今夜2話「カルテット」オーバーサイズの白シャツを腕まくりして着る高橋一生にやられた

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いやぁ、すごかった! 坂元裕二脚本、松たか子、満島ひかり、高橋一生、松田龍平の共演で話題を呼んだTBS“火10”枠ドラマ『カルテット』の第1話は、噂にたがわずすごかった。今のところ今期のドラマNo.1だと断言していい。

ああ、すごかった。これは事件だ。ドラマをナメるな。今夜2話必見、以上! で原稿を終わらせたいところだが、そうもいかないので『カルテット』の何がすごいのかを解説していきたいと思う。


主役たちの魅力がすごい


ものすごく小声でしゃべる第1ヴァイオリン奏者の巻真紀(松たか子)、いつもニヤニヤしているチェロ奏者の世吹すずめ(満島ひかり)、卑屈で理屈っぽいヴィオラ奏者の家森諭高(高橋一生)、生真面目だけど育ちが良さそうな第2ヴァイオリン奏者の別府司(松田龍平)。この4人を眺めているだけで楽しい! という視聴者も多かったと思う。

いずれもドラマのみならず、映画、舞台で活躍している芸達者たちだ。「唐揚げにレモン」のような軽妙な掛け合いだけでなく、相手の心をえぐるようなギスギスした会話だってお手のものだ。人が良さそうなときもあるし、裏の部分を見せるときもある。笑わせたかと思ったら、急に深刻な話になる。4人の芝居を見ていると、舞台を観ているような感覚になることがある。

控えめそうだった真紀が一番怖いような気がする。夫の話だって、本当の話なのか嘘をついているのかわからない。真面目そうな司もいきなり「これは運命だと思うんです」とか言っているところが怪しい。能天気そうなすずめが、ラストでまさか会話をすべて盗聴していたなんて!(「えーっ」ってなったでしょ?) 諭高は……今のところ一番裏表がなさそうだ。

今後4人の間に恋心が芽生えたとき、どのようなお芝居が見られるのかがまた楽しみである。『カルテット』のキャッチコピーは「全員片思い、全員嘘つき。」である。

練りに練られた脚本がすごい


まさか「唐揚げにレモン」のやりとりが後半の重い展開の伏線になっているとは思わなかった! 諭高が屁理屈を語っているとき、もっとも敏感に反応したのが真紀だったというのも納得である。このように、『カルテット』は何気ない会話やセリフ一つも見落とせない。何が伏線になっているかわからないからだ。

坂元裕二の脚本は、主役の4人の演技と同じように、軽やかだと思ったら急に重くなるから油断ならない。「バディソープ」「みかんつめつめゼリー」「コーン茶」「高級ティッシュ紫式部」なんて、やけに耳に残るフックもたくさんある。

ゲストのイッセー尾形をはじめ、八木亜希子やサンドウィッチマンの富澤たけし、吉岡里帆らの脇役たちも、わずかな出演シーンながらくっきりと印象を残す。これも脚本の技ありだ。

名ゼリフも多い。第1話は後半に畳み掛けてきた。

諭高「画鋲も刺せない人間が音楽続けていくためには、嘘ぐらいつくだろうなって」

真紀「私たち、『アリとキリギリス』のキリギリスじゃないですか。音楽で食べていきたいって言うけど、もう答え出てると思うんですよね。私たち、好きなことで生きていける人にはなれなかったんです。仕事にできなかった人は決めなきゃいけないと思うんです。趣味にするのか、それでもまだ夢にするのか。趣味にできたアリは幸せだけど、夢にしちゃったキリギリスは泥沼で……」

真紀「夫婦って、別れられる家族、なんだと思います」

真紀「人生には三つ坂があるんですって。上り坂、下り坂、まさか」

真紀「『愛してるよ。愛してるけど、好きじゃない』って」

有朱「『音楽っていうのはドーナツの穴のようなものだ。何かが欠けている奴が奏でるから音楽になるんだよね』って。ぜんぜん意味わかんなかったですけど!」

すずめ「でも、どうして曇っていると『天気が悪い』って言うんでしょうね。いいも悪いも曇りは曇りですよね。私は青空より曇った空のほうが好きです」

『リーガル・ハイ』などで知られる現在最強の脚本家の一人、古沢良太は第1話を観て、「脚本家がみんな夢想するけど具現できないやつが具現しちゃったんじゃないのかな もしかしてコレ」とツイッターでつぶやいていた。それだけ『カルテット』の脚本が高みに達しているということだろう。脚本の良さは、キャストと演出によって生かされる。それができているのがこのドラマだということだ。

わかりにくさがすごい


『カルテット』はわかりにくい。まず、会話が多く、それぞれが次の展開の伏線になっていたりする。登場人物たちが自分の状況や心境をいちいち説明してくれないので、画面やセリフに注意していなければいけない。一瞬の表情にも意味があるので目も離せない。まったく「ながら見」に適していないドラマなのだ。

登場人物はだいたいどんな性格かはわかるものの、わかりやすいキャラクターではない。第1話を見ただけでは、どんな人物かはっきりわからない。単に表と裏があるだけでなく多面的なのだ。それが人間らしいところであり、面白さでもある。

この20年ほど、テレビドラマの世界はわかりやすい記号的なキャラクターたちが登場する「キャラクタードラマ」(ドラマ評論家の成馬零一による造語)が主流だった。キャラクタードラマの登場人物はどんな役回りか(善人か悪人か、など)がはっきりしており、それをわかりやすいセリフと表情で視聴者に伝える。マンガ原作のドラマが多いのもキャラクタードラマの隆盛を示している。

キャラクタードラマはわかりやすい。それは善し悪しではなく、そういうものだ。マンガ原作ではなかったが、前クールの『地味にスゴイ! 校閲ガール・河野悦子』も立派なキャラクタードラマだった。

一方、『カルテット』はキャラクタードラマではない。70年代の山田太一、倉本聰、向田邦子らが作り上げていた人間ドラマに通じている。そう書くといかにも重苦しいドラマを連想しそうだが、そうではない。ちょっと笑えて、ほろ苦くて、人生の機微なんかを伝えてくれるのが人間ドラマだ。

また、登場人物のセリフを追っているだけではドラマがわからないところもある。ストーリーはわかるが、視聴者はセリフの向こう側にある登場人物の思惑や、ドラマが伝えようとしていることを想像する必要がある。いや、厳密には「想像する必要」はないのだが、そうすればよりドラマが面白くなるという意味だ。高橋一生は坂元裕二の脚本について「余白の部分をとても大事にしている」と語っていた。この「余白」を感じ取ることができれば、ドラマはより面白くなる。

『カルテット』のわかりにくさは、9.8%というけっして高いとは言えない初回の視聴率に表れている。わかりやすいドラマに慣れている視聴者はちょっと戸惑うのかもしれない。筆者の