10年がかりで自らの居場所を見つけた竹村直樹さん(仮名)のリアルに迫る(筆者撮影)

独自のルールを持っていたりコミュニケーションに問題があったりするASD(自閉スペクトラム症/旧・アスペルガー症候群)、落ち着きがなかったり不注意の多いADHD(注意欠如・多動性障害)、知的な遅れがないのに読み書きや計算が困難なLD(学習障害)、これらを発達障害と呼ぶ。
今までは単なる「ちょっと変わった人」と思われてきた発達障害だが、生まれつきの脳の特性であることが少しずつ認知され始めた。子どもの頃に親が気づいて病院を受診させるケースもあるが、最近では大人になって発達障害であることに気づく人も多い。
発達障害について10年程前に知り、自身も長い間生きづらさに苦しめられていたため、もしかすると自分も発達障害なのではないかと考える筆者が、そんな発達障害当事者を追うルポ連載。発達障害当事者とそうではない定型発達(健常者)の人、両方の生きづらさの緩和を探る。
第19回目はフリーの大学講師・企業研修講師の竹村直樹さん(仮名・35歳)。京都在住だが、この日は仕事の都合で上京していたので直接お話をうかがえた。かの名門、京都大学を卒業後、就職するもほかの人がすぐにできる仕事が何カ月経っても覚えられない。そして、その原因がADHDの特性によるものだと判明した。

子どもの頃はADHDの特性を見落とされていた

現在、大学では就職活動対策やキャリアデザインなどを担当している竹村さん。学生の中には発達障害傾向のある人もいて、彼らが苦しんでいるのを目の当たりにすることもある。


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ADHD傾向のある学生は就活時の面接時に多動で面接官にマイナスの印象を与えたり、自分の意見を勝手に展開していったりしてうまくいかないことがある。ASD傾向のある学生は知的な面では問題がないのに面接官と話がかみ合わないなど、不利になるケースが多いという。

「本人が発達障害の傾向を自覚している場合としていない場合によって、面接対策は異なりますが、自覚している場合、たとえば“結論を先に言ってから理由を言うように”とか“面接官に質問をされたら、一度「はい」と答えて話し、話し終わったら「以上です」で締める”といったテクニックを教えています。そういうちょっとした空気づくりやコミュニケーションの取り方で、発達障害傾向のある学生でも面接での印象がよくなります」(竹村さん)

このように、今は生き生きと仕事をしている竹村さんだが、ここまで来るのに10年かかかった。

小さい頃から異様に忘れ物やミスが多く、整理整頓がまったくできなかった。また、教科書はすぐに角がめくれてボロボロになり、なぜほかの人の教科書は角がピンとしたままできれいなのか不思議でたまらなかった。しかし、いくら努力しても教科書の角をきれいな状態に保つことができず、自分がほかの人と少し違うことを自覚させられた。細部にまで意識がいかず、雑な扱いをしていたのかもしれない。

少し乱雑なところのある竹村さんだったが成績は優秀だったので、親は特に心配することはなかった。彼が本格的につまずいたのは京都大学を卒業後、就職してからだ。

「金融機関に就職したのですが、他の同期がすぐにできるようになる電話応対などが、自分はできない。でも、周りの人がとても優しくて『ゆっくり長い目で見てあげよう』という雰囲気で助かりました。問題だったのが、出向になった2社目の会社です。怒鳴るパワハラ系の上司にあたってしまったんです。しかも、担当は経理。細かいことを大量に、納期までに正確にこなさないといけないことが、本当に苦手でした」(竹村さん)

このとき、病院は受診しなかったものの、今思うとうつの症状が出ていたという。情緒不安定になって通勤中の電車で涙が止まらなくなる、会社に行くまでの道で足が動かなくなり、10分くらい立ち尽くしたこともあった。また、いちばんひどかったときは、自然に足がふらっと特急電車に向かって飛び込みかけた。

自分はほかの人が普通にできる仕事ができない――。なぜなのか悩み、大学時代の先輩に相談したところ、「ADHDなのではないか」と言われた。その先輩もまた、ADHD当事者だった。その後、大学病院を受診してADHDの診断が降りたのが25歳のとき。診断が降りたときは、仕事ができない理由がわかって心からホッとした。精神的にも追い詰められていたため、出向していた会社は1年半で退職した。

重要なのは“能力×仕事のしやすさ”

27歳で会社を辞めてフリーランスになったものの、仕事はほとんどなかった。食べていくには働かなければならない。そこで、いちばん時給の高かった塾でアルバイトを始めると、教えることの楽しさに目覚めた。教える仕事ならできると思った。ただ、教える仕事自体は評価されても、職場の人間関係がうまくいかない、仕事の納期が遅れるなど、周りに迷惑をかけることが多かった。全力で取り組んでいるのに納期が遅れてしまう。納期ギリギリにならないと取り組めないのだ。

