EUで最も出生率が高い国、フランス。その要因はなにか。フランス在住ジャーナリストのプラド夏樹さんは「フランスでは子供に8歳から性教育を行います。また50〜60代の9割以上がセックスを楽しんでいます。日本とは社会における『性』の位置づけが大きく違うのです。この違いについて日本人は考えたほうがいい」という。現場からのリポートをお届けしよう――。

※本稿は、プラド夏樹『フランス人の性』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

■息子が事前に「初体験」をメールで知らせてきた

私がここ30年近く暮らしているフランスは、「性」にまつわる議論が盛んな国である。欧米各国の間では、「金の話は下品とされるが、セックスの話は堂々とする国(※1)」といわれるほどだ。

プラド夏樹『フランス人の性』(光文社新書)

そんな国フランスで、私は、ここ数年間、フランス人はどのように「性」について考えているのかを日常生活の中で観察してきた。それだけではなく、外国人であることを大いに利用して、母国語だったら口にしづらい言葉を使って、セックスやそれにまつわることに関していろんな人々と話し合ってきた。

そのきっかけとなったのは、いわゆる日仏ハーフの息子の思春期と、それをめぐる家庭内でのゴタゴタだった。

どこの家庭にもあるであろう、平凡な出来事――息子の初体験である。それは、15、16歳のときだったらしい。なんで母親の私がこんなことを知っているかというと、息子が事前にメールで知らせてきたからである。

■「心配しないで、コンドームするから」

とある週日の夜のことだった。夕食後、「これからディアンヌちゃんのうちに泊まりに行ってくる」と言い出した。中学生になってからというもの、週末、男友達の家に泊まりに行くということは頻繁になったが、それはあくまでも土曜日の夜、翌日は学校がないという条件下でのことだった。それに、女の子の家に泊まりに行くなんて、なんかおかしい。

しかし、外国人ママンである私が、日本の常識だけで物事をはかることはできない。いつも心のどこかに、「フランスではこういうこともあるのかも?」という思いがあり、とくに子どもの教育に関しては自信をもって断言できないことが多かった。そこで言った。

「ディアンヌちゃんのお母さんはそれでオーケーだと言ってるの? ちょっと、私が電話で聞いたほうがいいと思うわ。明日は学校もあるから早起きしなきゃいけないし。お母さんの携帯番号教えてもらってくれる?」

息子は携帯を取りに自分の部屋に行った。しばらくして、家の中がやけに静まっているのに気づいた。息子の部屋に行った。いない。

玄関に行ってみるとドアが開けっ放しだ。「逃げられた!」と思って通りまで走って出たが遅かった。もう家の前の通りにはいなかった。私が住んでいるのは坂が多いモンマルトルだ。私の足でメトロの駅まで走ったところで、最近、背丈が父親と同じくらいになった彼に追いつかないだろう。

「ずるい!」という怒りでカリカリして家に帰ると、携帯にショートメールが届いていた。

「ごめんね、ママン。でも、ディアンヌちゃんの家にお父さんとお母さんがいないのは今晩だけだから、どうしても行きたい。心配しないで、コンドームするから。明日はちゃんと学校行くね」

最後にニッコリ笑う絵文字がついていた。翌日、息子はいつもと同じ時間に、いつもと同じ表情で帰ってきた。

■いったい何を話せばいいんだろう?

「ただいま」と言うなり冷蔵庫を開けて、ヨーグルトや牛乳、ジュースをテーブルの上に並べ、漫画を読みながら黙々と食べている。話しかけなきゃ、なんか会話しなきゃと思うが、なんと言っていいかわからない。

いくらなんでも「どうだった?」と聞くわけにはいかないだろう。「なんで勝手に行ったの? 話し合いを避けるのはずるい!」と責めるのも、「ごめんなさい」とショートメールで伝えてきている以上、可哀想。では、いったい何を話せばいいんだろう?

