2020年、ノーベル経済学賞を受賞したポール・ミルグロム氏(写真:AP/アフロ)

2020年、ポール・ミルグロムが師であるロバート・ウィルソンとともにノーベル経済学賞を受賞した。

マーケット・メカニズム分析とその設計を研究する分野を「マーケット・デザイン」と呼ぶが、オークションの理論を応用し、実際に多くの恩恵を私たちにもたらした功績を評価されての快挙である。

氏の画期的な業績となり、主著『オークション 理論とデザイン』でも展開されたオークション理論の意義と、それを可能にした彼の人となりをみていこう。

勃興する「オークション理論」

オークション理論とマッチング理論は、マーケット・デザインと呼ばれる経済学の領域にあり、マーケット・デザインはまさに急速に勃興してきた分野である。まずは歴史的経緯的な概略を追っていこう。


オークションに関する現代経済理論が生まれたのは1960年代といわれる。ウィリアム・ヴィックリーによる「2位価格封印入札オークション」の均衡解の理論的解析に関する歴史的な論文が1961年に発表されたことをきっかけに、理論的な検証が先行していく。

当初は理論的な帰結の確認が主であり、実務にインパクトを与えることは多くなかったが、1994年、連邦通信委員会(FCC)が周波数オークションを実施して以降、オークション理論分野の成果が顕著にあらわれてくる。これがミルグロムとウィルソンの手によるものであり、新しい分野であるマーケット・デザインが大きく注目を集めるきっかけになった。

1996年にはオークション理論への貢献により、ヴィックリーがノーベル経済学賞を受賞(ヴィックリーは受賞発表の3日後に亡くなっている)。

1998年にはアルヴィン・ロスが設計した全米の研修医の画期的なマッチングプログラムが採用される(これが2012年のノーベル賞受賞につながる)。

2000年には英国の周波数オークションで340億ドルの収益がもたらされ、設計者はエリザベス女王から叙勲を受けている。

そして2001年には周波数オークションが世界標準になり、世界総額で1000億ドル(約10兆円)を超える売り上げに達する。

マーケット・デザインは、実質的に十数年で長足の影響力拡大を成し遂げたのである。

携帯電話などで使用する周波数帯のオークションは多大な収益を生むことになったが、それ以前はといえば、単なる抽選や関係者ヒアリングで割り当てが決定されていた。

ヒアリングには調査費用と時間がかかるが、そのわりにはマッチングがうまく行われているとは到底言えなかった。簡単に言えば、社会的に最善のプレイヤーにより高い価格で落札されることがよい結果とすれば、それには程遠いものだった。

市場のメカニズムの利点は、いわば並行処理されるコンピューターのごとき計算を瞬時に自律的に行えるところにある。市場の持つこのパワーで資源の配分調整を行えることが、マーケット参加者と社会に大きな恩恵を与える。

経済学で理論的にも確認されていた市場のパワーだが、単純な取引であればまだよいが、実際には少し複雑な市場になるとすぐにうまく機能しなくなってしまう。「市場は神童だが風邪もひきやすい」というわけだ。

その難点を市場の設計(マーケット・デザイン)の工夫によって解決し現実的に機能させよう、そしてできるならより広範な市場で機能させよう、というのがこの分野の動機であり目的であった。

それはいまや現在進行系で目覚ましい成果を上げており(最新論考でいえば『ラディカル・マーケット』)、”役に立つ経済学”の筆頭分野として挙げられるまでに至っている。

2020年のノーベル経済学賞

そして今年(2020年)にはポール・ミルグロムがノーベル経済学賞を受賞。スウェーデン王立科学アカデミー経済学賞委員会は「基礎理論から始め、実社会に応用し、それが世界に広がった。彼らの発見は社会に大きな利益となった」とその理由を語っている。

ミルグロムは紛うかたなき理論家である。それも主流とは言いがたい立場の理論家として長い時間を過ごしていた。彼はオークション理論の可能性にいち早く気付いてはいたが、その有用性に関して経済学界そして行政関係者の評価は当初冷ややかだった。

まず、1つ目の武器である「ゲーム理論」自体へのアレルギーが1980年代当時、経済学には存在した。マーケット・メカニズムにゲーム理論的なアプローチを導入することはいまでこそ常識であるが、それが常識となるまでにはそれなりに長い議論が必要だった。

つぎに「理論か事実か」の論争だ。彼にとどまらず経済学者は往々にして実務者からこのような批判にさらされるのが常である。ミルグロムはオークション理論を「美しい」とよく表現する。それは理論家ならではの感想だと思うが、同時に「役に立つか」を冷静かつ徹底的に考えていく。

理論が役に立つかどうかは、実際に検証されなければならない。“美しい”理論の実効性を検証するためには実験が必要で、ミルグロムは実験経済学的アプローチで自身のアイデアを徹底的にロードテストしながら、納得がいくまで試行錯誤を繰り返し、理論へのフィードバックを行っていった。

行政担当者および世論の評価も非常に重要である。施策が失敗したときに責任が発生する担当者や、デメリットを直接被ることになる企業家たちが新しいアプローチに逡巡するのは無理もなく、「研究者の社会実験に付き合う気はない」というわけである。

オークション理論が真に認められるためには「実際に機能させるしかない」。ミルグロムの並々ならぬ決意があっただろうことは想像にかたくない。

ミルグロムは大学教員になる前にはアクチュアリー(保険の数理的設計をする職業)であり、大学教員になってからも企業コンサルティングに従事している。その経歴も、実用性重視の姿勢を物語っているようである。理論家として卓抜しているが、構築した理論が実効的かどうかに真摯にこだわる、いや誤解をおそれずに言えば「学者離れした」こだわりをみせるのがミルグロムという研究者の特徴であり凄みであった。

そんなミルグロムの問題意識、アイデア、理論実装、検証、実施、反省点まで、その格闘の軌跡とともにまとめられているのが『オークション 理論とデザイン』である。

先行するオークション理論を丹念に検討しつつ、自身の新規的なアイデアを検証結果とともに披露する第一級の経済学教科書でありながら、「オークション理論が真に認められるためには、実際に機能させるしかない」という執念が論運びや数式にまで滲み出る、そのような不思議なテンションを湛えている。

見どころは多いが、とくに彼の画期的な成果である「同時競り上げオークション」を本人の丹念なレクチャーで見られるのは、本書の最大のポイントだろう。

ミルグロムが見た「築地市場」

ミルグロムは日本にも訪れている。1998年に来日した際に、友人の研究者(ジョン・マクミラン)と築地市場を見学している。

巨大な市場が実用的かつ迅速に機能している、その”競り”を驚嘆しつつ眺めていたと語っている。見学のあと、ミルグロムはマクミランと場内の寿司屋に入り、刺身を食べ日本茶を呑みながら、その目で直に見たことを議論したという。

同時進行的に行われる、それぞれが独立しつつ全体が調和する結果を生み出す、その巨大な”経済装置”は、ミルグロムという経済学者の目からは一味も二味も違って見えたに違いない。その経験が、その後の彼の理論構築にもつながっていったようである。

翻って、築地市場を擁した日本の、これまでのマーケット・デザインの取り組みは、十分に豊かなものだっただろうか。社会善の実現のためにマーケット・デザインの洞察をもっと活かせる場面はないだろうか。貴重な周波数の割り当て、研修医・教職インターンのマッチング、臓器提供、保育園のマッチング、社員の配属のマッチングといった分野にもし応用ができ、より改善ができていくとすれば、それは設計する経済学者の名声以上の恩恵をもたらすのではないか。

ミルグロムの気迫あふれる記述は、そのように囁いているようである。