「心臓を捧げよ!」実写版「進撃の巨人」後編に制作陣のギリギリの覚悟を見てしまった

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クリエイターに心臓を捧げさせる実写版『進撃の巨人』


心臓を捧げよ!右手の拳を左の胸に当てる、『進撃の巨人』ではおなじみのポーズ。実写版『進撃の巨人』後編(『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド』)の試写会を見終えたあとに、スタッフは全員がこの覚悟で制作に臨んだのでは……という思いが頭から離れませんでした。(前編レビュー)


どう転んでも、プロのクリエイターとしての“生還”ーー作品を評価してもらえる確率は1%以下ですから。
原作マンガは、2015年9月現在で18巻。このボリュームを前後編合わせても約3時間内に収めるのは、物理的にムリ。そこで前編では原作の1巻〜3巻に絞り、壁の穴を塞ぐ作戦に限定することでクリアしていました。
ハリウッド映画と予算を比べるのも酷な条件で大作に立ち向かったスタッフは、調査兵団に勝るとも劣らない働きを讃えられていいはず。主人公のチームが大声を上げたり緊張感に欠けた行動が目立ったものの、慎重にステルスして「任務終わりました」では映画にならない。戦場のど真ん中で「子供の父親になって」だのクリスタルレイクでジェイソン呼び寄せる的な濡れ場も一服の清涼剤になってました…まぁ水崎綾女ファンとしては一生許しませんが。

前編はよくぞ乗り切った。「なんの成果も!! 得られませんでした!!」どころじゃない大健闘です。基本的には原作に沿ったストーリーですから、期待と違うところは目をつぶって漫画のコマを浮かべればよかった。
俺達の本当の戦いはこれからだ!エンドでいいよね…えっ後編やるの? 

前編で広げた風呂敷を畳むためのセカイ系


前後編で完結した一本。そして原作はまだまだ終わる気配がない。つまり「実写版オリジナルの“お終い”」を作れということ。
「原作とは違う結末」は、メディアミックス案件が背負う十字架。だいたいにおいて十字架の重さに押しつぶされます。最近は「原作とアニメ版が同時完結」として着地点を近づける仕掛けもありますが、『進撃の巨人』ではそうした安全装置なし。空中で立体起動装置が外されたようなピンチで、どうする後編!?

その答は「セカイ系」でした。
セカイ系とは2000年代前半に流行った言葉で、「君と僕を中心とした関係性が世界の運命に直結する作品群」のこと。
彼女が最強の戦闘兵器とか、ハーレム体質の少年が実は惑星再生のカギを握ってるとか、ミニマムなキャラクター周りで世界が滅んだり蘇ったりする奴です。直近のルーツに遡れば、14歳の少年が人類どろどろ溶かしロボに乗り込んだ『新世紀エヴァンゲリオン』ですね。
セカイ系は物語の幕引きにとても便利。どんどんキャラクターを殺して観客の注意を主人公達に集中させ、「世界の理はこうでした」と説明してカタルシスをもたらす。テーブルの上を綺麗に片付けてあと腐れなく「終わらせられる」わけです。

原作版『進撃の巨人』では主要キャラの死亡率は意外と低く、ときおり新キャラが投入されて複数の思惑が絡まっていく群像劇です。が、実写版の前編は、中盤から調査兵団の内輪にドラマが絞られるのに、一人ずつ退場して補充要員ナシ。前編からすでに「セカイ系」の仕込みは始まってたのです。

「映画のタブー」が連発される裏返った快感


エレンが巨人化、ロボットアニメで言うところの「エヴァに乗る」的行為の背中を押した人物は誰か。セカイ系における立ち位置のヒントは前編で出されていますし、各キャラの二つ名はかなり正直で「予告」とさえ言える。映画のパンフレットを読めば先の展開は見通せるでしょう。
その意味で、後編のストーリーに意外性はありません。ただし、「こうやるか?」という角度からの不意打ちはあり。

この後編、先も言ったように創作に携わるプロ的には「心臓を捧げよ」であり、与えられる報酬は「好き放題にやれる」のみ。
だったら、とことんタブー破りしてやるぜ! パンドラの箱が開かれて「映画でやってはいけないこと」が続々と出てくる、裏返った快感が本作の見どころではあります。
エレンが巨人化して大暴れした前作のラストを受けてのスタート。前作で広げた風呂敷を、大急ぎで畳みにかかっています。
固有名詞は出しませんが、ある人物がある人物を連れてきた白い部屋。二人きりでシュールな場所にいるのはエヴァでも見た風景であり、世界の成り立ちや行方についてかゆいところに手が届く丁寧さで暴きます。全力でセカイ系です。
ネタバレしない範囲でいうと「俺に任せて先に行け」や「人としての生き方を大声で話す」や「それを待ってくれてる敵」といった邦画でよく見るパターンがテンポよく釣瓶撃ち。各キャラに見せ場を作りつつ、生存枠に入らないキャラをふるい落とすリストラですね。
そして世界の仕組みも、○○○○○監督の××と具体的な洋画の名前を挙げれば、分かる人には一瞬で伝わるはず。他の作品にはない、原作ならではのアイディアも流用が見られないので、意図して被りを避けたのかもしれません。
特撮やSFXは前作の延長にあり、巨大な人型が激突する質量や、か弱い人間の視点から見上げる怖さはブラッシュアップ。前作を人食い映画的に『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』に例えたことがありますが、そちらの欲望はいっそう満たされます(意味深)。

後編はトラウマ映画アベンジャーズだ!


おそらく本作は、「Yahoo!映画レビュー」ではかなり厳し目のスコアがつけられるはず。原作ファンが期待した『進撃の巨人』らしさは薄く、猛スピードで風呂敷を畳む疾走感はあるものの、オチは観客を“怒らせる”タイプです。

だけど、それがスタッフの意図した通りだとしたら?
辛口の映画評論家・町山智浩さんが脚本に参加していることで、この作品はガラリと違った様相を呈してきます。
この世界の構造は映画の『○○』と『△△』を掛け合わせたもの。原作ファンの心に傷を残すやり方は旧劇エヴァ(『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』)……と、数々の作品がまざまざと蘇る。そんなトラウマをテイスティングさせる、“毒映画ソムリエ”の素養を試しているのではないか。
そして大声で主張を演説した邦画SFXの先輩『CASSHERN』は、樋口真嗣監督がアクションシーンの絵コンテで参加した作品。そもそも旧劇エヴァの実写パートも樋口さんの担当でした。
つまり『進撃の巨人』後編の正体……それは記録より記憶に残った作品の魂が集まった、トラウマ映画アベンジャーズだったんだよ!

邦画の限られたリソース、原作とは違うオリジナルの結末など、調査兵団なみに報われない任務。その中で「せめて観客の心に傷を残す」スタッフの意地を堪能してはいかがでしょう。旧劇エヴァや『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』で映画という名のDVを楽しめた人にはオススメです!
(多根清史)