日本で成功するスタートアップは少ない。それはなぜか。一橋大学名誉教授の石倉洋子氏は「日本はベンチャー推進を掲げているのに、国は新しいビジネスを阻害する傾向にあり、社会は失敗を避けたがる。その反対の国がイスラエルだ。日本はイスラエルに学ぶべきだ」という--。

※本稿は、石倉洋子、ナアマ・ルベンチック、トメル・シュスマン『タルピオット イスラエル式エリート養成プログラム』(日本経済新聞出版)の一部を再編集したものです。

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■日本で起業が少ない理由1位は「失敗への危惧」

ここ数年、日本でもスタートアップの推進が不可欠という議論が行われてきた。政府のさまざまなベンチャー推進政策が行われ、以前に比べれば支援は増えてきたが、日本ではまだ、スタートアップが生まれ育つ土壌ができあがっていない。

ベンチャーエンタープライズセンターが2019年に行った、設立5年以内のベンチャー企業を対象とした調査によると、日本で起業が少ない要因として一番多く挙がったのが、「失敗に対する自分自身の危惧(起業に失敗すると再チャレンジが難しい等)」(32.9%)だった。次に「学校教育(勇気ある行動への低い評価、課題を探し出す教育の欠如等)」(20.3%)、「世間の風潮(失敗すれば白い眼、成功しても尊敬される程度が低い等)」(14.3%)などと続いた。

そもそも、スタートアップの成功率は数パーセントといわれる。たくさんのチャレンジのなかから、ようやくひと握りのスタートアップが成功・成長する。自由に挑戦できる環境や、失敗しても再起可能な環境なしにはうまくいかない。

■「失敗を許容する文化」が足りない

企業内でのイノベーションも、成功率が極めて低いのは同様だ。企業でビジネスプラン・コンテストをすると、成功率の低さが忘れ去られ、何とか成功例を出そうという意識が働いてしまう。

ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長の著書『一勝九敗』(新潮社)にもあるように、起業は失敗することが前提だ。電球など、数々の画期的なものを発明した、発明家で起業家のトーマス・エジソンは、多数の失敗をしたことでも知られている。失敗するとエジソンは、「これでうまくいかないことが一つはわかった」と言ったそうだ。

新しいことを試すのだから、うまくいくかどうか、やってみないとわからない。ダメでもともとなのだ。失敗から学び、次回は少なくとも同じ失敗はしないようにすればいい。

イスラエルのスタートアップ関係者たちも、起業環境について、イスラエルにあって日本にないものとして「失敗を許容する文化」を指摘していた。日本では、企業内でも社会全体でも、「起業するならば必ず成功しなくてはならない」というプレッシャーが強い。こうした文化、雰囲気を一掃し、失敗しても再起が可能な環境作りが不可欠だろう。

■「ベンチャー推進」を掲げつつ、起業を阻害する日本

日本は、ベンチャー推進のための施策をいくつも打ち出してはいるが、政府が起業を阻害しているように見えるところもある。例えば、既存の業界ルールをディスラプトするような新しいビジネスが生まれると、既存ビジネスを守るために規制し、やめさせようとする。

そもそも、既存の枠組みにとらわれない斬新なアイデアこそが、スタートアップの良さの一つだ。それなのに、新しいビジネスモデルやサービスが生まれたときに、早い段階で規制してがんじがらめにしてしまう。そして結果的にその芽を潰してしまうのだ。

イノベーションを求めるのであれば、政府が「正解」を描くのは無理がある。既存企業や政府が描けない、クリエイティブな発想によるアイデアこそが、スタートアップが生み出す一番の果実なはずだ。正解像を作り上げてスタートアップをガイドしようとした瞬間に、クリエイティビティは失われてしまう。

■企業の自由な活動を促すイスラエルのやり方

戦後の日本では、政府が産業構造のあり方を考え、政策によって産業振興を推進しようとしてうまくいった。しかし、中心となっていた産業が製造業だった時代と、デジタルがグローバル経済を牽引している今とでは、時代が全く違う。戦後の産業政策と同じことをしようとしても、うまくはいかないだろう。

