リスクや不安が尽きない現代をどのように生き延びればいいのか。実業家のひろゆきさんは「不安をいつも抱えてきたり、小さなころに体験したトラウマの記憶が突然よみがえってきて、嫌な気持ちになる人がいます。その原因の1つは『ヒマがあるから』。基本的に『気にしない』生き方が大切です」という――。

※本稿は、ひろゆき『無理しない生き方』(きずな出版)の一部を再編集したものです。

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※写真はイメージです - 写真=iStock.com/OKADA

■「不安」をおそれすぎない、「不安」なのは当たり前

将来に漠然とした不安を抱えている、という声を聞くことがあります。とくに新型コロナウイルスが発生してからは、日本社会全体が明らかに停滞モードになり、経済的な不安をよけいに感じている人も多いのではないでしょうか。

大切なのは、不安を抱えていることが、いたってふつうなのだと自覚することじゃないでしょうか。不安を感じる必要はない、とはいいませんが、不安をおそれすぎないで、不安を持つことをどんな方向にとらえるかが求められると思います。

たぶん、日本中の3、4割の人が将来に不安を持っているのではないでしょうか。「コロナ禍で経済どうなるの?」とか、「この仕事を続けていて大丈夫かな?」とか思うのは当然で、いまの日本の状況で不安を感じる必要がないのは、一握りのわりと豊かな人たちに限られると思うんですね。

一生食いっぱぐれることのない資産を持っている人なんかは健康状態だけを気にしていればいいでしょうが、ふつうの暮らしをしている限り、不安を感じるのは当然であると、まずは認めてください。

■「不安」を感じないほうが問題

むしろやばいのは、このコロナ禍で日本の状況がどうなっていくかもわからないのに、不安を持たない人たちのほうです。ふつうの暮らしをしていながら、何の不安もなく、「毎日を楽しく過ごしています!」なんていう人もわりと多そうですが、お先真っ暗なんではないでしょうか。

不安を持つ人って、不安を心の糧にして何か自分のプラスになることをやろうとするんです。たとえば、チャンスがあったら飛びつかなきゃとか、不安をエネルギーにしてスキルを身につけようと、プログラミングやデザインを勉強してみようとか。

なので、不安をおそれるのではなく、不安になるのは仕方ないと割り切った上で、それを何かするためのモチベーションに変えていこうとするのがいいんじゃないかと思います。ハングリー精神のある人のほうが伸びますからね。

■トラウマを隠さない、受け入れてくれる人を探そう

好きになった人に嫌われたくない一心で、過去の嫌なことを隠そうとする気持ちはよくわかります。でも僕は、隠す必要なんてあるのかな、と思いますよ。人間は弱いものである、っていうのはべつに認めてもいいんじゃないでしょうか。

たとえば、若いころにリストカットした痕が大きく残っていて、「もし彼に訊ねられたらどうしよう」と悩むのだったら、いっそ隠さず、「いまはぜんぜん大丈夫だし、そんな気分にもならないけど、昔、自分をそうやって傷つけなきゃいけないような嫌なことがあった。人ってそういう時期もあるよね」ぐらいのことはいってみていいんじゃないでしょうか。

写真=iStock.com/maroke
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それでも受け入れてくれる人と一緒になったほうが幸せなはずですよ。「トラウマは悪いことだ」と考えて、そういうものを持たない自分を演じるよりも、いまは幸せだけど、そんな過去もあったね、ということを分かち合える環境に身を置いたほうが、人生をのびのびと過ごせると思うんです。

■弱さをさらけだすことは大切

自分の子どもに対してもトラウマを隠さないほうがいいと思います。メンタル弱い系の人だと、子どももやはりメンタル弱い系に育つことがよくあります。子どもにとっては、家庭が弱さをさらけだせる環境であることが大切だと思うんです。そのためには自分自身が弱さをさらけだす必要があります。

