の段取りでも中心となるのは、大使館の警察アタッシェだ。彼らが日ごろからどれだけ現地の警察や司法当局に食い込み、パイプを築いているかが1つのポイントとなる。
送還対象者が地元で刑事事件の容疑者や被告となった場合は、確かに一筋縄ではいかない。それでも今回のように警察のみならず日本政府の総意として働きかければ話は格段に速く進む。
事件の重要性の判断によって日本警察の力の入れ方も異なり、送還の時期も変わる。警察アタッシェが大使らも巻き込んで大使館ぐるみで動くか、警察庁が外務省に強く働きかけて、より強くフィリピン政府にプッシュするか……、だ。
ただ、私の疑問は、狛江の事件までに警察庁はフィリピン当局にどのような働きかけをしていたかということだ。それが十分なものだったのかどうか。日本側からは送還をめぐるフィリピン側の対応に不満を漏らす声を聞くが、日本のメディアや警察担当者には日本側の対応こそを検証してもらいたい。
容疑者送還と大統領訪日の関係
日本とフィリピン両政府が4人の送還を急いだのは、マルコス大統領の訪日が迫っていたからだ。レムリヤ法相も幾度となく「訪日前に」と口にしていた。結局、渡辺容疑者らを乗せた日本の航空機は、大統領専用機から遅れること数時間後の離陸となったのだが。
大統領の公式訪問中に、賄賂まみれの収容所の実態といった自国の恥が繰り返し報道されるのを避けたい思いがフィリピン側にあったことは確かだが、日本政府としても立場は同じだった。
岸田文雄首相は2月9日の首脳会談で「官民挙げて来年3月までに6000億円の支援を実施する」と約束した。安倍晋三元首相が2017年に当時のドゥテルテ大統領に「5年で1兆円の援助や投資をする」と約束した以上の大盤振る舞いである。
ネット上では、今回の事件と絡めて「なぜ悪党の楽園フィリピンに6000億円も」「防衛増税といっているときに、とんでもない」といった声が多数上がっているのだ。
もちろん今回の事件と援助や投資はまったく別次元の話である。フィリピンへの政府開発援助(ODA)は2019年までの累計で約2兆5000億円と、対インド、バングラデシュに次ぐ世界第3位であり、フィリピンにとって日本は最大の援助供与国だ。
つまり巨額の援助はいまに始まったわけではない。さらに米中対立の激化に伴いフィリピンの安全保障上の重要性が近年急速に増している事情もある。日米と中国がフィリピンを巡って綱引きをしている状況なのだ。
アメリカのバイデン大統領はマルコス氏が大統領選で当選を決めた2022年5月、他の首脳に先駆けていち早く電話で祝福、同年10月にはニューヨークで会談した。翌11月にはハリス副大統領がフィリピンを訪れ、中国との領有権問題を争う南シナ海の最前線となるパラワン島を訪れ、フィリピンの巡視船に乗って、同盟強化を誓う演説をした。
オースティン国防長官は2023年2月、マニラでマルコス大統領と会談、2014年に締結された比米防衛協力強化協定(EDCA)に基づき、アメリカ軍が使用できる基地を現在の5カ所から9カ所に増やす約束を取り付けた。南シナ海紛争だけではなく台湾有事を見据えた動きだ。
米中対立の狭間のフィリピン
一方、中国の習近平国家主席は2023年1月、マルコス大統領を北京で大歓迎し、253億ドル(約3兆3000億円)に上る投資と援助を約束した。もっとも中国はドゥテルテ前大統領が2016年に初訪中した際には240億ドルの約束をしたものの、結局ほとんど空手形に終わったこともあり、どこまで実行されるかはマルコス政権の出方次第となる。
マルコス大統領は訪日で、日本側の「お土産」が6000億円とすれば、フィリピン側の土産は4人の容疑者だったと見えるかもしれない。そもそもODAは受け取る側だけではなく、出し手の都合も一致してはじめて供与される。今回も日本が一方的に恵んでいるわけではない。安全保障や経済への貢献に加えて、捜査協力などさまざまな思惑が含まれていても不思議はない。
今回の騒動で「フィリピン=危険な国」、あるいは「フィリピン=でたらめな国」といったイメージが増幅・再生産され、日本人の記憶に長く残るであろう。観光や近年急速に伸びていた英語留学、日本企業の進出や投資にも影響を与えることは間違いない。
フィリピン側がまいたタネもあるが、文化や背景を無視した日本の報道が一方的なレッテル貼りにつながっている面も無視できない。
「闇」が指摘される入管や刑務所などの収容施設だが、フィリピンでは容疑者や囚人であっても家族との面会やスマホを通じた会話を絶つのは非人道的といった感覚がある。法を犯したものに「自由を与えることなどとんでもない」と日本人の多くは思うだろうが、フィリピン人は必ずしもそうは考えない。文化の違いである。
振り返って日本の入管はどうなのか。フィリピンの入管施設で日本人が病気になって助けを求めたら、職員らはおそらく見殺しにはしない。一方、スリランカ人女性が健康悪化を訴えながら病院に搬送されることもなく亡くなった名古屋入管の例を、フィリピン人が聞いたら絶句するだろう。
送還をめぐり警視庁は、記者クラブにレクを繰り返していた。報道各社は送還日時や航空便の予定を警察から教えてもらい、容疑者らと同じ便に「箱乗り」するが、警察側の指示に従って容疑者に声掛けすることもない。
メディアスクラムの異様な光景
同乗して得られる情報は機内食の中身ぐらいだ。到着後はヘリコプターを飛ばして容疑者の乗る車両を追いかける。強制送還の取材に7チームを出して取材にあったテレビ局もあった。
こうした多大の金と人手をかける意味がどれほどあるのか。「ルフィ」強盗事件、「悪党の天国」にしたのは誰かという前回の記事で、「『犯罪の輸出』をしているのはほかならぬ日本である。実は、『悪党の輸出大国ニッポン』」なのだ」と書いた。
もう1つ、日本が輸出したものがある。他国でほとん見られない「メディアスクラム」である。「箱乗り」をはじめこれほど大挙して報道陣が同一の行動をとる国はまれだろう。「事件や事故の際に見られる集中豪雨型の集団的過熱取材」(日本新聞協会)の異様な風景が、現地の人々の目にどのように映っているか、想像力を働かせてほしい。
(柴田 直治 : ジャーナリスト、アジア政経社会フォーラム(APES)共同代表)