一方、イスラエルで印象的だったのは、スタートアップ振興を行う政府組織、イノベーション庁が、環境整備に徹し、民間をリードしようとはしていないところだった。日本の産業政策とは対照的で、スタートアップにはかなり自由に活動させる。たくさんのスタートアップのなかから、自然に淘汰されて、良いものが残るというのが基本的なあり方と考えているようだ。

当初は政府の投資によってベンチャーを後押しするスタートアップ推進政策だったが、2000年代以降は、産学主導に切り替え、インキュベーター、アクセラレーター、VCなど民間企業による資金やノウハウを提供する仕組みを奨励してきた。政府は高リスクの事業への資金、ノウハウの提供など状況に応じて、役割を変え、必要があるところだけサポートしている。

■日本のスタートアップ振興は「今が正念場」

イスラエルでスタートアップを経営している寺田彼日氏が数年前、助成金の相談をしに政府機関のイノベーション庁に行った際、出てきた担当者は、自らも10年以上起業やビジネスをしていた経験がある人だったという。起業家と共通の経験や言語を持つ人が、政府の側でスタートアップ振興を行っているというのは、理想的な姿だろう。

ドイツの「インダストリー4.0」や世界経済フォーラムの提唱する第4次産業革命に対して、世界ではイノベーションやスタートアップを振興する政策を本格的に推進している。こうした動きに対抗して、日本のビジネス界も経団連を中心に、「ソサエティ5.0」を掲げ、イノベーションを軸とした経済の変革を目指している。

特に今は大企業がイノベーションを緊急の課題ととらえている。このため、スタートアップと大企業の連携促進を目的に、定期的に会合を開いているという。大企業側の参加者を、意思決定権を持つ執行役員以上に限っているところがユニークだ。

また、高齢化する日本でニーズの高い、デジタルヘルス分野のスタートアップを中心とした調査団をイスラエルに送るなど、これまで見られた「情報は集めるが成果に結びつかない」という問題を解決するための具体的な動きも始めているようだ。目指す方向は正しいので、どこまで成果をあげられるか、今が正念場だ。

■「なみかぜ」を歓迎するイスラエル社会

テクノロジーの発達や経済構造の変化により、今後はさらに、自分で考え、判断する能力と経験が求められるようになる。しかし、せっかくこうした力を身に着けても、実践する場がなければ宝の持ち腐れになり、力は衰えてしまう。身に着けた力をさらに伸ばし、その人が持つポテンシャルを活かすためには、さまざまな課題に取り組むことができる環境が必要だ。特に「課題を見つけて迅速に解決策を探し出す力」は、実践によってしか伸ばすことはできない。

イスラエル社会の特徴に、「納得できなければ、受け入れない」「徹底して議論する文化」があるが、これは、見方を変えれば、小さな課題を見つけては解決していくというトレーニングを、日常の中でも積み重ねていることを表していると言える。課題解決のプロセスには、波紋や摩擦がつきものだが、イスラエルは日本と違って、そうした「なみかぜ」を忌むべきものとはとらえず、むしろ歓迎すべきものと受け止めているようだ。

■イスラエル×日本で「集中プログラム」をしてはどうか

こうしたことを考えると、やはり私がイスラエル取材で実感したスタートアップの勢いの背景には、課題解決を実践する機会の多さ、多彩さがあるように思われる。これまでの私の経験を振り返ってみても、やはり日本の社会には、こうした実践の機会がまだまだ足りないと感じる。こうしている間にも、世界はどんどん変化している。できるだけ早く、こうした実践機会を増やすための取り組みに着手すべきだろう。

では、具体的にどうすればいいのか。情報はどこでも手に入るようになってきているので、やはり直接イスラエルの人たちと接し、協働することで、彼ら・彼女らが持つエネルギーや課題に取り組む姿勢を学びとることが一番の近道だと思うに至った。

