●AppleとFacebookがハイエンドVRヘッドセットで直接対決?

ティム・クック氏がCEOに正式就任した10年前、スマートフォン市場が成熟期にさしかかり、iPhoneと共にAppleもピークアウトしてしまう可能性がしばらく懸念され続けました。ところが、同社はiPhoneとMacを基盤に、ウェアラブル(Apple Watch、AirPods、AirTag)やスマートホーム(HomePod、Apple TV)、サービス&コンテンツといった新分野を開拓してきました。iPhoneのように社会を一変させるインパクトの再現はなく、革新性が薄れたという声も聞こえてきますが、Appleは成功に満足することなく挑戦を積み重ね、変化し続けながら、今なお成長しています。

そんなAppleが早ければ今年に、新分野に参入するのではないかと噂されています。具体的には、ハイエンドVR(仮想現実)ヘッドセットです。AR(現実拡張)への関心を示していたAppleが「VR?」と思うかもしれませんが、パススルー(透過やカメラによるキャプチャを用いて現実世界の情報を取り込む)でMR(Mixed Reality:複合現実)機能を利用できるヘッドセットと報じられています。

昨年10月のスペシャルイベントから、MacBook Proを使ったAdobeのプレゼンテーション


Meta(旧社名Facebook)も昨年、カラーパススルー機能を備えたハイエンドVRヘッドセットの開発を公表しました。AppleとFacebookというと、プライバシーに関してクック氏が、利用者のデータを商品にするような無料オンラインサービスのビジネスモデルを強く非難し、そうしたコメントにFacebookのマーク・ザッカバーグ氏が不快感を示すなど、対立が報じられてきました。違う土俵にあっても緊迫しているのに、同じ土俵で直接ぶつかり合うことになったら一体どうなってしまうのでしょう……。昨年末にBloombergのマーク・ガーマン氏が同氏のニュースレターで、AppleがAR事業向けにMetaのPRチームのリーダーを引き抜いたと伝えました。開発者ではなくPRというところに噂のVRデバイス登場への期待が高まりますが、Metaからの引き抜きというのは穏やかではありません。

でも、AppleとMeta(Oculus)がVRヘッドセットで競争するのは市場の活性化という点では楽しみなことです。

Metaが昨年10月に開発を公表した「Project Cambria」(コードネーム)


VR/ARデバイスはAppleの新たな成長分野になるのでしょうか。前編の「Appleのゆく年くる年」では、2021年にAppleが発表した製品を振り返りながら、今年を見通しました。後編はより長期的な視点で、新分野開拓を含むAppleの今後の展開について考察します。

●Appleのプライバシー保護とApp Storeビジネスの矛盾

今後のAppleについて見通す上で、その行方を左右するのがGAFA(Google、Amazon、Facebook、Apple)に代表される巨大IT企業への規制を進める動きです。

Appleはプライバシーを重んじる企業です。欧米では、多くのユーザーがAppleのプライバシー保護の姿勢を信じ、プライバシーを理由にAppleを選択しています。同社がプライバシーを護る企業であるのは、同社の事業戦略の基盤と呼べるものです。ところが、巨大ITに対する規制によって、プライバシーを保護する力が損なわれそうになっています。

ユーザーのプライバシーや安全のために、AppleはiOS/iPadOSのアプリの配信をApp Storeに限定しています。しかし、これは開発者が必ずApp Storeを利用しなければならないことを意味し、そしてAppleはApp Storeから大きな利益を上げています。他のアプリストアより高い手数料率、外部のストアへの誘導の制限といった手数料回避を困難にする仕組みなどが問題視され、巨大IT企業の規制を進める動きにおいて、App Storeにおけるユーザーの安全のための管理が不当な囲い込みではないかという追求を受けています。

Appleユーザーとしては、規制の影響がAppleのプライバシー保護やセキュリティに及ぶのは避けたい事態です。

しかし、欧州では2020年12月にデジタル市場法(DMA)というIT大手に対する包括規制案が提案され、昨年11月に議会小委員会で草案が採択されました。DMAは既存の独占禁止法に当てはまらない巨大ITの振る舞いの違法性を追求することを目的としており、Appleにサイドローディングの許可(App Store以外からのアプリのインストールを可能にする)を義務づける内容に解釈できる文言が含まれます。

Appleがサイドローディングを認めたら、アプリストアを選択できる自由をユーザーが得られますが、それで深刻なマルウェア被害が広がったらスマートフォン市場の瓦解につながりかねません。

昨年11月にリスボンで開催されたWeb Summit 2021でクレイグ・フェデリギ氏(ソフトウェアエンジニアリング担当SVP)が基調講演に登壇、「サイバー犯罪者の最良の友」とサイドローディングを求める動きに警告しました


一方、米国ではEpic GamesがAppleのApp Storeの仕組みを独占的であるとして訴えた裁判の一審判決(2021年9月10日)で、Appleに追い風が吹きました。

