この記事をまとめると

■スーパーカーメーカーとして名高いフェラーリ

■フェラーリほど伝説めいたエピソードに彩られたブランドはそう多くない

■この記事ではフェラーリにまつわる伝説を紹介

フェラーリだから許される!? 伝説の数々

 フェラーリはフェラーリであり、またフェラーリであり続けねばならない。ルイジ・キネッティ、言わずと知れた名レーサーであり、エンツォ・フェラーリの数少ない友人にして、アメリカで最初のフェラーリ正規ディーラーを始めた人物の言葉です。含蓄たっぷりですが、フェラーリほど伝説めいたエピソードに彩られたブランドは世界を見まわしてもそう多くはありません。そこで、編集部に寄せられた「ほんまでっか?」伝説をいくつかご紹介してみましょう。

「発売前から完売」&「なんで完売したクルマの発表会や試乗会をやるの?」

 これは、ラ フェラーリ発売のタイミングでクルマ業界だけでなく世界的に話題となったかと。まず、発売前に完売してしまう理由は簡単で、フェラーリはエンツォ存命時から既存の顧客に向けて「これこれこういうモデル作りますよ」と発表のかなり前に知らせるから。で、彼らは詳細なスペックはおろか、値段さえ知らされなくとも、それがフェラーリの特別なクルマなら無条件に買うわけです。

 ひとくちに既存の顧客といっても、同社の場合は世界中の王侯貴族や、人品骨柄卑しからざる大金持ちといったメンバーがほとんど。もっと詳しく言えば、前述のキネッティからフェラーリのレーシングカーを購入し続け、転売などすることなくしっかりレースにエントリー(しかも勝ったりなんかしたらバッチリ!)した顧客にほかなりません。もちろん、ホーア大佐率いるイギリスの「マラネロ・コンセッショネアーズ」なんて由緒ある正規ディーラーの太い客なんかもそうした顧客候補でしょう。ちなみに、こうした顧客はたいていの場合、ワンオフモデル(いまでいうフオリ・セリエ)の注文歴なんかもあったりして、いわゆる「特別なお客様」にほかならないのです。

 その昔は、王侯貴族であろうとも新顔の客はマラネロ詣でがマストであり、エンツォの印象を損ねたら一生売ってもらえない、などとまことしやかな噂まであったほど(これは後にキネッティのイタリア人らしい「大げさな表現」だとバレています)。

 引き合いに出して申し訳ありませんが、かの「ヤナセ」でさえ新車が出るたびに黙って買ってくれるお客様にこと欠かなかったといいますから、世界にはレベルの違う客が大勢いてもおかしくはないでしょう。

 また、いまとなってはキネッティやホーア大佐のディーラーも(資本が変わって)ありませんので、よりプラクティカルなことになっています。つまり、世界各国の正規ディーラーと好ましい取引をしていることや、コルセ・クリエンティやXXプログラムといったサービスを利用できている(これとても、正規ディーラーとの信頼関係なくしては無理)ことが「特別なお客様」の第一条件といえるでしょう。こうしてみると、普通の顧客になるのは正規ディーラーと根気強く付き合えばなれそうですが、次のレベルに進むのはいろいろと難しいことがおわかりいただけるはず。

 で、完売したクルマの発表会や試乗会をやる理由もさほど込み入ったものではありません。フェラーリが作った「価値あるクルマ」を、限られた「特別なお客様」だけでなく、広く世界中の人々に知らしめたい(いわゆるブランドの価値と存在の証明)から、といったところでしょうか。フェラーリにとっては、一般的なカタログモデルはもちろん、フオリ・セリエやスペチアーレといったモデルも文字どおり特別な存在です。フェラーリがフェラーリであり続けるには、こうした特別なモデルが欠かせません。モンテゼーモロ社長が就任する以前、それはF1マシンが担う役割でしたが、同社長は特別なモデルがあげる収益を目ざとく見つけ、クラシックF1の動態保存や中古F1の販売・レストアといったサービスを拡充。後のクリエンティ・サービス、はたまたクラシケといったビジネスへと発展させただけでなく「特別なお客様」の増加、囲い込みに成功したといえるでしょう。

F1の車体色は時代によってまちまち!