ここからの私の提案は、複数のプログラムをイスラエルと日本で、同時に進めるというものだ。

特定の業界から企業を数社募り、それぞれ10名程度のメンバーを数カ月間イスラエルに送り込む。そして各企業の課題を解決するためのテクノロジー、スタートアップ、人材などを探し出し、交渉して何らかの提携、協働に結び付けることを目指す集中プログラムはどうだろうか。同じ業界内であればチーム間で競争が起こるため、良い緊張感が生まれてアウトプットの質も上がるだろう。

一方、日本で行うプログラムでは、幅広く企業を募って参加者を集め、ディベートや小グループでのディスカッション、課題の発見から解決策を立案・実行するプロジェクトなどを行ってスキルを磨く。そのなかから、イスラエルでの集中プログラムに参加するメンバーを選抜してもよいだろう。

■「アイデアに誇りを持ち、やり抜くこと」が必要だ

2020年を新しい日本への変革のきっかけにするためには、「企業」と「人材」が鍵となる。この2つを変えていく上で、ここまで説明してきたイスラエル社会からの学びは、大きなヒントになるはずだ。

石倉洋子、ナアマ・ルベンチック、トメル・シュスマン『タルピオット イスラエル式エリート養成プログラム』(日本経済新聞出版)

まずは、企業のメンバーがある期間イスラエルに滞在し、スタートアップを探し、実際に提携するプロジェクトに結びつけるのが企業の変革への近道だろう。

国レベルで考えると、高校生同士の交流もよいかもしれない。世界では、アメリカの銃規制、ヨーロッパの気候変動対策など、世の中を動かすプロジェクトで高校生が活躍していることが多い。イスラエルと日本の高校生が交流する機会を持つことができれば、大きな刺激になるだろう。

私たち一人ひとりに必要なのは、自分のアイデアに誇りを持ち、習得したツールを駆使して、次々それを実験し、ひとつでも良いので、やり抜くことだ。

「イスラエルはすごい」と評論家のようにいっているだけではなく、自ら共同チームの一員となって、明日から行動することなのだ。

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石倉 洋子(いしくら・ようこ)
一橋大学名誉教授
バージニア大学大学院経営学修士(MBA)、ハーバード大学大学院経営学博士(DBA)修了。1985年からマッキンゼー・アンド・カンパニーでコンサルティングに従事した後、1992年青山学院大学国際政治経済学部教授、2000年一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授、11年慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授。資生堂、積水化学社外取締役、世界経済フォーラムのNetwork of Expertsのメンバー。「グローバル・アジェンダ・ゼミナール」「SINCA-Sharing Innovative & Creative Action」など、世界の課題を英語で議論する「場」の実験を継続中。専門は、経営戦略、競争力、グローバル人材。
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ナアマ・ルベンチックコンサルタント
1992年イスラエル生まれ。高校を卒業後、3年間イスラエル国防軍のトップ情報収集部門の「8200部隊」という部署で勤務。国防軍では、情報収集コースのインストラクターに選ばれる。退役後テルアビブ大学で経済及び東アジア研究を行い、2016年に卒業。在学中、コンサルティング会社のGTM戦略部門でマーケターと戦略アソシエイトとして働いた。16年〜18年の間在イスラエル日本大使館に勤め、18年に文科省の奨学金で京都大学大学院経済学研究科に留学。19年からイスラエルに戻りフリーのコンサルタントとして活躍する。
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トメル・シュスマンタルピオット・プログラム元チーフインストラクター兼副司令官
テルアビブ大学物理学修士。2012年度タルピオット・プログラム最優秀士官賞受賞。イスラエル国防軍シニア・リサーチャー兼プロジェクト・マネージャーを経て、18年7月までタルピオット・プログラムチーフインストラクター兼副司令官としてプログラムを統括。現在ヘルスケア分析関連スタートアップ企業を設立中。
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(一橋大学名誉教授 石倉 洋子、コンサルタント ナアマ・ルベンチック、タルピオット・プログラム元チーフインストラクター兼副司令官 トメル・シュスマン)