セシルマクビー撤退示す「今後危ないブランド」
渋谷109に入っているセシルマクビー(筆者撮影)
渋谷から生まれたひとつの文化が終わった――。1990年代中盤から2000年代の“ギャル文化”を牽引してきたレディースブランド「セシルマクビー(CECIL McBEE)」を展開するジャパンイマジネーションが7月20日、全国43店舗のセシルマクビー直営店とECの展開を順次終了すると発表した。
ライセンス事業は継続するものの、渋谷のギャル文化を支えてきたブランドの終焉のニュースに、SNS上では驚きの声とともに惜しむ声が多く寄せられている。なぜ、セシルマクビーは店舗事業から撤退するに至ったのだろうか。
経営の観点では評価する声も
同社は撤退の理由として「新型コロナウイルスによる生活様式や消費行動、消費者の価値の変化に対応するため事業の再構築」を挙げる。しかし、それ以前から業績は低迷していた。2020年2月期の売上高は121億円(前期比9.1%減、6期連続の赤字)で、ピークの2007年1月期の242億円から半減している。
店舗事業からの撤退はセシルマクビーのみではなく、「エージープラス(a.g.plus)」「ルモアーズ(Rumor.s)「カシェック(CACHEC)」など6ブランドの事業も終了。業績が好調な「アンクルージュ(Ank Rouge)」「ジェイミー エーエヌケー(Jamie エーエヌケー)」「デイシー(DEICY)」「スタニングルアー(STUNNING LURE)」の4ブランドに事業を集約し、子会社のスタニングルアーの元で運営していく方針だ。
社員570人のうち主に販売職の500人は解雇し、人員は約8分の1に削減。事業整理後の売上高は3分の1ほどになる見込みだ。かなり思い切ったダウンサイジングだが、経営の観点では評価する声も小さくない。
体を守るという意味での衣服の不足は死に直結するが、着飾るための衣服は不要不急なものである――。新型コロナウイルスがファッション、アパレル業界に与えるダメージは、旅行、飲食、エンターテインメント業界に匹敵するほど大きくなってしまうだろう。非常に残念なことだが、一時代を築いたセシルマクビーの勇退は“終わりの始まり”となる可能性が高い。
筆者は長年にわたり渋谷の若者文化の生態を観察してきた。セシルマクビー撤退のニュースを知ったその日、下北沢と高円寺で2軒の古着屋を取材し、代々木上原での打ち合わせを終え、渋谷へ向かった。今のセシルマクビーと今の渋谷109をこの眼で確認しておきたいと思ったからだ。
古着屋の取材は、古着雑誌のためのものではなく、某百貨店の催事イベントのためのもの。百貨店が古着(古靴)を扱うというのも昔では考えられないことで、いかに古着、セカンドハンド市場が注目されているかを証明していると言える。
昔はコアなマニアのためのものだった古着は、ヤフオク!やメルカリなどのフリマアプリが台頭したことで、今やセシルマクビーの主要顧客層であるF1層(20〜34歳の女性)にも広がっているのだ。そんなことを考えながら井の頭線のホームを降りて、徒歩で渋谷109へ向かった。
私と渋谷109のファーストコンタクトは、1989年までさかのぼる。雑誌『ポパイ』や『ホットドッグ・プレス』を通して、渋谷カジュアル=渋カジが流行しているのを知り、月に数回のペースで渋谷〜原宿のインポートショップ(セレクトショップ)に通うようになった。109の地下にはさまざまなアメリカの商品を扱っているソニープラザがあって、よく立ち寄ったものだ。
1990年代にギャルの”聖地”となった渋谷109(筆者撮影)
1992年頃に今のギャル文化の原型である“パラギャル”(パラダイスギャルの略)が出現し、翌年に渋谷の女子高生文化の幕が開けると、渋谷109はギャルの聖地となった。そして老舗ティーン雑誌の『ポップティーン』、1995年に創刊された『エッグ』と『東京ストリートニュース』などの雑誌の後押しを受け、1996年頃から渋谷109に入居するアパレルブランドが爆発的に売れ始めた。その中でも、強くて大人っぽいギャル像を描いたセシルマクビーは、ギャルのカリスマブランドとして憧れの存在になった。
黒ギャル→白ギャルの流れに完璧に対応
ギャルのファッションは目まぐるしく変化したが、もっとも特徴的で大人が眉をひそめたのが髪型と肌の色だった。茶髪に日焼けサロンで焼いた黒い肌という彼女たちの“顔の制服”は、コギャルと呼ばれた時代の1993〜94年頃に一般的になり、年を追うごとに過激に進化。ガングロ、ゴングロ、ヤマンバと過激化するにつれ離脱するギャルが増え、 “黒ギャル”はカルト集団になっていく。
2003年頃の黒ギャル終焉期の制服は、109の中では高額なブランドだった「アルバローザ」だった。アルバローザは黒ギャルがほぼ完全に消滅した2006年に店舗事業から撤退し、ライセンス事業に専念している。
そんな黒ギャルと入れ替わるように、2000年頃から主流になったのが“白ギャル”のカルチャーだ。セシルマクビーは黒ギャルと白ギャルの入れ替わる時期に、時流をしっかり読んで白ギャル方向にシフト。1990年代のギャル文化が2000年代のモテ文化に変化する流れに乗り、業績を飛躍的に伸ばしていった。
そうした流れを後押ししたのが、2006年にスタートしたF1層向けのファッションの祭典「東京ガールズコレクション」だ。今も多くの若い世代を魅了するイベントとして健在だが、初回から6回目くらいまでの熱量はとにかく凄まじいものがあった。渋谷109とモテ服のブランドはこの世の春を謳歌し、セシルマクビーはその中心にいた。