判決は、アプリ配信事業が独占にあたるとするEpic側の主張を退け、Appleに対しては他の課金手段の利用を排除するような手法の見直しを命じたのみ。しかも、イボンヌ・ゴンザレス・ロジャーズ判事が「success is not illegal(成功は違法ではない)」という文言を加えました。これがAppleにとって大きな成果といえます。

昨年1月にトランプ前大統領の支持者による米連邦議会の議事堂の占拠が起き、フェイクニュースに対する危機感から米国でGAFA規制への国民の支持が強まっています。この巨大IT企業規制の議論では、Appleも「GAFA」でひとくくりにされています。しかし、同社は個人情報から収益を得ていません。それどころか、プライバシーに関してFacebookやGoogleと対立しています。そんなAppleについてロジャース判事が「成功は違法ではない」と判断したのは、フェイクニュース問題が大きな論点になっているGAFA規制の議論で他のIT企業との一線になります。

とはいえ、EpicとAppleの裁判は控訴され、巨大IT企業規制の行方は予断を許さない状況です。

プライバシーは後述するWeb 3.0やAR/VRの普及のカギになります。Appleはそれを加速させてくれる存在です。だから、Appleにはプライバシーを最優先し、それを徹底する施策に集中してほしいのですが、ストアモデルの抜本的な見直しには消極的です。そうした姿勢に、Appleを支持する人達からも懸念の声が上がっており、Appleウオッチャーで知られるジョン・グルーバー氏はその点を「利益相反である」と指摘し、改革を求めています。

●Webが2.0から3.0へ、AppleユーザーにとってのWeb3とは

フェイクニュース問題から「規制やむなし」の声が広がる中、World Wide Webの生みの親であるティム・バーナーズ=リー氏が提唱するセマンティックWebなど、GoogleやFacebookのような一部の企業による情報の囲い込みから、インターネットを本来の分散型のオープンネットワークへと戻そうとする動きが活発化しています。

しかし、そうしたコミュニティによる改革のスピードは速くはありません。そして、Web 3.0またはWeb3と呼び、この変化をビジネスチャンスと見る動きはすでに活発です。それを皮肉って「誰かWeb3を見たことがあるか? オレは見つけられないんだが」とツイートしたイーロン・マスク氏に、前Twitter CEOのジャック・ドーシー氏が「aからzのどこかにあるよ」とリプライしていました。「aからz」とは「a16z」で知られるベンチャーキャピタル大手のAndreessen Horowitzを指します。Web3アプリケーションに取り組むブロックチェーン・スタートアップは、結局のところ、ベンチャーキャピタルから資金を調達しており、脱・巨大テックを掲げていても、資金のある組織が力を持っていることに変わらないというわけです。

「Web3もベンチャーキャピタルと投資家のものになり、それらのインセンティブから逃れることはできない。つまるところ、それはラベルの違う中央集権的な存在だ」とドーシー氏


ドーシー氏やマスク氏がWeb3に期待していないわけではなく、分散化の理想が実現するにしても、それはまだかなり先だと考えているのです。現在のインターネットインフラを置き換えることを含め、ブロックチェーンが全てのユースケースをサポートできるかは不透明です。スケーリングの問題、克服すべき障害や課題が山積みであり、それを乗り越えるには多くの資金と巨大テックの力に頼らざるを得ません。

Web 2.0で揺らいだプライバシーをユーザーに取り戻すことが求められる中で、GoogleやFacebookも「プライバシー重視」の姿勢を強くアピールしています。それは望ましい変化であるものの、次代のインターネットでも巨大テックは力を発揮し続けます。だからこそ、これまでもGoogleやFacebookと対立して、ユーザーのプライバシーを守ってきたAppleの存在が重要になります。

Appleは昨年、サードパーティーCookieのように使うことが可能な端末識別子「IDFA」をアプリが利用する際に、ユーザーから許可を得ることを義務化するようにポリシーを変更。広告産業や広告を活用するビジネスを困惑させましたが、次代のネットに進む上で必要な修正という評価も受けています


Web 2.0の時にAJAX、CSS、OAuthといったキーワードが飛び交いましたが、そうした技術がCoreフレームワークに組み込まれ、そしてGoogleマップ、Flickr、TwitterやFacebookといったモバイル世代のアプリやサービスが誕生しました。Web 3.0でもブロックチェーンやDAO、NFTといった言葉が飛び交っていますが、そうしたテクノロジーワードが何であるかはエンドユーザーにはあまり意味のないことです。いずれフレームワークに組み込まれ、iPhone上で利用できるようになる次代のアプリやサービス、ソリューションが、エンドユーザーに変化をもたらします。

昨年Appleはオルタナティブペイメントで5年以上の業務経験を持つビジネス開発マネージャーを募集。応募資格の1つが暗号通貨だったことから、Appleコインの可能性も含めて話題になりました


