子どもの頃、周りの誰よりも野球がうまかった。

 町で一番、小学校でも一番。中学校でも誰よりも目立って、高校時代は甲子園にも近づいた。それでも、高校生でNPBのドラフトにかかるのは至難の業だ。とはいえ、もうちょっと頑張れば、もしかしたらプロ野球選手になれるかもしれない……そう思ったら、高校まででは野球をやめられなくなる。

 ならば、大学か社会人で野球を続けようと決断する。ただし、次のステップへの門戸が開かれる選手は限られる。門が開くなら、もちろん進む。開かなければ、野球をあきらめるしかなくなる。


昨年、BCリーグの石川ミリオンスターズに入団した神谷塁

 プロを目指すアマチュアの選手たちは、NPBの12球団からドラフトで指名されることを待ち望んでいる。希望球団から上位で指名されれば、万々歳。支配下選手としてなら下位指名でもよしとする。もちろん、育成枠でも構わないという選手もいる。

 しかし、ここでは、プロ野球選手がプロ野球選手を目指している。

 石川県金沢市――江戸時代、加賀藩の前田家が治めた”加賀百万石”の城下町である。ここを本拠地とする石川ミリオンスターズのチーム名は、この百万(ミリオン)にちなんでいる。

 ミリオンスターズは、2007年に設立された日本で2番目の独立リーグ、ルートインBCリーグに所属する、れっきとしたプロ野球の球団だ。BCリーグの初代優勝チームであり、リーグで初めてNPBに育成選手を送り出した球団でもある。去年は、NPBの支配下登録に独立リーグとして初めて、3人の選手を送り出した。こうなってくると、NPBのドラフトにかからなかった高校生にとって、目標を達成するための道筋は、大学、社会人の他に、独立リーグという選択肢も現実味を帯びてくる。

 ミリオンスターズに、神谷塁という選手がいる。

 彼もまた、俊足と強肩を武器に、NPBの球団からドラフトで指名されることを目指している。今シーズンの開幕戦ではセンターを守ったが、セカンド、サード、ショートも守れる、万能型のプレーヤーである。神谷が言う。

「NPBに行くためには、バッティングが課題だと思ってます。打てないと塁にも出られないし、出塁できなければ持ち味のスピードも生かせません。ピッチャーに負けないようなスイングスピードを身につけるために、今はボールを身体の中まで呼び込んで、ちっこいながらも身体を全部使った、ダーンと打つようなイメージのバッティングを意識しています」

 神谷がNPBに入りたいと今も強く願い、独立リーグで野球を続けているのは、高校時代のチームメイトがジャイアンツに入団したからだ。

 今から遡(さかのぼ)ること5年、あれは2013年のことだった。

 沖縄県で意外な高校が春の大会を制したことがある。沖縄県立北山高等学校――「きたやま」ではない。「ほくざん」と読む。美ら海(ちゅらうみ)水族館にほど近い沖縄本島の北部、国頭郡(くにがみぐん)今帰仁(なきじん)村にあるこの高校は、沖縄県初の大臣となった上原康助氏の出身校として知られていたが、野球においては当時、全国的には無名と言っていい存在だった。それが春の県大会を制し、夏の大会の第1シードとなったのである。

 理由はあった。

 さらにその3年前、2010年の全日本少年春季軟式野球大会で準決勝まで勝ち進み、3位になった沖縄県代表の今帰仁中学校。そのときのメンバーが、「みんなで一緒に甲子園を目指そう」と、地元の北山へ進学することを決めたのだ。

 エースは平良拳太郎(たいら・けんたろう)。スリークォーターから145キロを超えるストレートとキレのあるスライダーを投げ込み、のちに読売ジャイアンツからドラフト5位で指名される右ピッチャーだ(現在は横浜DeNAベイスターズに所属)。

 その平良とバッテリーを組むキャプテンの仲里正作ら、中学時代に全国大会で3位となったメンバー7人が、北山に揃った。その中でサードを守っていたのが神谷だった。

「中学3年のとき、僕の父(のちの北山高校、神谷義隆監督)がコーチに入って、今帰仁中の野球がガラッと変わったんです。そこから負けなくなって、どんどん勝ち進んで、気づけば全国で3位……父がそのまま北山の監督になって、僕らが高校3年の春、沖縄県でも春の大会で勝った。いま思えば、春に勝ったことでチャレンジャーという気持ちがなくなって、夏も勝てるんじゃないかと簡単に考えていた気がします。そんなに簡単にいくはず、なかったんですけどね」

 第1シードとして迎えた沖縄の夏、大会ナンバーワン右腕の呼び声高い平良を擁する北山は、初戦となった2回戦で美里と対戦した。1-1のまま延長に突入した投手戦は14回裏、突如、終わりを告げた。

 美里の3番、吉浜清亮が放った打球は高々と舞い上がり、レフトのフェンスを越えたのである。第1シードの北山、まさかの初戦敗退……サヨナラ弾を見上げた神谷は、当時をこう振り返った。

「僕はサードを守っていたんですけど、打った瞬間、レフトにポーンと上がったボールが跳ね返ってきたんです。だからツーベースなのかなと思っていたら審判が手を回していたので、ああ、負けたんだな、と思って……それからゆっくり歩いて、整列して、挨拶したときに、これで高校野球は終わったんだ、と思って……」


