加藤 学(かとう・まなぶ)高校卒業後、数社を経て、IT企業へ。29歳にて同子会社の社長に就任。退職後、33歳でIT関連会社を起業。経営権を譲渡し、2011年モナコへ。現在、実業家であり、富裕層、ビジネスの世界などに冒険を挑む「冒険家」としても活動を展開。

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自らを「冒険家」と名乗るその日本人は、世界中の富豪たちが集まる国、モナコで暮らしていた……富豪にして冒険家である加藤学氏。なぜ「冒険家」であり、「モナコ」なのか。加藤氏自身の哲学にその理由が隠されていた。「イケてない自分にとって、モチベーションがもっとも高まる」――。加藤氏の第一声だ。世界中で自分がもっとも“イケてない”と感じられる場所がモナコであったこと、それが移住したいちばんの理由だという。

高校卒業後、数々の職場を経験し、29歳でIT会社の社長に就任。33歳で自らIT関連会社を起業した。順調に売り上げを伸ばし、順風満帆に歩んできた道に“イケてない”要素はまったくなかった。

「自分の人生が非常にイージーに感じ、簡単に成功できない場所を探した」

■目的と目標、手段をすべて一致させる

モナコは人口3万5000人。その3万5000番目が加藤氏の立ち位置だった。「モナコで最下位」。この感覚にモチベーションが喚起され、這い上がるために全身のエネルギーが湧き立った。モナコへの移住を決意したのはモナコで20年暮らすある人物とのビジネス上での出会いがきっかけだった。

「会社を大きくして、いい暮らしができて、というのが僕にとっての“成功”だった。でも、そんな僕に『仕事は超一流にできて当然。それより人生を愉しむために何ができるのか』と問いかけられたのです」

「仕事ができる」が、最上級の褒め言葉だと信じていた典型的な日本人男性の加藤氏には、当初、「人生を愉しむ」という言葉の意味が理解できずにいた。

「社長の次にやるべきことが、何もわかっていなかった」

それから世界中の超一流たちと対等な立場で接するための共通言語でもある「プロトコール(国際教養)」を学び、“愉しむ”思考を手に入れた。

人生を変えた師との出会いから3年、会社を譲渡し、モナコ移住を果たして人生を愉しむことをスタートさせた。

後にビジネスパートナーとなる知人のさまざまな職を手伝いながら、現在のメーン収益事業である古城売買やビンテージカー投資に辿り着いた。今では複数の会社と個人事業を手がけるが、それらはすべて直接的に夢を叶えるものだという。

「仕事と夢を分けないのがポリシー。仕事で稼いだお金で夢を手に入れるという方法だと人生で成し遂げられる夢の数が絶対的に少なくなる。手に入れたいものがあるなら、それに関連するビジネスで、すぐにでも手に入れる」

加藤氏自身、夢でもあった豪邸に住み、それにふさわしいビンテージカーを所有。優雅な生活の横には稀少なワインも欠かせない。自身の好きなものがすべてビジネスにつながる暮らしが日常にある。多くの人々が目的をもち、そのための目標を立て、それを達成するために手段を考えるが、目的と目標と手段をすべて一致させることが加藤流の仕事(人生)哲学だ。

■まだまだ貧乏。「モナコでトップ」目指す

加藤氏のビジネスの目的は、「人生を愉しむこと」。目標は「人生を愉しむ」であり、そのための手段は「毎日を愉しむこと」である。こういった思考は、加藤氏自身が「異次元の成功者たち」と呼ぶ、モナコ富豪たちの生き方に学んだのだという。

「彼らは自分が楽しくないことは仕事にしない。ビジネス相手も自分たちが認めた相手なら惜しげもなく愛情を注ぐ。そうやって横のつながりでビジネスを大きくする。まさに仲間づくりの一環が仕事。頭を下げ、お願いしながらのビジネスなんてありえない」

日本でいくつもの男のプライドを掲げ成功を手にしてきた加藤氏。が、モナコ暮らしで富豪と接するうちに「プライドは一つ」でいいと気づかされた。

モナコでトップを取るという想いこそが、僕のたった一つのプライド」

そのための戦略として、ビジネスパートナーはすべて“自分よりも格上の人物”に徹底した。共同ビジネスの収益配分は8対2。どんなに巨額でも、加藤氏の取り分は2割と決めている。

「自分一人の仕事で100%の利益を手に入れたとしても、異次元のパートナーと組んで手にする2割には到底及ばない。格の高い仕事は格上の人間とするからこそ。パートナーに多くの利益を渡してモナコ富豪のトップにのし上げる。そうすれば、僕はそのトップの抜き方ならわかると思っているから」

モナコ最下位から2年。数百億円規模のビジネスを手がけても「まだまだ貧乏」の、最下位集団だという。加藤氏がもっと上の大富豪をめざす理由は、多くの人に「一人では決して見られない景色を一緒に見てほしい」から。加藤氏の目を通して富豪の世界、そして世の中を見てほしいと、さらなる金持ちをめざす過程こそが加藤氏自身の「冒険」であり、自らを冒険家と呼ぶゆえんなのだ。加藤氏が見聞きし、経験する未知なる富裕層の世界への道程は、逐一「冒険家加藤学応援隊」のメンバーに対して公開し、感動と驚きの冒険を共有している。

(戌亥真美=文)