私はしかたなく、「今朝、学校行ったの?」と聞いた。なんか間の抜けた、情けない母親だなと自分で思いながら。

■「マリーが生理が3日も遅れてるっていうんだけど」

次の事件は息子が16歳のときだった。

2年ほど前から悪さを繰り返すようになっていた。学校のみならず警察からもさんざん呼び出しを食らい、親を辟易させていたが、同じクラスのマリーちゃんと周囲が公認する恋人になってからはめっきり落ち着き、ちょっと一息つけるようになってきた。そんなころだった。

私が台所で夕食の用意をしているところへ、「ママン、ママン、大変!」と言いながらアパルトマンの階段を二段抜かしで上がって来た彼は、息を切らしたまま言った。

「マリーが生理が3日も遅れてるっていうんだけど、こういうのって普通なの?」

16歳で? でもここはフランスだからこういうこともあるんだろうか? なんだってこういう話はいつも私にふりかかってきて、どうしてパパに聞かないんだろう? それとも私の思い過ごしで、セックスしたかどうかとは関係なく、ただ生理が「遅れた」っていうことなんだろうか? こういうことって、親にこうも直球で聞いてくるものなの?

私はこんなこと、親とはとても話せる関係じゃなかった。どうしよう、なんて答えよう……。

■真っ正面から息子と向き合って話し合うことを避けた

ここで早く答えないとナメられる。

私は、持っていた包丁が震えているのを気取られないように大きく息を吸って、答えた。

「3日? そんなのよくあるよ。それより、マリーちゃんのお母さん、助産師さんだったよね。私より詳しいはずだから、そっちに話したほうがいいんじゃない?」

責任回避。またしても、私は、真っ正面から息子と向き合って話し合うことを避けたのだ。

「それ、いつの話? あんたたちセックスするときに避妊するの忘れちゃったの? そうならどうにかしなくちゃいけない。お医者さんに行って、中絶ピルもらうとか。マリーちゃんのお母さんとは話し合えると思う?」と、冷静に話すこともできたはずだった。

このときの親としての挫折感が、本書を書く出発点となった。

■「コウノトリが赤ちゃんを連れてきた」は通用しない

息子に何も性教育らしきことはしなかったのに、彼のほうはしっかり避妊を学んでおり、おまけに、親を相手に性的なことを話すことにまったく羞恥心を抱いていないらしい。そのことに気づいた私は、フランスの学校では、どのように性について教育しているかに興味をもち始めた。

そんなある日、フランス5(サンク)局のニュースで、ドルドーニュ地方の公立小学校の授業例が報道された。8歳の子どもたちのクラスである。

「ペニスから出てくる液体ってなーに?」という講師の問いに、「おしっこ!」と答える男の子がいるかと思えば、「精液!」と、恥ずかしがらずに堂々と答えている優等生っぽい女の子もいる。

生徒たちは極めて真面目な表情、ニヤニヤする子どもは一人もいない。男女の身体構造の違い、生殖の過程などをイラストを見ながら学び、そして子宮、精液、睾丸、射精といった単語を習う。「おちんちん」と言うのではなく「ペニス」と言い、「おっぱい」ではなく「乳房」。「赤ちゃんはキャベツから生まれる」や「コウノトリが赤ちゃんを連れてきた」などという子どもだましは皆無である。

■「恋人もオーケーと言うならセックスしてもいい」

プランニング・ファミリアル(注)と呼ばれる非営利団体から派遣された講師は言う。

注:中絶を合法化する運動の元締めとして1956年に創立された非営利団体。当時はピルの密輸入や秘密裏の中絶手術など、非合法的活動も辞さなかった。現在は、避妊、中絶、レイプ、DV、セクハラ、強制結婚、アフリカ移民の慣習である性器切除、性病予防などについてのアドバイスを受けることができる。無料匿名での産婦人科医の診療、学校での性教育に講師を派遣する役目も負っている。

「たしかに私たち、大人にとっても言いにくい言葉があります。でも、どうして恥ずかしいのでしょう? 性は悪いこと、どこかでそんな偏見があって、それが羞恥心につながるのではないかしら? だからまず、根拠のない羞恥心を除く、そして、幼児語ではなくて、科学的に正しい単語で性について隠しごとをせずに話す。それが、男性も女性も同じ土俵に立って対等に性について話し合うことができるようになるための最初の一歩なんです」

さらに新鮮に感じたのは、「好きな人がいたらセックスしなくちゃいけないと思う?」と、講師が子どもたちに質問していることだ。

「義務っていうわけじゃないと思うけど……」
「大人になって、恋人もオーケーと言うならセックスしてもいい!」という可愛い返事が聞こえてくる。

私は1970年代後半に日本で、それもリベラルな校風の中学校で保健体育の一環として性教育を受けた世代だ。それでも精子と卵子が一緒になって子どもができるのはわかったが、肝心の「セックス」に関する説明がなかったため、なにかしら騙されたような感じがしたのを鮮明に憶えている。だからといって、家でセックスについて質問するなどとてもできる雰囲気ではなかった。

