天才か狂人か、真理探求マンガ『ロジ・コミックス』

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『ロジ・コミックス: ラッセルとめぐる論理哲学入門』
なにやら難しそうなタイトルだが、マンガである。
おっさんが出てきて「おっと失礼!」などと読者に向かって話しかけてくる。
この人が著者のひとりアポストロス。
数理論理学の専門家クリストスに会いに行くところからはじまる。
さらにアーティストの二人アレコスとアニーが登場する。
全員、このマンガ制作の中心人物だ。
どういうマンガにするか、ミーティングをはじめる。


描かれるのは1939年9月1日、ヒトラーのポーランド侵攻の日。
世界大戦の秒読みが始まっている……。
主役は、バートランド・ラッセル。
9月4日、大学に到着し、講演をはじめる。
20世紀を代表する哲学者にして、数学者・論理学者。
とはいえ、彼のことをまったく知らなくてもだいじょうぶ。
彼が語るのは、自分の半生だからだ。

父方の祖父の家で暮らすことになったラッセル少年。
深夜に聞こえてくる呻き声。
「この不気味な呻き声の正体は何か、それが私の人生最初の謎となりました」
演台で語るラッセル卿。
呻き声の正体を探るが、誰も知らないという答えしか返ってこない。
立入禁止の多い家。
禁断の書物があるという巨大な書斎。
差出人不明の謎の手紙。
地下の納骨堂。
ゴシックホラーなスタートで、物語にぐっと惹き込まれる。
そして序幕のラスト、衝撃のシーンで本書のテーマが鮮烈に示される。
狂気から逃れるために真理探求に情熱をそそぐのか。
真理探求に深入りしすぎたために狂気へと導かれたのか。

制作陣の対話の中で語られる作品。に出てくる大学で講演するラッセル。が語るラッセル自身の半生。
という3重の入れ子構造で物語が展開していく。
この構造がいい。
それぞれのパートがそれぞれのパートの自然な捕捉になっていて、3匹の蛇が互いを飲み込み合いながら、読者を真理探求の世界へと連れ去っていく。

ウィトゲンシュタイン、ゲーテル、フレーゲ、ホワイトヘッド、チューリング、フォン・ノイマン……。
そうそうたる知の格闘者が登場するが、偉人をイラストとテキストで紹介する退屈な教科書タイプのマンガではない。
読み心地は、良質な映画だ。
ラッセルが、恋をし(けっこう奔放で我儘だ)、さまざまな真理探求者(そして偏屈者)に出会い、葛藤し(「お前は数学の基礎をぶち壊した!!!とガウスに責められる悪夢に苦しみ)、「ラッセルのパラドックス」に辿り着き喝采を浴び、若き変人ウィトゲンシュタインと出会い、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドと共著を書きはじめるが(その間にも男女のいざこざなんかあったりして)、10年を費やした著作『プリンキピア』は“金を出して読もうとする者もいないだろう”と言われる。

真理を探求する姿は、時に狂気であり、狂気から逃れるための情熱である。そこに巻き込まれる多くの人生。
描かれているのは、真理探求を軸にした人間達だ。だから、良質な映画のような読み心地を読者に与える。
映画よりも優れているのは、「あのシーンをもう一度時間をかけて読み返してみよう」ということが簡単に何度もできること。

ラッセルの真理探求は、彼の主観的には悲劇に終わる。
「つまり、私自身の論理学の著作は失敗したが-」
演壇で語るラッセルに、現在の著者のひとりが時空を超えて「待った!」と異論を挟む。
「ラッセルの論理学の著作は“失敗”とは呼べない…断じて!」
「彼が実際に言った言葉よ!」
議論がはじまる。

真理探求者は、ドリーマーなのか、狂人なのか。それとも……。
いま我々が生きている世界の礎へと接続する鮮やかな解釈、戦争がはじまろうとする直前に聴衆ひとりひとりに向かって問いかけるラッセルの言葉、そして神話へ拡がるラストシーン。

マンガという表現が可能にした重厚でありながらスピーディーな展開。
オールカラーで300ページ強。
『ロジ・コミックス: ラッセルとめぐる論理哲学入門』
ぜいたくな読書をぜひ体験してください。

(米光一成)