『反逆の神話 カウンターカルチャーはいかにして消費文化になったか』ジョセフ・ヒース 、アンドルー・ポター 、栗原百代訳/NTT出版

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情報を消費しながら生きているせいで、当たり前すぎてとくに変だと思えなくなっている現象がある。
それは、ビジネスに反逆するポーズのビジネスだ。
アクチュアルな問題について発言してきたカナダの哲学者ジョウゼフ・ヒースと《オタワ・シティズン》誌の編集長アンドルー・ポターの共著『反逆の神話 カウンターカルチャーはいかにして消費文化になったか』(栗原百代訳、NTT出版)は、日本語訳が出たのが昨秋、原著はさらにその10年前、2004年に刊行されている。

カナダ版の表紙には単色ゲバラプリントの紙コップ、日本語版の表紙には同じく単色ゲバラプリントのTシャツが印刷されている。
Tシャツのゲバラの下にはREVOLUTIONとでかでかと印刷されている。革命を謳う商品。

著者たちは言う。
カウンターカルチャー運動が、政治的に体制やシステムをなにか変えることはまったくなかったよ、と。
そしてヘンな精神主義で社会変革を訴えるよりは、経済の立場から問題解決に持っていけるケースは思ったより多いよ、と。
1960年代北米のカウンターカルチャーは、ヨーロッパでおなじみだったサルトル流の「政治参加」やその後のポストモダン思想(いわゆるフレンチセオリー)に煽られたこともあって、じつにいろんな文化を残した。

いまや、それらはすっかりおなじみのものとなっている。
メッセージ性の強いポップミュージック、パソコンと政治的な正しさという2種類のPC、ニューエイジサイエンス、有機農法、シリコンヴァレー、性の自己決定権という話題、反戦運動、「アカデミックレフト」など。
そして既存の政治やビジネスのシステムを脱しようとする運動は、容易に新しいビジネスになっていく。

「本物であること」を保つための苦闘



プロテストソングを歌ったフォークシンガーのコンサートのチケットが、いまやエグゼキュティヴな旧ヒッピー世代ホイホイとなり、その現象に中指を立てたパンクスもビジネスになり、その現象に親指を下げたヒップホップやグランジも、またビジネスになる。

〈成功したラッパーは巷の評判、つまり「本物であること」を保つために苦闘しなくてなはらない。「スタジオ限定のギャング」ではないと示すためのために銃を携帯し、服役し、撃たれることも辞さない〉

成功したラッパーとは太宰治のことか。
ヘンな精神主義の一例としては、初期の(とくに「ラディカル」がつく)フェミニズムが挙げられる。

〈女性は抑圧される集団〔…〕である。〔…〕女性の自由は、すなわち社会規範からの自由と同一視される。〔…〕悲惨な同一視だった。そのせいで〔…〕女性の生活の確かな改善につながりそうな改革の受容を「取り込み」や「裏切り」として斥ける傾向を生み出した〉

これなんかは『法句経』第1章の
〈怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息〔や〕むことがない〉(中村元訳)
をまんま想起させる。
笑ったのがこれ。

〈人々が本当は必要としていない(と批評家が言っている)消費財のリストは、いつ見ても中年の知識人が必要としていない消費財のリストにしか見えない〉

そういえば「何々なんて不要だ」と頭ごなしに言ってくる論客、というのはむかしから多かった。
こういったものは、つねに多少のタイムラグののちに日本にもはいってくるさいに、北米で持っていたラディカリズムが日本社会のなかで角を丸められてしまうのか、日本では、少なくとも僕の世代以下では、
「反逆ポーズも所詮商売でしょ?」
というシニカルな受け取りかたをされることが多い。
この冷笑的な態度のせいで深入りする人は北米より少ないかもしれないけど、それでもオウム真理教みたいなものは対抗文化と無関係ではないよな、と思ったりした。

有機農法産物を買うこととは



著者たちの結論部分の見栄の切りかたも独特だ。──ハイブリッド超低排気車を買うことは、倫理的消費であり、そのこと自体はいい。でもそのときに

〈支払われる価格は、大気汚染の社会的費用のすべてを反映していない〉

つまり、個人個人の善意で環境運動のお金が回ったり集まったりしても、それさえあれば国や市場の規制力の代わりになるなんて考えることができない、ということだ。
さらに、有機農法産物を買うことは倫理的消費にすらならない、とはっきり言っている。オーガニック信奉は1960年代のテクノロジー恐怖、環境運動よりは代替医療(ホメオパシーを含む)運動に近い、と言い切っているのだ。
おそらく北米では有機農産物を買うことの思想的なニュアンスが日本より濃いのだろう。日本では有機農産物はもっとフラットに、ただの「ワンランク上の高級品」と見られることのほうが多いのではないだろうか。

「資本主義システムは悪」みたいなポーズでお金集めるビジネスいい加減やめようよ、というこの本は、読者につぎのように問いかけてくるのだ──さあ、あなた、きょうの夕方、スーパーや化粧品屋で、有機の豆腐やオーガニック保湿クリームを、「気分」以外の理由でもう一度手にとってみる? 今後も1990年代ギャングスタ・ラップで政治を語っちゃったりする?
(千野帽子)