新世代ルーツ・ロック・デュオ、ラーキン・ポー(Larkin Poe)の最新アルバム『ブラッド・ハーモニー』が11月9日に日本先行発売された(配信は11月11日スタート)。姉メーガンが奏でるラップ・スティール、妹レベッカの力強いボーカルとギターが織りなすサザン・ハーモニーが話題沸騰中。来日経験もある2人の最新インタビューをお届けする。


ラーキン・ポー(Photo by Jason Stoltz) 
レベッカ&メーガン・ラヴェル姉妹によって2010年に結成。バンド名は、先祖にエドガー・アラン・ポーの遠縁がいる事に由来。これまで5枚のアルバムを発表、過去2作で全米ブルース・アルバム・チャート1位を記録。第62回グラミー賞「ベスト・コンテンポラリー・ブルース・アルバム」ノミネート。ザ・ニュー・ベースメント・テープス『ロスト・オン・ザ・リヴァー』(2014年)、スティーヴン・タイラーのソロ作『サムバディ・フロム・サムウェア』(2016年)に参加。2014年に初出演したグラストンベリー・フェスでは「最大の発見」(英オブザーバー紙)と評された。

―過去に2度日本を訪れて公演を行なっていますが、特に印象に残っている出来事はありますか?

レベッカ:たくさんの思い出があります。初めて日本に行った時は(2016年に)エルヴィス・コステロの前座を務めて、2回の素晴らしいライブを行ないました。その後、ラーキン・ポーとして再来日が実現して……。

メーガン:2019年ですね。

レベッカ:公演の前にオフの日を満喫しました。たくさんの観光地を巡って、日本での食事を楽しんで。いい思い出で一杯です。

―あなたたちは南部の出身者として、自分たちが豊かな音楽的遺産を受け継いでいることに、若い頃から気付いていたんでしょうか?

メーガン:そうですね。私たちが育った町の周辺ではルーツ・ミュージックのフェスティバルが多数開催されていて、たくさんのオプリー(ルーツ・ミュージック専門のライブハウス)もありましたし、素晴らしいライブ・ミュージックに囲まれていました。10代になったばかりの頃に初めてフェスに行くことができたんですが、特に南部のルーツ・ミュージックに圧倒されました。

―最初に学んだ楽器はバイオリンとピアノだったそうですね。何歳の時にレッスンを始めたんですか?

レベッカ:私は3歳半で、メーガンは4歳くらいでした。母の希望で、スズキ・メソードでバイオリンのレッスンを受けたんですが、音楽への入り口として申し分なかったですね。練習の仕方を学び、聴くことのトレーニングも子供の頃に始めました。

―その後、レベッカはギターを、メーガンはドブロを初めて弾いた時、自分の楽器はこれだと直感的に分かりましたか?

メーガン:私の場合はすぐにそう感じました。私はスライドギターに情熱を注いでいるわけですが、初めて誰かがドブロを弾いているのを見た時に、私が弾くべき楽器はこれだとピンときました。

レベッカ:私は少し時間を要しました。バイオリンとピアノから、ブルーグラスの世界に移行してマンドリンを弾き始めた時は、私自身が熱意をもって楽器を切り替えたのですが、マンドリンからギターに変わった時はそうでもなくて。そもそも、曲作りのツールとしてギターを弾き始めたんですよね。なので、ギタリストとして成長したいなと考えるようになるまで数年間かかりました。6年くらい前からギターにフォーカスして、熱意を抱くようになり、この楽器を深く知ることでソングライティング力が飛躍的にアップしたと思います。リフの質も上がりましたし、音楽的対話により多くを貢献できるようになりました。

『ブラッド・ハーモニー』日本盤ボーナス・トラックとしても収録される、デレク&ザ・ドミノス「ベル・ボトム・ブルース」のカバー

―ふたりの間にライバル意識はありましたか?

メーガン:若い頃は少々そういう意識もありましたが、ふたりで色んな問題を解決してきましたし、お互いをリスペクトしていますから、今ではふたりの違いに価値を見出しています。私の弱点は、レベッカが得意とする部分だったりもしますから、そんな風にパズルのコマを組み合わせることによって、力強いチームを構築しているんです。

レベッカ:とはいえメーガンが言う通り、10代後半から20代前半にかけての私たちは、色々とややこしい状況を切り抜けなければなりませんでした。というのも私たちの関係は非常に複雑で、単にクリエイティブなコラボレーターでもある姉妹だというわけではなく、ステージに一緒に立つエンターテイナーで、ビジネス・パートナーでもあった。独自のレーベル(Tricki-Woo Records)を運営し始めて、プロデュースも共同で行なうようになりました。つまり、様々な力学が働いていたんです。でも究極的にはふたりとも、お互いを高めていけたらと願っています。