●スマートデバイスで現実を拡張・強化する時代に

Metaは、VRをモバイルに続くインターネットの「次の形」としています。

インターネット利用の主流がパソコンだったころ、現実の世界とデジタルの世界は別個の世界として扱われ、2つの結びつきは希薄でした。それがスマートフォンの登場によって重なりを広げ、現実とデジタルが連係するサービスが登場しました。

例えば、Burgervilleという米国のハンバーガーチェーンは、スマートフォンを利用して、モバイルオーダーを最高の状態で手渡せるようにしています。利用者がオンラインで注文し、受け取り時間を指定するのではなく、受け取りに行く時にアプリの「出発」ボタンをタップします。すると、ユーザーのスマートフォンのロケーションがトラッキングされ始め、到着予想時間に合わせてタイミングよくキッチンに調理開始の通知が入る仕組みです。

Burgervilleが利用しているのはFlybuyのロケーションシステムです。同社の技術はレストラン店内の密を防ぐソリューションにも用いられています


そうした現実とネットが連係したサービスを可能にするのは、センサーを通じて収集される現実のデータです。センサーの塊であるスマートフォンに加えて、スマートウォッチや完全ワイヤレスイヤホンなど、私達が持ち歩くセンサーを備えた機器が増えています。

FacebookがMetaになり、AppleがARに力を注ぐのは、現実の世界とデジタルの世界が重なっていく将来に向かっているからです。次代のネットでもスマートフォンやスマートウォッチが引き続き大きな役割を果たしていくでしょう。しかし、新たなパーソナルデバイスによって、その重なりをさらに大きく、そして色濃く広げられるかもしれません。その可能性の1つとしてAR/VRデバイスが注目されています。

リアルな環境と仮想環境は切り離された状態で別個にインタラクトされる状態が続いていましたが、スマートフォンによって重なり、今後IoTやAR/VR機器によって重なりがさらに濃くなり、そして人々がより広い世界でインタラクトするようになると予想できます


ただ、矛盾することを言うようですが、最初のAppleのVRヘッドセットに多くは期待できません。iPhoneやiPad、Apple Watchの初代モデルは基本的な機能を備えていたのみで、しかも価格は高めでした。そうした新しいデバイスにパーツの最適化が進み、関連技術も進歩し、世代を重ねてデバイス本来の価値を発揮できるモデルが登場します。Bloombergのガーマン氏は、初代モデルはゲーム、メディア消費、コミュニケーションに焦点を当てたデバイスになると報じています。FaceTimeラウンドテーブル、Fitness+クラス、TV+シアター、Music+コンサートといった感じでしょうか。

ARは、開発中の製品について固く口を閉ざすAppleが語るのを拒まない数少ないトピックの1つです。それは過去の液晶ディスプレイ(LCD)やSSD(ソリッドステートドライブ)などと同じように、同社がコアテクノロジーと見なして投資している技術だからです。コアテクノロジーは特定の製品だけではなく、長期的に広くApple製品の進化を支えていく技術になります。LCDは、iMacでオールインワンのスリムなデスクトップを実現し、iPhoneで携帯の形を変え、様々な製品のデザインの進化や新しい利用体験を支えてきました。AR技術はすでに「Live Text」や空間オーディオといった形で製品にとり入れられていますが、同技術による新たな体験の提供はまだ始まったばかりです。VRヘッドセットはマイルストーンの1つであり、AR技術はこれからiPhoneやiPad、Macも変えていき、いずれAppleが思い描くARデバイスを形にし、その積み重ねの先にはさらに新しいApple製品があります。

iPhoneのカメラで写した画像に含まれる文字や数字を自動認識し、テキストに変換する「Live Text」、例えば会議に使ったホワイトボードの内容をすぐにテキスト化してメールなどで共有できます


下は昨年6月に行われた開発者カンファレンスWWDCのキーノートのオープニングです。一昨年は観客が誰もいないSteve Jobs Therter、昨年は観客席をミー文字のキャラクターが埋め尽くしていました。

WWDC 2021のステージに登場するティム・クック氏


今年はWWDCが3年ぶりのリアルイベントになって、世界中から集まった開発者や報道関係者が観客席に座るのではないかと期待されていましたが、残念ながらオミクロン株の感染拡大で不透明な状況に戻っています。Appleはオンラインでもリアルイベントに劣らない充実したWWDCを提供していたので、オンラインであることに問題はありません。でも、リアルイベント期間中の盛り上がりを恋しくも感じます。

このミー文字キャラの演出には、将来のAppleイベントという見方もあります。今までAppleのリアルイベントのスペシャルイベントやキーノートには、多い時でも4,000人ぐらいしか観客席に座れませんでした。でも、AR/VRデバイスがあったら、上の画像のミー文字キャラの1人になり、SharePlayで友達と一緒に参加して、Appleイベントをリアルに体験できるようになるかもしれません。