中学、高校のチームメイトである平良拳太郎に負けじとNPB入りを目指す神谷塁

 中学時代、沖縄県代表として全国で3位になった。その年、甲子園では興南が春夏連覇を果たしていた。沖縄で勝てば全国でも十分に戦えるということを、神谷は身をもって体感していた。

 高校では3年の夏を第1シードで戦った。甲子園は近づいたはずだった。しかもチームメイトだった平良がプロから高い評価を受け、ドラフト5位でジャイアンツから指名された。神谷がプロへの距離をさほど遠く感じなかったとしても無理はない。高校を卒業して地元の社会人チームに入ったものの、沖縄ではNPBのスカウトの目に留まるチャンスが少ないと、独立リーグ入りを希望。社会人時代の先輩のつてを頼って、去年、沖縄から石川へやってきた。

「野球を始めた頃からいつかNPBでやりたいという気持ちはあったんですけど、そのためには沖縄で野球をしていたら目立たないと思ったんです。高校から同級生の平良がプロに行ったことも、いつか自分もああいうふうに周りから認められるヒーローになりたいなって、刺激になってました。

 だいたい、アイツ(平良)、スカしてるんですよ。女の子にもあんまり興味なくて、ホントに野球だけって感じだったんで、高校時代からイケ好かんヤツだなぁと思ってました(笑)。今は、『お前、見とけよ』と思いながらアイツの存在をエネルギーにして、やってます」

 今帰仁中から北山高へ進んだ仲間7人のうち、今も野球を続けているのは平良と神谷、キャプテンだった仲里の3人。野球をやめた4人のうち、3人が消防士として地元で働き、残りの1人は実家の農家を手伝っている。

「仲里はもう上(プロ)は目指さずに、今年限りで現役を退くと言って最後のシーズンを頑張ってます。他のみんなが公務員になって、安定した職業にどんどん就いていくのを見てると、正直、焦りはありますよ。でも、そういう人生は波でいったら安定した、穏やかな海じゃないですか。プロに行けば荒海の中、ドーンと上がることもある。僕は、そういうスリルというか、一発逆転の醍醐味が人生に欲しいんです。

 独立リーグに来て、NPBの二軍と試合をする機会は多いんですけど、そこまでレベルが高いなとも思いませんし、そんなに差は感じません。ミリオンスターズの雰囲気も、希望に満ち溢れているというか、『オレは上に行くんだ』ってみんなが刺激し合ってますし、『オレは無理だ』という選手もいない。独立リーグだからといって下手くそな選手はいないんです」

 今シーズンから、ミリオンスターズの監督はファイターズでの11年間で82勝を挙げた左腕、武田勝が務めている。武田は神谷について、こう話していた。

「野球に対するセンスはあると思います。足は速いし、肩も強い。ただ、遊び心がないんです。独立リーグにいる選手は技術と運、あとひとつ、遊び心が足りない。真面目にやってきた野球で結果が出なかった。だったら逆の発想をしてみなさい、と。真面目にコーナーを突いてもフォアボールじゃ意味がないんだから、ど真ん中に投げる遊び心があってもいい。

 そうやって野球の楽しさをもう一度考え直すことも大切だということは選手たちに伝えています。神谷君も去年は結果を出せない自分にモヤモヤして、苦しんでいた。言われたことを鵜呑みにするんじゃなくて、自分を表現するために言われたことをうまく変換して、それをプレーに生かしてほしいんです」

 武田監督は「技術のミスは責めないけど、考え方のミスは指摘する」という。神谷は技術のミスを恐れるがあまり、思い切ったプレーができないことがあるのだという。

「ミスしたら凹むんですよ。どうしようって……シーズンは長いんだから切り替えなきゃと思うんですけど、なかなか思い切れない。だから、武田監督からはたとえば盗塁するとき、ピッチャーが投げてからスタートするんじゃなくて、動いた瞬間に行くくらいの遊び心を持てと言われます。投げた、行くじゃ、真面目すぎるって。もっと勝負しろって」

 月10万円ほどの給料で、自炊の毎日。毎晩、実家から送られてくる冷凍の豚タンを焼いて、レモンを絞り、それをおかずに炊き立てのごはんを食べる。コンビニで買った100円のサラダと、味噌汁も欠かさない。朝は、残ったご飯をおにぎりにして食べてから家を出る。昼は、チームに届けられる弁当を一個200円で購入する毎日――そんな神谷に、あえてこんな質問をしてみた。今の職業は何ですか、と……すると、神谷はこう即答した。

「プロ野球選手です」

 そして、こう続けた。

「NPBのステージは、まったく別の世界です。同じように野球でお金を稼ぐ職業なんですけど、知名度も違えば、お客さんの数も、給料も違う。もちろん、レベルも違います。でも、僕もプロ野球選手です。野球でお金をもらっていますし、お金をもらっているからには、その道のプロだと思っています」

 プロ野球選手が、プロ野球選手を目指す。それが独立リーグの世界だ。そして、神谷塁は野球をあきらめるためにここへ来たのではない。次のステージに上がるために、ここで野球をやっている。父から”塁”という名前を託された、誰よりも野球がうまいはずの自分を信じて――。

◆なんとPL学園野球部にまだ逸材がいた。凄腕のキャッチャーは何者か>>

◆山本昌は巨人ドラフト1位・鍬原拓也をどのように評価していたか?>>