メーガン:仲違いして壊れてしまったバンドをたくさん知っていて、そうはなりたくないですから。

―身近な例がありますよね。オールマン・ブラザーズ・バンドとかブラック・クロウズとか。

レベッカ:その通りです。

オールマン・ブラザーズ「ワン・ウェイ・アウト」のカバー動画。米テネシー生まれ・ジョージア育ちの2人は、”オールマンの小さな妹たち”と賞賛されてきた。

―あなたたちは当初ブルーグラス志向のラヴェル・シスターズで活動していたわけですが、よりエレクトリックでロック寄りのラーキン・ポーへの移行は、自然に起きたのですか?

レベッカ:新しい路線に慣れるまで、かなりの時間を要した気がします。でも私たちは路線を意図的に変えたわけですし、成長したかった。成長するために、自分たちが違和感を覚えるシチュエーションに身を置いたんです。そんなわけで、アメリカーナ/ブルーグラスからサザンロック寄りに移行してから最初の2年くらいを、自分たちの足場を確立するために使いました。色々実験もしましたしね。そして2017年頃にはルーツに回帰し、エレクトリックな手法で学んだことを踏まえて、それをよりトラディショナルなアメリカン・ルーツ・ロックンロールに落とし込んだんです。

メーガン:それに私たちは、先程名前が挙がったオールマン・ブラザーズとか、古典ロックもたくさん聞いて育ちました。父はいつも古典ロックを流していましたし、特にサザンな匂いがするロックを好んでいて、私たちも昔からそこに行きたい気持ちはあったんだと思います。ただ最終的に辿り着くまでに、幾つかの段階を踏む必要があったというだけで。

もう1人の姉と3人で結成した前身ユニット、ラヴェル・シスターズ時代の動画。2009年、長姉の結婚を機に解散し、レベッカ&メーガンはラーキン・ポーを立ち上げる。

―ふたりの音楽嗜好はわりと似通っているんですか?

レベッカ:そうですね。本当に似通っていて、その点においては恵まれていると思います。お気に入りのアルバムも共通していて、フリートウッド・マックの『噂』やエミルー・ハリスの『Wrecking Ball』、あとは……。

メーガン:クリス・ウィットリーの『Living with the Law』はレベッカに薦められて、私も大好きになったアルバムです。

レベッカ:エルヴィス・コステロの旧作の数々も、ふたりをつなぐ重要な作品群です。

―若い頃はポップ・ミュージックも聴いていましたか?

レベッカ:学校には通わずに自宅学習の形をとった関係で、あまりポップ・ミュージックに触れる機会が無かったんです。でも、ブリトニー・スピアーズなんかは大好きでしたし、最近のアーティストにしても、ビリー・アイリッシュは素晴らしいと思います。アリアナ・グランデも。ポップ・ミュージックがポピュラーであることには、理由があると思うんです。特に、トップに立つアーティストたちからは、曲作りのコツを借用することもあります。

メーガン:私たちはポップソングの曲構成が大好きなので。

―女性アーティストとして偏見や差別も体験しましたか?

レベッカ:当時私たちがそれを自覚していたか否かは別にして、女性アーティストに対しては、正当性みたいなものを証明するプレッシャーが余分にかかっていたと思います。長年、ポスターや写真を一瞥して、音楽を聴かずに勝手に良し悪しを決められてしまうこともありました。でも私たちは、そういったことをあまり気にしてこなかったと思います。すごく自立志向が強くて、何が重要なのか教えてくれる人たちに囲まれていましたから。ジェンダーや見た目や、演奏する楽器に関係なく、何がオーセンティックなのか徹底的に掘り下げることこそ最も重要で、ほかの人の意見やリアクションは気にする必要はないんです。エルヴィス・コステロも、そういう知恵をたくさん授けてくれました。

―ルーツ・ミュージック界にもボニー・レイットやメリッサ・エスリッジなど、素晴らしい女性のロールモデルがいますからね。

レベッカ:まさしくその通りです。途方もなくパワフルな、女性のロック・ゴッドたちが存在します。ボニー・レイットやジョーン・ジェット、シェリル・クロウといった女性たちは、限界を押し広げて、問答無用の傑作を自分たちのやり方で作ってきました。20代後半から30代初めにかけて私たち自身が成熟するに従って、彼女たちがやってきたことを深く理解し、そういったアーティストが与えてくれるインスピレーションに答えを求めるようになりました。

―そして今や、あなたたち自身がロールモデルになったわけですよね。

メーガン:私たちの影響でギターを手にする人が大勢いると知ったんですが、それは驚くべきことですね。素晴らしいと思います。なぜって私たちは、クリエイティブになってもらえるよう人々をインスパイアしたいんです。「何年もギターに触れていないけど、久しぶりに弾きたい気分になった」とか「娘がクリスマス・プレゼントにギターが欲しいと言っている」といった言葉を聞くのは、私たちにとってものすごく意義深いことです。

『ブラッド・ハーモニー』について、テネシーとジョージアで育った影響

―次に『ブラッド・ハーモニー』の話に移りますが、着手した時から具体的なアイデアがあったんですか?