渋谷109を視察する時は、いつも少し緊張する。ほぼ客層が若い女子だから、否が応でも中年男子の1人客は悪目立ちしてしまうからだ。1階に足を踏み入れた。東京の感染者数が増えている影響なのか、人はまばらで活気がない。エレベーターで2階に上がると、右手がセシルマクビーの売り場だ。
iPhoneを見ているふりをして、しばし売り場を観察する。人はそこそこ入っているが、やはり覇気がない。全体的な印象は地味目で、私が知るセシルマクビーとは違うブランドに見える。
店の中に入ってみた。1型のデザインが何着もラックに並んでいて、バリエーションが少ない。セシルマクビーは2017年、ギャルという言葉がネガティブに捉えられる時代背景を考慮し、ブランドコンセプトを「モテ服No.1」に刷新している。それも上手くいかず、2019年には「今の私にちょうどいい」を新たなコンセプトに変更したばかりだった。たしかにちょうどいい服なのかもしれないけれど、中庸で面白みに欠ける印象を受けた。
厳しいのはセシルマクビーだけではない
2階のフロアを一周する。セシルと同じように一世を風靡した「マウジー(MOUSSY)」「ロイヤルパーティ(ROYAL PARTY)「エモダ(EMODA)」といったブランドも、以前のような存在感がなく横並びの印象を受ける。ブランドタグを外したら、どのブランドか見分けがつかないだろう。
8階までフロアを周遊しても、いくつかのロリータ系のブランドを除けば、みんな同じに見える。セールのポップ1つとっても、店員が手作りしたものが散見し、まるでクオリティの低い学芸会を見せられているような気分になった。セシルマクビー単体ではなく、109自体が厳しいと感じた。
ギャル全盛期には、カリスマ店員からデザイナーに昇格したマウジーの森本容子や「スライ(SLY)」の植田みずきなど、圧倒的なカリスマ性を持つデザイナーがいた。素材は安っぽくても、力強く魅力的な服が店頭に並んでいて、それに熱狂する消費者がいた。
2000年代前半、世界のトップメゾンの幹部やデザイナーたちは、来日する度にリサーチで渋谷109を訪れていたという。今のマルキューブランドのほとんどは、おそらく商社、OEM、ODM業者を通して製品を企画しているのだろう。
自社で企画せずともブランドが作れるシステムは、2000年代に入って確立したが、お手軽さの一方で他のブランドと差別化できない問題をはらんでいる。このままでは多くのブランドがセシルと同じようになってしまうのではないか……と危惧せざるをえなかった。
セシルマクビーが店舗事業から撤退せざるをえなかった理由はどこにあるのだろうか? 第一に挙げられるのが、ワンピースにヒールパンプスという女性らしい服装がダウントレンドにあることだ。渋谷や原宿を歩いても、10数年前に一斉を風靡したエビちゃん的なフェミニン全開の女子はほとんど見かけない。
ここ数年、モードの世界では男女の境のない「ジェンダーレス」なファッションがトレンドになっているが、日本の若い世代では女子が男子に寄せている印象が強い。ゆったりしたシルエットのジーンズやワークパンツにTシャツをインして足元はスニーカー――。こんなスタイルが今時のF1層の強めの女子(従来のギャルに相当する)の定番的スタイルだ。セシルマクビーの今の世界観と乖離があるのは言うまでもない。
中庸なアパレルの「末路」
若者のファッションへの熱が薄れたのと、若者人口の減少も大きく影響している。一部で熱狂的なファッション好きは健在なものの、多くの若者はかつての日本の若者のようにファッションに執着していない。
かつての渋カジ、裏原、ギャル、エビちゃんOLのように、ひとつのトレンドに世代全体が左右されるような現象は完全に過去のものとなり、ファッション好きの嗜好も細分化されているのだ。
ギャル全盛期の1998年に18歳だった1980年の出生数は157万人、モテ系全盛期の2008年に18歳だった1990年の出生数は122万人で、現在18歳の2002年の出生数は119万人。1980年比で約38万人も減少している。ここ数年はインバウンド需要がその減少分をカバーしてきたわけだが、コロナ禍で改めて国内需要が縮小している問題が露呈したと言える。
2010年代に入ってから、アパレルは上か下かしか生き残れないと言われてきた。上とは欧米のトップメゾンや生地や縫製にこだわり抜いた上質なブランド、ほかにない圧倒的な個性があるブランドで、当然パイは少ないしライバルとの競争も熾烈を極める。
そして下のマーケットは、ほぼユニクロとジーユーの1人勝ちで、日本には対抗できるライバルは見当たらない。オンワードホールディングス、TSIホールディングス、三陽商会などの百貨店アパレルのブランドは「中」の象徴的な存在で、セシルマクビーなどのギャルブランドは「中と下」の中間に位置する存在だ。
中のマーケットは、限られた旬なブランドを除けば、上か下かのどちらかを目指すしかないわけだが、下は圧倒的な覇者がいて勝負にならないから、選択肢は規模を縮小して上のマーケットに挑むほかない。今回、ジャパンイマジネーションが選択した事業方針はまさにこれで、赤字のメインブランド(セシルマクビー)を切り捨てて、収益性が高くコアなファンがいる4ブランドで生き残りをかける、というわけだ。
「次に緊急事態宣言が出て店舗を閉めてしまったら、立ち行かなくなる取引先(ブランドが)が大量に出てくる」とは、前述の古着屋取材で同席した百貨店バイヤーの弁だ。今春夏の在庫を大量に抱えたブランドの多くは、そんなに遠くない未来に事業の整理や縮小を迫られることになるだろう。もう一度くり返す。セシルマクビーの店舗事業からの撤退は、中庸アパレルブランドの終わりの始まりなのである。