いしだ壱成

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「『週刊女性』さんに“石田純一の隠し子”と報じられたことが、芸能界デビューのきっかけになりましたね」

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 中性的なルックスと高い演技力、フェミニンなファッションで'90年代に“フェミ男”ブームを巻き起こしたいしだ壱成。'91年に週刊女性が報じた記事がきっかけで、芸能界に足を踏み入れることになる。

「別れた父が石田純一であることは知っていたけど、離婚してからは会う機会はなかったんです。『週刊女性』の記者さんに直撃された後、父から“騒ぎになると思うから、1週間ぐらいホテルにでもいて”と久しぶりに連絡が来ましたね。報道が出てから父のコンサートを見に行った際、フジテレビの方に“どうせいろいろ取り上げられるんだから、うちからデビューしないか”と誘われて、ドラマに出演することになりました」

 '92年にスペシャルドラマ『悲しいほどお天気』で俳優デビュー。同年、フジテレビ系の連続ドラマ『放課後』で観月ありさの相手役に抜擢されたことでブレイクを果たす。

フェミ男でブレイク

「ドラマに出てからは、自分の周りの世界が音を立てて変わっていきましたね。“フェミ男”ファッションもそうですが、僕が雑誌やテレビで身につけたものがブームになったり。フェミ男ファッションも当時、かなりのやせ型でメンズの服がダボダボで似合わないから、レディースの服を着ていただけだったんです。だからブームは他人事というか、引いた目で見ていました。“いしだ壱成”がひとり歩きするようになったことで、神経が摩耗していきましたね」

 そんな生活が続いたことで、'97年に出演したドラマ『ひとつ屋根の下2』(フジテレビ系)のころには、うつ病になってしまう。

「当時はうつ病という病気が一般的でなかったこともあり、スタッフの方にも理解してもらえなくて。不調を訴えても“甘えるな”“頑張れ”と根性論を言われ続けたことで、症状が悪化していきました。病院で診察もしてもらったのですが、原因不明のままでしたね……。それで、ドラマ撮影が終わって半年ほど休業することになったんです」

 そんな壱成に、追い打ちをかける事実が発覚する。

父の裏切りでうつ病が悪化

「当時は父の個人事務所に所属していたのですが、父に“まだ若いから、お金は自分が管理する”と、お小遣い程度の給料しかいただいていなかったんです。でも仕事をしたスタッフに“さすがにその仕事量でその額は少なすぎる”と言われ、弁護士の方に頼んで適正価格を調べてもらったところ、億単位のギャラをもらっていないとおかしいと言われて。それで父を問い詰めたところ、“事業で失敗して、(壱成の)ギャラで補填させてもらった”と言われてしまって……」

 家族に裏切りに近い行為をされたことで、うつ病の症状が悪化してしまう。

「父も最初から騙すつもりはなかったと思うのですが、うつ病で思考がネガティブになっていたこともあって、“まさか家族に騙されるなんて……”と、どんどんマイナス思考になっていきました」

 うつ病のことは公表しないまま休業したこともあり、回復後はこれまでどおり活動を再開。しかし精神的な弱さもあったのか、'01年には大麻・LSDを所持していたことで大麻取締法違反により逮捕。'09年には交際していた女優と一般女性との二股が報じられるなど、お騒がせ俳優のレッテルを貼られることに。

「お付き合いしていた女優の方に愛想を尽かされてしまい、破局していたのですが、その方に“次に住む部屋が見つかるまで住まわせてほしい”と言われ、同居は続けていたんです。僕もきちんと関係を解消してから新しい彼女と交際を始めればよかったのですが、同居を解消する前に交際を始めたところ、週刊誌で二股と報じられてしまったんです。それが原因で、父の事務所の次に所属した事務所からも解雇されました」

 その後、新境地を開拓するため中国へ。'12年放送の中国のテレビドラマ『恕の人‐孔子伝‐』ではメインキャストで出演したが、そこでもトラブルに巻き込まれてしまう。

「かなりの大作で、僕のギャラも億単位の金額が支払われていたそうですが、仲介役のコーディネーターに中抜きされて僕自身が手にしたのは400万円。知ったのは撮影現場だったのですが、その仲介役の人はそれ以来、姿を現さなかったですね。昔は怪しい業界人がたくさんいましたが、それでも騙されすぎだなと自分でも思います(苦笑)」

 相次ぐトラブルを経験したことで、東日本大震災が起こった'11年に石川県白山市に移住する。

「DJイベントなどで訪れていて知り合いがいたのと、パワースポットとして知られる白山比め神社(めの字は口へんに羊)に惹かれて移住することにしました。最初のころは東京にもマンションを借りて、仕事のある間は東京で生活をしていたのですが、現在の妻と交際したのを機に完全移住を決意したんです」

 舞台で共演した女優の飯村貴子と交際をスタートさせるが、妻との年齢差でバッシングを受けることに。

「当時の妻は19歳。健全な交際だったものの、未成年との24歳差交際ということで、バッシングが起こって……。結婚したときには妻が妊娠していたこともあり、東京では子育てできる状態ではないと、逃げるように石川県に移住しました」

 しかしネット上でのバッシングがやむことはなく、再びうつ病が発症してしまう。

働けなくて貯金がゼロに

「ネットでの誹謗中傷が引き金になって、2年近く働けない状態になってしまいました。妻は出産して間もなくて子育てだけでも大変なのに、僕もうつ病になったことで、毎日のように泣いていましたね。貯金も尽き、ご飯を食べられない日もありましたが、妻が“娘の離乳食だけは切らしちゃダメ”とファストフードなどでアルバイトをして支えてくれてありがたかったです」

 現在は地域の人たちの助けもあり、回復。のどかな町の一軒家で家族3人で笑顔の絶えない生活を送っている。

「決して裕福とはいえませんが、今がいちばん幸せかもしれません。現在はYouTubeやライブ配信のほか、占いなどを交えてポジティブな心理状態をつくることの手助けをするライフコーチングをしていますね。石川県には素晴らしい劇場も多いので、新型コロナが終息したら東京から舞台の誘致もしたいと、演出の勉強やワークショップなどを開いているところです」

 ドラマのような波瀾万丈な生活を送ってきたが、笑いながら芸能生活をこう振り返る。

「クソほど大変でしたね(笑)。若いころは、自分のやりたいことと大人たちがやらせたいこととの間でもがいていて、それで精神的にすり減ってしまった感じがします。でも、僕がデビューしたころはバブル期で、予算も今とは比べものにならないくらい潤沢。ドラマ『未成年』のときは1シーンのためにヘリコプターを使って空撮をしたり、CGがなかったぶんお金とアイデアを出して、いかに面白いものを作れるかという情熱がすごかった。海外ロケなど、普通ならできない経験もたくさんできたので、そういう意味では恵まれていたかもしれません」

 適応障害やパニック障害を告白する芸能人も増えているが、同じような経験をした立場からこうアドバイスする。

「精神的な病気は完治するものではないので、うまく付き合っていくしかない。今は病気と付き合っていく方法も普及しているし、周囲の理解も深まっているので、あまり自分ひとりで抱え込まずに周りの人たちを頼ってほしいですね。僕みたいに住む環境を変えるのもひとつの手だと思います。僕も妻がいなければ、もうこの世にいなかったかもしれないので、まずは身近に支えてくれる人をつくることが回復への近道だと思います」