レベッカ:ええ。アルバムについてふたりで熱く語り合っているうちに、ゴールがどんどんクリアに見えてきました。クリエイティブな仕事に就いている人たちは、過去にしがみついていてはいけない。手放して、別の場所に移らなければならない。だからこれらの曲を書く上で、自分たちのサザン・ルーツをより深く掘り下げて、歌詞で積極的に主張したかったんです。それから、姉妹や家族のコネクションも。楽観主義とポジティビティを伝えることも意識しました。このアルバムで喜びを表現したかったんです。

メーガン:もっとオーセンティックになりたいという気持ちが、このアルバムを作る上で、大きなインスピレーション源になったと思います。アルバムを作るたびに、ありのままの自分たちに近付きたい。リアルな自分たちを表現したい。そしてあれこれ加工しない、素の自分たちの音をアルバムに刻みたかったんです。それって実はすごく難しいことで、つい細かいことにこだわって、なんでも完璧にしたいと思ってしまう。スタジオではそれが可能ですからね。望めば、パーフェクトなロボットになれます。そういう気持ちに抵抗して、リアルにしたかったんです。結果的には、過去のどのアルバムよりもライブの時の私たちに近い作品が完成したと思います。

―確かにそうですね。音に無駄がないですし、生々しいですし。ホームスタジオを使ったのもそういう理由からなんですか?

レベッカ:そうですね。過去に外部のスタジオを借りたり、外部のプロデューサーと組んだこともあって、ひと通り色んな体験をしてきました。で、今回はプレッシャーを取り除き、自分たちをさらけ出せる場所に身を置いて、アルバムを作りたかった。時計をチラチラ見て時間を気にしたりせずに、様々なアイデアを試す余裕を自分たちに与えたんです。曲によってはなかなか形が定まらなくて、苦労しました。6つくらい異なるバージョンを試したこともあります。そうやって、曲が必要とする時間をかけられるだけの忍耐力とスペースがあったことが、アルバムの仕上がりに大きく影響しました。

―過去にもコラボした、レベッカのパートナーであるタイラー・ブライアントが今回は共同プロデューサーを務めています。どんな風に役割を分担したんですか?

レベッカ:彼はタイラー・ブライアント&ザ・シェイクダウンという独自のバンドを率いていて、何度かステージで共演したことがあります。彼を共同プロデューサーに起用することで、音質について客観的な意見を提供してもらいたかったんです。パンデミック中に、私とメーガンのクリエイティブな作業と、タイラーが自分のバンドで行なう音楽作りを踏まえて、彼は私たちの自宅の地下に素晴らしいスタジオを作り上げました。そして、今回新たに取り入れた試みについて、タイラーの洞察力を役立ててもらいました。これまでのアルバムでは、ドラムの音の大半はプログラミングだったんですが、初めてスタジオに生のドラムを持ち込んで、私たちのサウンドにプラスになる形で取り入れようと試みたんです。それを実現させる上で、タイラーは有益な助言をしてくれました。

―サザン・ルーツを歌詞で主張したかったという話が出ましたが、実際そういう曲が多くて、「ジョージア・オフ・マイ・マインド」が好例です。これはあなたたちがナッシュヴィルに拠点を移した時の気持ちを振り返っている曲なんですか?

レベッカ:実は10代の時にもナッシュヴィルに行きかけたことがあるんです。16歳か17歳の頃だったと思いますが。

メーガン:もしかしたら、もう少し若かったかも。

レベッカ:結局その時は断念したんですが、本当に行かなくて良かったと思っています。まだまだ自分たちが何者なのか見極める必要がありましたし、今から6年ほど前にいよいよナッシュヴィルに移り住んだ時には、機は熟していました。自分たちのゴールや優先事項は何なのか、自分たちらしさはどこにあるのか、より明確化されていました。そしてジョージア州からテネシー州に移り住んだわけですが、実は私たちはテネシー州で生まれたんです。だから非常に興味深い、ビタースウィートな体験になりました。故郷から離れるのと同時に、帰郷することを意味していて。この曲を演奏するのはとても楽しいんです。アルバムの中で一番好きな曲のひとつかもしれません。すごく誇りに感じています。

―テネシー州とジョージア州は隣り合っていて、どちらもざっくりと”南部”と括られていますが、ふたつの州は大きく異なるんでしょうか?