私にとって、このフランス流の性教育はショッキングだった。

■「愛情生活と性に関する授業」の内容

2001年から教育法に導入され2003年から実施されているこの性教育だが、教育省学習指導要領によると正式な呼称は「愛情生活と性に関する授業」。そのターゲットはまず「愛情生活」なのだ。

特徴は子どもたちにどんどん話をさせる「生徒参加型」であることだ。羞恥心や罪悪感の除去、タブーなし、隠しごとなしの早期教育である。

幼年学校から小学校2年生(2歳〜8歳)……家庭での男女の役割や「らしさ」に疑問をもたせる
小学校3年生から中学校2年生(8歳〜13歳)……思春期の身体発達、生殖のしくみ
中学校3年(13歳から14歳)……避妊、中絶、性病予防
中学校4年生から高校1年生(14歳〜16歳)……性的他者、性差別、ポルノグラフィー
高校2年(16歳から17歳)……生殖医学、性的自認

本来ならば私生活の領域である「性」や「愛情生活」に、ここまで学校が踏みこむことが妥当なことだろうか? 各家庭なりの意向もあるだろう。それはどうなるのか?

日本の小学校で教員を務める私の友人は、「性に関しては、さまざまな考え方の親がいるから、バッシングが怖くて立ち入れない」と語る。

しかし、フランスには、日本以上に「さまざまな考え方の親」がいる。

約30パーセントの国民が、移民の祖父母か両親をもっている移民大国だ。

各家庭の性に対する感覚はおのずと民族性や文化、宗教性を反映し、千差万別となる。子どもが「今日、彼女が泊まりにくるんだけど、コンドームある?」と親に衒(てら)いもなく聞く家庭もあれば、宗教的理由で結婚前の男女のデートを禁止する家庭もあるのだ。

■「うちでは性について早期教育はしない」はNG

1994年から2004年にかけて、教育省で性教育プログラムの立ち上げに尽力した教員、シャンタル・ピコ氏は、

「家庭だけでは不十分なんです。親の意思で、会ったこともない祖国の男性と強制的に結婚させられたり、衛生的にも問題がある方法で性器切除をされるアフリカ系の女の子もいるのですから。学校で、この国では性をどのように考えるか、なにが禁止されているか、という枠組みを教え、自分の身を自分で守れるように導かなければ、子どもたちには他に情報を得る場がないのです」

と語る(※2)。

教育省がこのような強気の立場に立つのは、移民を受け入れる以前から、雑多な民族の集まりであったという歴史があるからだ。現在も、地方語だけで、アルザス語、ブルトン語、コルシカ語、プロヴァンス語などがあり、20世紀初頭まで、国民の半分はフランス語を話せなかった。このことからわかるように、フランスは多民族の寄せ集め国家なのだ。

だからこそ、1881年、教育者ジュール・フェリーは、「出自いかんにかかわらずフランス共和国の子どもたち全員に、同じ教育を与えよう」と言い、良くも悪くも、国民を、言語や地方性、民族性、宗教性といったそれぞれの特殊性から引き離し、均等な国民を育てることを主旨とした義務教育の無償化を唱え、無宗教の公立学校システムがスタートした。

各家庭の教育方針の差があまりにも大きいからこそ、学校は、共和国で一緒に暮らすために皆に共通するルールを学ぶ場なのである。性教育もその例にもれず、家庭の方針いかんにかかわらず、社会ルールの一環として教育される。保護者が学校に出向いて、「うちでは性について早期教育はしない主義です!」などとねじ込むことはできないのである。

※1:https://www.theatlantic.com/international/archive/2017/10/the-weinstein-scandal-seen-from-france/543315/
※2:Causette #58, Gynnthic, juillet-Aout, 2015

----------

プラド夏樹(ぷらど・なつき)
ジャーナリスト
慶應大学文学部哲学科美学美術史専攻卒。1988年に渡仏後、ベルサイユ市音楽院にて教会音楽を学ぶ。現在、パリ市のサン・シャルル教会の主任オルガニストを勤めると同時に、フリージャーナリストとして活動。WEBRONZA、ハフポスト、共同通信デジタルEYE、日経ビジネスONLINEなどに寄稿。労働、教育、宗教、性、女性などに関する現地情報を歴史的、文化的背景を踏まえた視点から執筆している。

----------

(ジャーナリスト プラド 夏樹)