市長は年収251万「人口減」の行き着く先
■だれもが「人口減少社会」から目を背けている
高級メロンの産地として知られる夕張はもともと炭鉱の街だった。石炭から石油へのエネルギーシフトで1990年までにすべての炭鉱が閉山。栄えていた当時は11万人以上も住んでいたが、今では約8500人にまで人口が落ち込んだ。
夕張市はその後、観光業への注力を始め、リゾート開発に取り組んだ。しかし、リゾートブームは去り財政が悪化。06年には約353億円の巨額赤字を抱えての財政破綻を表明し、翌年に財政再建団体の指定を受けた。
■小学校の数を6から1に統廃合
以降、夕張市はありとあらゆる行政改革を実施してきた。市の面積は東京23区よりも広いが、小学校の数を6から1に統廃合した。図書館や市民会館も閉鎖されることになった。
市が交付していた補助金にもメスを大胆に入れた。「選挙もあることから市長は市の団体への補助金には手が出せないことも多いが、全廃した」。交通安全の旗振りの旗も市民に購入してもらった。財政再建の抜本見直しで改善したが、市民税は法律上の上限まで破綻当時は引き上げた。
市役所職員も追い詰めた。約400人いた職員を約160人まで減らし、残った人も年収を最大で40%カットした。「職員に犠牲になってもらうしかなかった。10年で身も心もだいぶ磨り減らしてしまった」。
一方で市長も自身の報酬を7割カット。昨年度の年収は251万円だった。市長として日本一薄給だという。交際費、退職金に至っては0だ。「ある市長からは『頼むから君の給料を元に戻してくれ。こっちの市民から、あんたも夕張市長を見習って給料を下げろ、とお叱りを受けるんだよ』なんて言われた」と苦笑いする。
■自力で稼いでPRする発想がなかった
窮地に立たされ、行政サービスを一度まっさらにした夕張だが、そこから見えてきたこともあるという。「市からのお金があってやってきたものもある。本当に必要なものはそれがなくなってもみんなで必死に守ろうとする」。夕張市では破綻前に始まった年一度の映画祭が今も開催されているのだ。
「88〜89年、竹下登内閣のとき、ふるさと創生1億円として自治体に1億円を配った。そのお金で夕張市は映画祭を開き、ハリウッドスターを呼んだ。しかし破綻して補助金が0になったので打ち切りになると思われたが、映画関係者の人たちが『なくしちゃならん』と立ち上がり、今では市民自ら6000万とか7000万円を毎年集めている」
補助金がなくなったことで民間が入り、むしろ強くなった例も。その一つが観光業だ。以前は行政主導で不採算の中やっていたが「東京へ職員が行って観光PRをしても全然マスコミに取り上げてもらえなかった。自力で稼いでPRする発想がなかった。それだったら宣伝で飯食っている人と連携したほうが当然いい結果が生まれる」。
■破綻後、ガンが減って、老衰が増加
財政破綻時、市民の多くが心配したのは市の医療が崩壊するかどうかだった。病床数は171から19まで減らされ、市からは総合病院が消えた。医師の数も半分以下に減らされ、病院の建物を使い小さな診療所と介護施設ができた。混乱も予想されたが、ふたを開けてみると意外なことが起きた。
09〜13年にかけ、夕張市立診療所に勤務した森田洋之医師は自著『破綻からの奇蹟 いま夕張市民から学ぶこと』で、日本人の死因の2位心疾患と3位肺炎の死亡率について、夕張では破綻前よりも後のほうが低くなったと指摘している。男性に限っては死因1位のガンも低下しているという。その分、老衰の死亡率が高まっているのだ。
森田医師によると、市の後期高齢者数は増えていることから、年配の方が市外に移り住んでいるというわけではない。市の高齢者一人あたりの医療費も下がっているほか、救急車出動回数も破綻前を下回っている。
■夕張の医療は日本のモデルケースに
その背景には夕張で発達した「予防医療」がある。総合病院がなくなったことで、市民と地域の町医者との距離が近くなり患者の異変が早期に発見されやすくなったことや、そもそも病院を頼りにできないという意識から大病にはならないよう健康に気をつける人が増えたことなどが発達した理由として考えられるという。
現在、夕張市立診療所を管理している医療法人社団豊生会の星野豊理事長も「患者の病気や死との向き合い方が変わってきている」との考え方を示す。体調を崩しても大病院に入院するのではなく、在宅での治療を希望する人の割合が増えてきているのだという。
星野理事長は「結局、予防に勝る治療はないのだと思っている」と話す。日本全体の国民医療費は15年度で42兆3644億円だったが、25年度には54兆円まで膨れ上がるとされる。「夕張の医療のやり方は(人口減少していく未来の日本の)モデルケースにならざるをえない」と強調する。
■「集約」で6%が中心部に移住
夕張市は都市機能を集約する「コンパクトシティ」構想を進めている。これには、市民の生活拠点をまとめることで冬の除雪費が抑えられるうえ、老朽化した住宅から新しい住宅に移転することで市民が負担する暖房費などの生活費が安くなるメリットがある。
市は古い市営住宅の住人に対し中心部に設定した清水沢地区などに建設した新しい団地への引っ越しを促しており、条件によっては引っ越し費用を市が負担している。
鈴木市長は「構想が始まって6年で300世帯以上移転した。全体の約6%も移ったということで全国から評価いただいた。ただ私は夕張を持ち上げすぎだと思う。全国で人口減が進む中、夕張みたいな小さな町の6%が注目されるって、日本は相当深刻だ」と話す。
■「人口を増やします」といえる時代ではない
一方、引っ越しを推奨され、不満を持つ市民も多い。市営住宅に約40年前から住む女性(80)は「部屋が雨漏りしても市は直してくれない。引っ越せってことだと思うが、慣れた所から出たくない」と嘆く。
かつて炭鉱で働いていた浅野昭雄さん(74)も古い市営住宅に住む。「炭鉱夫は仕事後に銭湯で互いに背中を流し合うなど仲間意識が強い。ここを去るのは寂しい」と漏らす。
鈴木市長は「コンパクトシティへの過渡期はつらい。でも悪ではない。住宅は新しくなるし、生活の質の向上につながる」と説明する。さらにこう付け加える。
「10年もたてば、ほかでも(コンパクトシティ化を)どんどんやる時代になってくる。夕張が10年の間で財政を健全化し持続可能な都市構造にもなれたら、われわれはほかの過疎地域よりも一歩前に出られる」
「人口を増やし、企業を誘致するのが市長の仕事だろうと言う人がいるが、そういう時代ではない。たしかに『市長になったら人口を増やします』と言えば当選はしやすいだろう。でも人口は減る。そのときに備え、どう行政サービスを安定的に提供し、どう生活の質と利便性を確保して、どう幸福度を高めていくのか。これを放棄することは市長として無責任だ」
鈴木市長は国は高齢者に対して手厚い政策を組んでいると指摘する。「夕張では申し訳ないが、高齢者には我慢していただいて若い世代に集中的に投資したい」。夕張市は65歳以上が50%を超えているが、それでも町の存続を願う年配者から「先(未来)にもっと投資してほしい」と応援されるという。鈴木市長は「どん底を味わった夕張は必ず再生する」と力を込める。
(プレジデント編集部 鈴木 聖也 撮影=鈴木聖也)