メーガン:大きな違いがあります。ジョージア州にはアトランタという大都市があり、大規模なヒップホップ/R&Bのシーンを擁していて、特に州の北部にはそれが大きな影響を及ぼしています。でもテネシー州はとにかくスウィートな場所なんですよね。緩やかな丘陵地帯が広がっていて。私たちは子供時代によくテネシー州東部のアパラチア山脈周辺を訪れていたので、テネシー州の田舎に行くと、すごくノスタルジアを喚起されます。音楽的にも然りで、ドリー・パートンもテネシー州東部の出身ですし、カントリー・ミュージックは間違いなくテネシー州のヴァイブに寄与しています。メンフィスのブルースや、エルヴィス・プレスリーの音楽もそうですね。

レベッカ:私たちの母と母方の家族はテネシー州東部の出身なので、出生地はふたりともテネシー州です。だから私たちは厳密には”ジョージア・ピーチ”(桃はジョージア州の名産品)ではなく”テネシー・ガールズなんです(笑)。

―自分たちについて、最もジョージア州出身者らしい部分というと?

メーガン:ジョージア州には、”私の桃が嫌いなら、木を揺らすのはやめて”という言い回しがあって、私は好きです。自分の立場を譲らないことを意味しているんですが、私たちの人生観に深く関わっていると思います(笑)。

レベッカ:自立心が非常に強いところもそうですね。それに、テネシー州とジョージア州両方で育ち、両方に家族がいることは、私たちが使うフレーズや話し方に大きな影響を与えていて、故郷から遠ざかるほどに、南部出身者特有ののんびりした語調が強まるんです。私がこの世で最も愛する言葉は”Yall”(”You all=みんな”を意味する南部独特の口語)ですからね。これに勝る言葉はありません。(曲でいうと)「キック・ザ・ブルース」には南部特有の言い回しを意図的に多数盛り込んだので、参考にして頂ければと思います。

メーガン:「キック・ザ・ブルース」は私たちのライブに来てくれる人たちのことを歌っています。「もやもやした気持ちを蹴り飛ばして、思い切り楽しみましょう!」と。

―「ストライク・ゴールド」は自分たちの関係をテーマにしているのですか?

レベッカ:まさしく私たちのパートナーシップに関する曲です。先程”木を揺らすな”という言い回しに触れましたが、自分たちが許容できることの限度について断固とした立場をとり、それを守るということを歌っています。それはチームとしての私たちがこれまでも貫いてきたことで、そういう姿勢でいられるようにお互いを支えてきました。

―アルバムのタイトルにはどんな想いを込めたのでしょう?

レベッカ:表題曲が先に生まれました。私の手元には、色んなアイデアや歌詞の断片を書き留めたノートがあって、曲作りをする時にはインスピレーションを求めてそれを読み返しているんです。『ブラッド・ハーモニー』は以前から私が書きたかった曲なんですが、どうアプローチしていいのか分からなかった。で、私とメーガンは、ルース・オゼキの『あるときの物語(A Tale For The Time Being)』という素晴らしい小説を読んだんです。最初にメーガンが読んで「絶対読まなきゃ」と言うので私も読み、その後に母と姉にも送って、家族の女性全員が読みました。そしてこの小説をきっかけに4人の間で、時間の経過と、我々がそれをどう捉えるのかということについて、非常に興味深い対話が生まれました。

具体的には、曲を介して時間の経過をどう捉えるのか――ということに関する対話です。というのも、曲を楽しむという行為は人間特有の体験だと思うんです。その前に起きたことを記憶し、かつ、次に来るものを予感するというのは、アートを楽しむ上で非常に複雑な手法ですから。それを実践するには必ず、時間の経過と関わる必要がある。そんな意義深い会話をしたあとで、私はサビを書き上げてメーガンと母に送りました。恐らくこれまでで最も長い時間をかけて完成させた曲です。2カ月ほどかかったでしょうか。仕上がりにはすごく満足していますし、私たちの家族にとって非常に意味深い曲になりました。

