こんばんは!ずんずんです。

それはまだ私がうら若き乙女だった頃、丸の内OLとして外資系金融に勤め、ブイブイ言わせていたころのお話です。

あれ……今、ブイブイって言わないの……?これがジェネレーションギャップ……?怖いですね……。

ともかく、そのころ、大変ビッチな同僚がおりまして、あんまり女性のことをビッチとかあばずれとか言いたくはないのですが、ともかく、その同僚はビッチでありました。

何がビッチかと申しますと、男性との経験が200人ぐらいあったんですね。どんな経験かと申しますと、毎夜毎夜違う男性と同じベットにはいって、サックスを吹くという経験がまあ200人ぐらいあったわけです。適当にごまかしたつもりでしたが、つまりは肉体関係を持った男性の数が200人を越えていたわけです。

わあ、すっごーい☆

元気だな〜☆

で済めばいい話なんですけど、ここで怖いのは、彼女……毎回毎回……。

その男と結婚するつもりで寝てたんですよね……。

フォーリンラブからのメイクラブ

これはどういうことか申しますと、どこぞで出会った自分に好意を示してくれる男性に対して、「この人、私と結婚してくれるかも……!」と、フォーリンラブ。からの即メイクラブをしていたわけです。

恋に落ちてからのメイクラブまでの期間は、当日から最長で1週間、早いし、短いよ。でも、なぜか不思議なことに、肉体関係から始まる恋ってなかなか長く続かないんですよね。1夜限りの関係も多々ありまして、それから音信不通なんてことも日常茶飯事。

そのたびに泣き叫ぶ彼女を見かねた友人たちは、「(このビッチ)……いや、本当に結婚してくれる彼氏が欲しいなら時間をかけて自分にあった彼を探さなきゃだめよ」と言っていたのですが、彼女は「そんなことをしている時間はない」とバッサリと切り捨てていました。

自分で作った賞味期限に震える友

当時の彼女はまだ20代後半で、そんなに時間がないと焦る必要はないと思うのですが、「女は30過ぎたら相手にされない。相手にされる人はいるかもしれないけど、私はそんなに美人でもないし、仕事ができるわけじゃない。今の若さという資産で、男を捕まえないと結婚できない」と言うわけです。

それを聞いてた私は、(確かにあなたは取り立てて美人なわけでもないけど、別に性格も良いわけでもねぇな?)と考えていました。私は基本的には善良な人間です。口には出していません。思っただけです。

こんなことを思ったのも、私は彼女の恋愛話にうんざりしていたからなんですね。

結婚して子供を産み、あたたかな家庭を作りたい気持ちはわかります。しかし男を追いかけまわして、毎回ボロボロになっている彼女の姿に、私は疑問を感じていました。

なので、ある日いつものように男に捨てられた彼女に、私は思わず「なんでそこまでして結婚したいの?」と聞いてしまったのです。

すると彼女は、「だって友達はずっとそばにいてくれるわけじゃないから。年を取って病気になったら友達はずっとそばにいてくれるわけじゃない。孤独死しないためにも家族は必要」と答えたのです。

孤独な老後を回避するための結婚

それを聞いた私は目を見開きました。

刮目(かつもく)というやつです。

目を見開きすぎてビームが出るかと思いました。

このクソビッチは、いや友人は、自分の老後の孤独死という不安から逃れるために結婚したかったのです。

老後って何年先の話やねん。

孤独死への恐怖は誰にでもあります。でもこれは、結婚している人だって持っている恐怖です。そもそも、結婚して子供ができたとしても、その子供が自分の老後の面倒をみてくれるなんて保障はありません。さらには、たとえ結婚したとしても、その二人が老後まで一緒に暮らしていく保障もありません。

人生には「絶対的に守ってれる確実な保障」というものは存在しないんです。自分の人生を絶対的に守ってくれる保障ってほしいですよね。自分の人生、これでいいんだって安心できるじゃないですか。彼女の場合はそれを与えてくれると信じていたものが、「結婚」と「家庭」と「子供」だったわけです。

(ヾノ・∀・`)ナイナイ

そんな存在しないもののために、彼女は行きずりの男に可能性をかけて、メイクラブを重ねる日々……。それを考え、私は片膝をつきたくなりました。

「美人で仕事ができて若い女」でなければ愛されない?

彼女は存在しないもののために焦って、存在しないもののために見当違いなことばかりして、取り返しのつかない「時間」をムダにしてしまっていたのです。

孤独死の恐怖から逃れるのに大切なことは、素敵な伴侶と素敵な子供を得ることではありません。

ここで大切になるのは、自分の「恐怖」にどう戦略を立てるかです。一人で孤独に死んでいくという恐怖は、つまりは誰にも愛されないで死んでいくという恐怖です。自分には愛される価値がないと信じ込んでしまっているので、恐怖が生まれ、焦りが生まれます。

前述の彼女も、「美人で仕事ができて若い女」でなければ男性には愛されないと信じてしまっていたのです。そのために、時が過ぎ自分が年老いていくことを過剰に恐れていました。

日常を大事にすることが「孤独」への戦略

自分が愛される価値があると信じるのは難しいことです。何もせずに存在するだけで愛されるのは、赤ちゃんの頃だけです。

大きくなっても、あれが欲しい!これが欲しい!私を守って!

と叫んでいてもみんなそっぽを向くだけです。こんな風に欲しがる代わりにやるべきことは、実は本当に超つまらないことなんですね。

それは、目の前にいる人を大切にすることなんです。

超つまんない!超つまんないよ……!

わかります。でもね、今まで自分が生きていて、つながりを感じた人と出会えたというのは、実は奇跡的なことなんです。

みんながみんな、他人には無関心ですが、その人たちはあなたに興味を持ち、あなたのことを好いてくれていたのです。そのつながりと、些細な日常を大切にすることこそが、孤独への戦略です。

確かに友人たちは今際の際までは一緒にいてくれはしないかもしれません。それは伴侶や子供だって同じことが言えます。それでも、何てことない思い出があなたが寂しい時、きっとあたためてくれます。

「待っていてくれる人」をつくる

こんな話があります。とある末期がん患者の女性が、大変苦しみ嘆き悲しんでいました。

彼女は独身で、両親はすでになくなり、身寄りがありません。仕事ばかりして自分の人生は何だったのかと悲しんでいた彼女ですが、亡くなる1週間前に穏やかさを取り戻し、こう言ったのです。

「大丈夫、私が死んだとしても、向こう側で母が待っていてくれる」

こんな風に同じあたたかさを共にした「待っていてくれる人」をつくることこそが、人生の1つの大きな目的なのかもしれません。

ちなみに前述のビッチ彼女に「そんなに結婚したいなら、高望みせず結婚してくれる男を捕まえればいいんじゃない?」と言ってみたんですが「そんな人と結婚したら、生活に不安があるじゃん」と答えておりました……。

10年たった今、彼女のメイクラブから本物のラブが生まれたという知らせはありません。

未来を不安視し過ぎて今をおろそかにしてしまうと、こうなってしまうんですね。

くわばらくわばら……。