もし、「人間は○○であることが当然で、そうでないなら人間として失格」みたいな考え方になってしまうと、「じゃあ、もう現実から逃げだしてやれ」となりがちですよね。

なので、「まあ思い通りにならないのは当然だし、つらいことがあって嫌になるのも当然だよね」と考えて、子どもに何かあっても、「人間そんなものだよね」って受け入れてあげる。そんな家族や友人がいる環境にしたほうが、メンタルが弱い子どもにはなりにくいと思います。

さっきのリストカットの話に戻ると、子どもにもリストカットの過去を話すのはいいことだと思いますよ。

自殺を試みる場合って、「結局だれひとり周りの人に頼れない」とか「べつに自分がいなくたってだれも困らない」などと考えて、「だったらこのまま現実からいなくなってしまおう」と思ったりするような気がします。

だけど、人はまあどんなクソ野郎でも頼れる人はいるし、なんか一緒にいると楽しいと思ってくれる人もいるよね、というのはあるんじゃないでしょうか。それを子どもに教えるためにも、トラウマはいい教材にもなるんです。

もしリストカットの痕を子どもに訊ねられたら、「リストカットしたおかげで、いまは楽しく暮らしてるんだよ」って教えてあげたらいいんじゃないかな、と思います。

■ヒマをつくらない、嫌なことを思い出すのはヒマだから

「きのう道を歩いてたら、通行人がぶつかってきて、明らかに相手が悪いのに怒鳴られた。なんてムカツク奴なんだ」

こんなふうに、過去の嫌なことを思い出して、頭に来ることはありませんか? あるいは、突然、小さなころに体験したトラウマの記憶がよみがえってきて、嫌な気持ちになることはないでしょうか?

すべてとはいいませんが、嫌なことを思い出す原因の1つに「ヒマがあるから」というのがあると思います。

ヒマだから脳が嫌なことを思い出すのに労力を割さいちゃうんです。だって、好きなことに夢中になっているとか、トイレが我慢できなくて必死な時とかには、嫌なことなんて、はなから忘れてしまっているはずですよね。

嫌なことを思い出してどうしようもないなら、一度、めちゃくちゃ忙しくしてみてください。

大好きなアニメを見ながら踏み台を使った昇降運動をしてみるとか、好きな歌手のコンサートのDVDを12時間ぶっ通しで見るとか。

嫌なことを考えないような状態にいかに持っていくかが大切だと思います。

■「何とかしてやりたい」は意味がない

嫌な目に遭った記憶を掘り返していると、相手を探しだして文句のひとつもいいたくなるかもしれないですが、それは意味がありません。

たとえば通行人に怒鳴られたという嫌な出来事があったとして、「文句をいってやればよかった」などと考えて時間を過ごすというのは、嫌な出来事の上に、重ねてさらに自分の時間と感情を使っているだけ。

要は、嫌な出来事を悪化させているだけにすぎません。もし、実際に文句をいえたとしても、「相手を懲(こ)らしめてやりたい」といった復讐の感情は満たされても、自分自身にとってはなんらプラスにならないのです。

■忘れることが大事

ひろゆき『無理しない生き方』(きずな出版)

嫌なことやトラウマをたびたび思い出すようになると、「どう対処したらいいだろうか?」と考えがちですが、嫌なことについて考えること自体が時間の無駄なのですから、忘れてしまったほうがいいのです。

仕返しをしたい気持ちもわかりますが、人生って同じようなことがいっぱい起きます。恵まれた人だと理不尽なことがあまり起きずに生活できるかもしれませんが、そうでない大勢の人は、たとえ自分が正しくとも理不尽な目に遭うことって、けっこうあるんです。

どうしようもないことは、アッサリあきらめるとか、そのことに関して考えないようにする。そういう習慣を身につけたほうがいいと思うんです。

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ひろゆきひろゆき
2ちゃんねる創設者
東京都北区赤羽出身。1999年、インターネットの匿名掲示板「2 ちゃんねる」を開設。2015年に英語圏最大の匿名掲示板「4chan」の管理人に。YouTubeチャンネルの登録者数は155万人。著書に『ひろゆき流 ずるい問題解決の技術』(プレジデント社)、『なまけもの時間術』(学研プラス)などがある。
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(2ちゃんねる創設者 ひろゆき