過去の名曲をカバーしながら学んだこと

―ビンテージ・テイストのアルバム・ジャケットについて教えて下さい。

メーガン:60〜70年代の音楽もそうだし、デザインも大好きなんです。で、私たちの音楽に耳を傾けているとノスタルジアを喚起すると思うんです。レコーディング方法も昔のやり方を踏襲しているところがあって、ライブ感があって生々しい。そういうフィーリングをジャケットにも投影したかったんですよね。

レベッカ:ジャケットとしては間違いなく、これまでで一番気に入っていますし、ロゴは今後しばらく使うことになると思います。すごく美しいと思うので。まるでフリートウッド・マックとレッド・ツェッペリンの間に生まれた赤ちゃんみたいですよね(笑)。ふたつのロゴが合体して、新しいロゴが生まれたというか。

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―以前からYouTubeで多数のカバー曲のパフォーマンスを公開していましたが、名曲の数々を解体・再構築する作業を通じて、曲作りについて学ぶところも大きかったのでは?

レベッカ:そう思います。カバー曲のシリーズで本当に多くを学びました。私たちにとっては、ソングライターかつミュージシャンとして技術を学ぶというだけでなく、多くの人たちとコネクションを築く上でも、素晴らしいツールになりましたね。というのもオンライン上には、世界中から私たちを応援してくれているフォロワーのコミュニティがあって、みんなで集まって、お互いが発するポジティブなエネルギーで刺激を与え合っていたんです。そういう意味でも感謝の気持ちで一杯です。と同時にクリエイティブな面では、メーガンとふたりで、2本のギターとふたつの声だけを用いて、史上最も偉大な曲の数々を解体し、どこが素晴らしいのか探り、リズムの感触だったり、サビがどのように高揚するのかを学ぶことで、図らずして多くを得て、自分たちをどう見せたいのか考えさせられました。

メーガン:カバーをやっていて得た最大の学びは、いい曲は、曲そのものの力で立っていられるということですね。オーケストラが演奏しようがロックバンドが演奏しようが、ギターの弾き語りだろうが、関係なく成立する。今回のアルバムではそういう曲を作りたかったんです。私の家の地下にある部屋で曲作りをしていた時、ギターと声だけで成立しない曲は、まだレコーディングできるレベルには達していないと判断しました。全ての曲が、そういうプロセスを経ているんです。


2人は自身のYouTubeチャンネルで、過去にレッド・ツェッペリン、ジミ・ヘンドリックス、ローリング・ストーンズ、スティーヴ・ミラー・バンド、ピンク・フロイド、ロッド・スチュワート、ピーター・ガブリエル、レニー・クラヴィッツ等々さまざまなカバー動画を100本以上も投稿。コロナ禍のロックダウン中にも自宅からパフォーマンスをアップを続けて人気を集めた。
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―そのカバー・シリーズで、スコーピオンズの「ウィンド・オブ・チェンジ」を取り上げていますよね。あの曲は1990年発表で、人々が未来に希望を抱いていた時代に生まれました。やはり今の世界の状況を意識して選んだんでしょうか?

メーガン:希望を感じることは本当に大切なことです。割れ目から差し込む光を見ていたいですからね。世界は間違いなく闇に包まれていて、それを忘れないことも重要なんですが、ポジティブ志向を保って、光を探さなければ。

レベッカ:希望を抱くことには怖さも伴います。なぜってそこにはリスクがあって、自分の感情をさらけ出さなければならないですから。でも人生のあらゆる側面でほかの人たちを信頼し、愛を信じ、感情をさらけ出すことで……。

メーガン:いいことが起きるんです。

レベッカ:そう、いいことがあります。実践するとなると、言葉で言うほど簡単ではないかもしれませんが、これは非常に重要なこと。音楽はそれを実現する手助けになると思うんです。

メーガン:そして”変化の風”は常に吹いていますから!

―最後に、日本のリスナーへのメッセージをお願いします。

メーガン:日本は、世界で一番行くのが好きな国のひとつです。日本のカルチャーも、食べ物も、建築物も大好きで、またそちらに行ける日が来るのを心から楽しみにしています。そして、日本のファンのみなさんがアルバムを気に入って下さるよう願っています。

レベッカ:世界の反対側にまで旅して、東京で思い出深いコンサートを開催できたという事実は、私たちにとってかけがえのない思い出ですし、みなさんのことが恋しい。次の来日が待ち切れません。

(インタビュー・文:新谷洋子)


ラーキン・ポー
『ブラッド・ハーモニー』
2022年11月9日日本先行発売/11月11日全曲配信スタート
日本盤:BSCD2、ボーナス・トラック1曲収録
再生・購入:https://sonymusicjapan.lnk.to/LarkinPoe_BloodHarmony

日本公式ページ:https://www.sonymusic.co.jp/artist/larkinpoe/