「F1は朱色でロッソ・コルサではない!?」

 フェラーリのマーケティング部門にいわせると「ロッソ・コルサは我々のDNAに根差しています」と、あたかもF1のカラーリングに発祥するカラーかのような印象です。が、F1の車体色は実際のところ時代によってまちまち、バラバラといったところでしょう。

 たとえば、エンツォがイケイケでヴィットリオ・ヤーノやランプレディをこき使っていたころは赤というよりエンジに近い感じだし、エンツォ大好きイタリアンパイロットのミケーレ・アルボレートが乗っていたころになると朱色っぽい赤。はたまた、ラウダやビルヌーヴの頃は深紅に近い赤だったりと、デザイナーやエンツォの意向によってブレまくりといってもいいかと(笑)。

 実際、フェラーリのカラーコンフィギュレーターをいじってみると、ロッソと名の付くカラーが驚くほどたくさん出てきます。ロッソ・コルサを筆頭に、おなじみロッソ・スクーデリア、ロッソ・ムジェロ(言うまでもなくフェラーリのホームコース)、ロッソ・ディーノ(スペチアーレのディーノはこのロッソではない模様)、ロッソ・ベルリネッタ(BBでなく、大昔のルッソやTdfっぽい赤)さらには、ロッソ・フォーミュラ1 2007なんて設定まで! 出荷モデルの85%がロッソというフェラーリだけのことはありますね。

 ちなみに、これだけロッソ大好きなフェラーリですが、コーポレートカラーはイエローです(笑)。F1やそれ以外のレーシングカーで用いられるエンブレムは長方形も盾型にしても地色は黄色が用いられているほか(なお、市販車はエンブレムでなく馬アイコンだけというのが原則)、社内の用箋、鉛筆、マグカップも黄色+ウマをモチーフとしています。これは、フェラーリ本社があるマラネロが位置するモデナ県の紋章を見れば納得するはず。黄色い地色に青い十字というデザインで、レペゼン「マラネロ」なエンツォらしい背景でしょう。もっとも、エンツォが終生使っていたインクの色は紫だったそうです。真偽のほどは不明ですが、正妻ラウラが好きな色だったというロマンチストな一面も。

「雨の日には乗りたくないF40」

 これは、ドイツのクルマ雑誌「Auto Motor und Sport」が企画したF40 vs ポルシェ959にF40推しとして登場したゲルハルト・ベルガーの発言でしょう。一方、959推しとして登場したのがワルター・ブルン(ブルン・ポルシェ・レーシングのオーナーで、元々はル・マンにも962を駆ってたびたび出場した名レーサー)。お互い試乗し合ってどちらが優れているかを競うといった内容でした。何を隠そう、この記事は筆者が編集部に属していたスーパーカー雑誌に掲載されたので、お読みになった方もいるかもしれません。

 記事の終盤で、ふたりがそれぞれインプレッションを述べたのですが、その一節が先のセリフ。F1パイロットをしても、F40の荒々しさは御しがたいものと、当時は度肝を抜かれたものです。ベルガーはF40の開発にも携わったとされており、その途上でもツインターボのセッティングには手を焼いたことを後から認めています。

 はたして、エンツォはこのセリフを聞いてどんな顔をしたものか、じつに興味深いところ。エンツォは生涯をレースに費やしたといっても過言ではなく、本音の部分ではフェラーリといえども公道を走るクルマは眼中になかったはず。そんな彼が最後に手がけたF40は、たとえナンバー付きとはいえ、ベルガーでさえ苦労をするというコンペティションマシンにほど近いものです。個人的な想像を述べるとしたら、エンツォはしてやったりとばかりにほくそえんでいたのではないでしょうか。