別の塾から社員登用の話も来たが、社員になると管理業務が発生する。それは自分が苦手な分野の仕事だ。そうなるとまた、会社員時代のように崩壊してしまう。しかし、アルバイトのままだと生活ができない。経済的にはどん底の最中、当時交際していた彼女との結婚も決まり「最初のうちは妻に食べさせてもらうヒモ状態だった」と笑いながら語る。

「婚約前に、彼女に発達障害であることを振られる覚悟で告白しました。彼女の答えは『多分そうだろうなと思っていた』で、拍子抜けしました。妻は以前、学童保育で働いていたので、発達障害の子どもも見ていて知識があったようです。それで、この人と結婚したいと改めて強く思いました。この人なら自分のことを受け止めてくれると。

ヒモ状態を脱却するためにはフリーの講師になろうと、1日当たりの単価が塾より高い大学講師の道を選びました。そして今に至るのですが、この10年間はトントン拍子とは言えませんでした。うまくいかないことに絶望して、『死』が脳裏をよぎることが何度もありました」(竹村さん)

32歳のとき子どもが生まれ、育児のために妻が仕事を辞めた。これからは1人で妻と子どもを食べさせていかねばならない。そんなプレッシャーのある中、なんとかフリーランスとして仕事を成功させようと竹村さんは必死で努力をする。今まで取材してきた当事者の中にも「会社員として働けないから、フリーライターやブロガーで食べていきたい」と語る人がいた。しかし、フリーライターで生計を立てている筆者だからこそ、フリーの厳しさを知っており、夢を語る当事者への返答に困ることがある。

「フリーランスは特にB to Bの場合、“能力×仕事のしやすさ”だと思うんです。能力のほうは経験を重ねて鍛えていけばいいですが、発達障害の人の場合、仕事のしやすさの部分がネックになる人が多いのかなと思います。私でいうと、講師としての能力はそれなりに評価されているけど、仕事のしやすさの面で以前はルールや納期を守れない、ケアレスミスをするという失敗をしてきました。

社会人となってから10年かけて、仕事のしやすさの面はある程度コントロールできるようになりました。フリーとして働くうえでもう1つ重要なのは、断る勇気。『この人は発達障害の特性を理解してくれない』と思ったり、『管理業務までやってくれ』と言われたりしたとき、応じてしまうと失敗してしまう。昔は断ったら仕事が減ってしまうという恐怖から、しんどい思いをしてまで引き受けていましたが、最近はようやく『それは私ができる仕事ではありません』と断れるようになりました」(竹村さん)

竹村さんは、能力を上げるために必要なのは自分が向いていると思ったテーマに時間をかけることだとも語る。フリーとしてうまくいっていない人はテーマをコロコロ変える傾向があるという。竹村さんは2010年から講師を始め、安定して仕事が来るレベルの能力になったのは2016年。それまで累計約3000時間、人前に立って教えてきて、6年間かけてようやく能力を開花させた。もともと教える才能はあると思っていたが、才能があるのに地道な努力ができていない人が多いように感じるという。

10年がかりでようやくスタートラインに

「私は社会に出てから何とか生計を立てられるようになるまで10年かかりましたが、大学時代の友人たちはその10年間に大企業で出世したり、会社を起こして成功した人もいます。自分が10年間悪戦苦闘してきてようやくスタートラインに立てたとき、みんながすでに成功しているのを見ると、負い目を感じることもあります。でも今、自分は好きな仕事をやれて生活をできているのはとても幸せなことだと思います」(竹村さん)

竹村さんは今、講師の仕事以外にも発達障害当事者向けのサイトでコラムの仕事も請け負っている。しかし、ADHDの特性がゆえ、〆切に遅れそうになることが多い。そこで、コラムの仕事や〆切のある資料作成のときのみ、ADHDの薬のコンサータを服用することがある。そうすると、圧倒的に効率がよくなるという。なぜ、普段から服用しないのだろうか。

「講師をしているときは、ADHDの特性がいい方面で出ているようで、コンサータがなくても全力でいけるんです。講義の準備の段階や納期がある仕事の場合は服用したほうがいいのですが、私の場合は効果が切れると体に負担がかかってすごく疲れてしまいますので、医師と相談のうえ、飲む場面は選んでいます。また、もう1つのADHDの薬であるストラテラについては、薬が効いているときは講義中の反応が0.5秒くらい遅れる感じがします。それをストレスに感じてしまうので飲むのをやめました」(竹村さん)

2016年には発達障害者支援法の一部が改正され、特性に応じた就労の確保に努めるように定められているが、それに応じている企業が少ないのが現状だ。就労に悩んでいる当事者は、フリーランスとして働くのも1つの手なのだと竹村さんの話を聞いて感じた。

しかし、それで生活していくためには血のにじむような努力と時間が必要なことも事実である。また、今回の竹村さんの話は発達障害当事者だけでなく、すでにフリーで働いている人や、フリーに興味を持つ人へのアドバイスともとらえられるように思えた。