現地時間9月5日に行なわれたサウジアラビアとのアウェイゲームは、なかなかの雰囲気に包まれた。過日のオーストラリア戦を上回る6万2千人強の観衆が、モダンな外観のスタジアムに押し寄せた。無料開放されたことから満員となるのは必至で、Eチケットを持っているのに席を確保できなかった地元ファンも、実は相当数にのぼっている。試合当日にもっとも骨の折れたのは、スタジアム内のゲートに立つ警備員だったかもしれない。

 サウジ戦には「完全アウェイ」との表現も使われた。日本のファン・サポーターがごくわずかだったことをアウェイとすれば、そのとおりではある。ただ、観客の多さがそのままアウェイゲームの難しさに直結するとは限らない。

「完全アウェイ」の難しさは、「判断を鈍らせること」にあると聞く。

 相手に攻められる。いつもの感覚なら危機が迫っていない状況で、スタンドが沸き上がる。選手たちの胸に、疑問符が沸き上がる。

 えっ、そんなに盛り上がる場面なのか? ディフェンスの人数が足りていないのか? ピッチ上の状況を正確に分析する前に、とにかく目の前の敵を止めなければならない。その結果として、ファウルを冒してしまう──アウェイで陥る悪循環の一例だ。

 ジッダのキングアドゥラスポーツシティには、そうした空気が希薄だった。とりわけ前半は、W杯出場決定の試合を観たいというピュアな欲求に満ちていた。子どもが目についたことも、穏やかな印象を受けた理由かもしれない。1対0でリードした終盤には、さすがに生々しい感情に包まれていたが、それしても殺気立った空気ではなかった。

 アウェイでより厳しい威圧感を受けたゲームは、過去にいくつもある。

 W杯最終予選から選べば、97年10月のウズベキスタン戦があげられる。中央アジアへの遠征がはじめてだったことを差し引いても、剥き出しの敵意を向けられた。

 2000年のアジアカップ決勝も鮮烈な記憶だ。日本相手の大敗からスタートしたサウジがファイナルへ進出したことで、しかも相手が日本だったことで、ベイルートのスポーツシティスタジアムはサウジからの来訪者で埋め尽くされた。まさに「完全アウェイ」だった。

 04年のアジアカップでは、中国の観衆から“敵国”と見なされた。試合前の国歌斉唱がブーイングの標的となり、どこの国と対戦しても、どこへ行っても、ジーコ率いる日本は憎悪の感情をぶつけられた。

 それでも、レバノンでの大会に続いて連覇を果たすのである。中国を決勝で破った一戦は、いま振り返っても痛快だ。

 鮮度の高い記憶では、14年のブラジルW杯がある。グループリーグ第3戦のコロンビア戦は、黄色いユニフォームを着た隣国からの観衆がスタンドを埋めた。一つひとつのプレーに対する彼らの反応は、コロンビアの選手を勇気づけ、日本の選手の心を砕いていった。

 こうしたゲームに比べると、今回のサウジ戦は個人的に物足りない。背筋が凍るような冷たさも体験した者からすると、「完全アウェイ」とは思えないのである。

 他でもない選手たちも、アウェイ感をそこまで覚えなかったのではないか。Jリーグのクラブに所属する選手はともかく、ヨーロッパでプレーしている選手からすれば、顔色を変えるような環境ではなかっただろう。移動距離が長い、時差がある、気候が違うといったものによる難しさはあっても、スタジアムの空気が敗戦につながったと考えるのは、アウェイというものの拡大解釈である。